初恋
文字数 3,095文字
スティーヴは思わず彼女の手を握った。肌の感覚を通して、彼女の感じていることが伝わってくる。
(彼は 私と「同じ」なんだ)
(私と同じ この世界に居場所のない仲間が 目の前にいる)
繊細な指がスティーヴの手をおずおずと握り返す。
(大丈夫 彼は優しい そして安全)
(どうしてだろう 手を触れているとなんだか安心する)
スティーヴはそっとテレパシーで話しかけた。
<ごめん こうしていると、君の考えていることや感じていることが伝わってきてしまう。心の中のことを僕に知られたくないなら、手を離していて>
彼女は驚いたが、手を離そうとはしなかった。
彼女を包んでいた警戒心は、とっくにはがれ落ちていた。
もともと人恋しい性質だった彼女の中に温かな感情があふれ出て、スティーヴに向けられる。はにかむような笑顔はスティーヴの心を甘く溶かした。
それから毎日2人は落ち合った。マリアは事務職のシヴィリアン・スタッフで、スティーヴは彼女の仕事が終る時間の少し前に詰め所を飛び出し、オフィスまで迎えに行った。
カフェテリアで夕食をとり、ベースの居住区のひと気のない場所を散歩する。週末にはサンドイッチやフルーツを持ち出して、あのカエデの木の下でピクニック・ランチをとった。
「あなたが木から落ちてきた時、
「僕は君が森の精みたいだと思ってた」
そんなたわいない会話をしたり、マリアに頼んでヘッセの詩を読んでもらうこともあった。旧ドイツと旧フランスの中間にあるアルザス生まれの彼女の声は、音楽のように響いた。
暮れていく光の中で、ただ黙ってお互いの存在を感じながら過ごすこともあった。
月の明るい晩、スティーヴは隣に座っているマリアの顔を見た。彼女の視線はそれを受け止め、もう戸惑うことなく、まっすぐにスティーヴに向けられた。
何をしていても、彼女に会える時間が待ち遠しい。
訓練場で仕事をしている間は一応気を引き締めるが、それ以外の時間には、彼女の美しい瞳や優しい笑顔を思い浮かべて、時間が過ぎるのを待った。
ノースアトランティック州ベースでの訓練官の仕事は、境界州に比べると緊張感はない。
境界州では、兵士は反乱軍との戦闘に送り出されるため、徹底して実戦向けの訓練をする。兵士をよく鍛えて準備させることが前線での彼らの生命に関わるので、訓練官たちも真剣だ。
前に研修に行ったニューイングランド州はカナダと国境を接し、兵士の仕事はおもに国境警備とテロ対策だった。
ノースアトランティック州では陸の国境を警備する必要もない。大西洋に面する海岸線があるが、ダニエルが言っていたように、今の時代の海軍は沿岸警備隊のようなものだ。訓練官の仕事も兵士の体力作りと教練が中心で、境界州に比べてわりと気楽に仕事ができた。
マリアがテレキネティックだということは、最初に彼女の手に触れた時にわかっていた。ただし彼女の能力は、遠隔から物を動かす文字通りの
その能力ために、思わぬ状況でまわりの物や人間に触れてしまい事故を引き起こしたりするのを、彼女は恐れていた。
スティーヴが彼女と同じテレキネティックで、手で触れずに物を動かせること。でもそれで事故を起こしたり人を傷つけたりしたことはないと聞かされ、彼女の不安は少しやわらいだ。
彼女のテレキネシスが、対象との接触が必要な状態にとどまっているのは、自分の能力を恐れるために発達が抑えられているのかもしれない。
テレパシーもスティーヴの話しかけを聞くことはできたが、自分から話しかけることができるまでに時間がかかった。
いずれテレキネティックのテレパシー能力は、聞く・話しかけるというシンプルなコミュニケーションに限定されることは、タイガーやダニエルの例でわかっていた。
テレキネティックで、同時に共感型と分析型のテレパスでもあるスティーヴが特殊なのだ。
いずれ向こうに帰ってジュピターやナタリーに見てもらえば、どういうふうに能力を伸ばしていけるかわかるだろう。もし彼女自身が望まないなら、これ以上能力を伸ばさなくてもいいとも思った。
夜空の下、林の少し開けたところに座って星を見上げる。
マリアはたくさんの星座を覚えていて、それを見つけながら由来になった物語を話してくれた。
「君とこんなふうにずっと過ごしたいな」
「……ずっと?」
「ずっと」
彼女の心が震えるのを、握っている手を通してを感じる。強いうれしさと、でもそれにまとわりつく影。スティーヴのことを好きだと思うほど、こんな幸せがずっと続くのだろうかという恐れ……自分はこんな幸せにあたいするのかという不安。
彼女の体に手を回して抱き寄せる。
「大丈夫 僕はずっと君のそばにいる。
今は不安や心配があってもいいよ。いっしょに過ごしていけば、きっとそれは変わっていくから」
前方勤務から戻ったタイガーは、部隊に慣例の休暇を言い渡して解散させた。ダニエルの肩をたたいて「うちで晩飯だぞ」と声をかけ、ウェイに連絡を入れてから、ジュピターのオフィスに向かった。
リリアが手渡す上等な中国茶をすすり、訊ねる。
「あいつはまだ帰ってないのか」
「研修期間は一応、来月の末まであるのよ」
ジュピターが端末から目を上げる。
「リストにある仲間を見つけて話を済ませたら、早めに切り上げて戻ってくると言っていたはずだな」
「そうなんだけど……『元気だし、すべてOK』っていうメールは来るから、期限までいるつもりみたい。何か夢中になることを見つけたんじゃないかしら」
フラットに戻るとすでにウェイが来ていて、キッチンに山積みの食材を並べていた。タイミングを合わせたようにダニエルも来た。
「ワインを開けますか」
「もちろんだ」
やがて炒めもののいい匂いがし始め、テーブルの上に次々と料理が並ぶ。
長い前方勤務から戻ったばかりの自分やダニエルには、久しぶりのまともな食事だ。ワインを飲み、談笑しながらテーブルいっぱいに並んだ料理を平らげる。
空になった皿をウェイがにこにこしながら片づけ、果物を切る。
「やっぱり食べてくれる人たちがいるのがいいですね。しばらく1人だったんで、ちょっと寂しかったです」
ダニエルが2人分のショットグラスにウォッカを注ぎ、ウェイにはお茶を注ぎ足してやりながら、思い出したように言った。
「そうか スティーヴも外回りだと言っていたっけな」
タイガーは何かに検討をつけるように、あごに手を当てた。
「ウェイ お前、何か知ってるだろ」
「え……」
「あいつが向こうでねばってる理由」
「あ ええ その……」
「ガールフレンドができたとか、そういうことか」
ダニエルがむせてグラスの中身がこぼれる。ウェイが慌ててタオルをとって手渡す。
「その 僕も具体的に聞いてるわけじゃないんですけど……電話で話してると、スティーヴが何だかすごく幸せそうで……『いいことがあったんだね』って言ったら、『うん もうじき会わせるよ』って……」
「じゃあ、そういうことなんだな。相手は仲間なんだな?」
「……だと思います。『恋をするなら仲間の女の子と』って、よく言ってましたし」
「出かけた先で恋人を見つけるか——相変わらず迷いがないですね スティーヴは」
ダニエルが感嘆し、3人はスティーヴのためにウォッカとお茶で乾杯した。
(ログインが必要です)