誘惑
文字数 1,617文字
夜の10時を回っていた。リリアを帰した後に一人でオフィスに残り仕事をしていたジュピターは、インターフォンの呼び出しが鳴るのを聞いた。
「誰だ?」
「私よ 大尉」
聞き覚えがあるというより、気になって忘れられないでいた声だ。
デスクのコントロールパネルからロックを開けると、軽い笑顔を浮かべてドクター・キャライスが入ってきた。薄いラヴェンダー色の体にぴったりとしたワンピースの上に、医務局のホワイトコートをはおっている。
「あきれた。本当にこんな時間まで仕事してるなんて、仕事中毒 っていう呼ばれ方はぴったりね」
「そう言うあなたこそ こんな時間に何をしてるんです?」
「仕事よ。緊急の手術があって、終わったらこんな時間だったの。
それで、あなたが噂通りの仕事中毒なら、まだオフィスにいるかもしれないって思いついたから、来てみたの」
ジュピターは返事をしかね、椅子に背中をもたれかけて彼女の顔を見た。
目だたない形で近づく口実が欲しいとは思っていたが、こんなふうに彼女の方からやって来るとは。
いや……自分のつかんだ感じが正しく、実際に彼女が変種だとしたら、あの晩、彼女の方でも何か気づいていた可能性があるのではないか。
リリアとは違うタイプにしろ、具体的に彼女がどんな能力を持っているのかも、まだわかっていない。
ドクター・キャライスは、空いている椅子をジュピターの隣に動かして座り、片手で机に頬杖をついた。
「あなた リリアとはつき合ってるの?」
「……それが恋愛関係という意味なら『ノー』です」
「あなたとデートしたがっている女性がベースに山ほどいるのは知ってるでしょ? それを一人残らず無視しているのはなぜ? 女性に興味がないわけ?
あの、よく一緒に見かける訓練官の男の子が恋人だったりする?」
「あなたに対してそういう個人的な質問に答える理由は、今のところないと思いますが」
ドクター・キャライスの顔に、艶やかな微笑みが浮かぶ。
彼女の白い、形のよい両手が滑らかな動きでジュピターの頭を引き寄せる。顔を近づけジュピターの目を見つめると、柔らかな唇でキスを奪った。
唇を離すと、いたずらっぽく微笑む。
「これで理由になる?」
「女性とつき合わないのは手間だからですよ。恋愛問題の処理に時間を割くほど暇じゃないのでね。結婚などする予定もない」
ドクターが笑う。
「ほんとに評判通りのものの言い方をするのね。いいわ、そういうの。
じゃあ私もはっきり言うわ。手間じゃないような関係ならどう?」
「――」
「私も結婚なんてするつもりはないし。ベース勤めの外科医としてのキャリアは結婚や恋愛とは両立しないし、私はキャリアの方を選んでる。
だから面倒じゃない愛人を探してるのよ。
その点、あなたは感情的にクールで、きちんと関係を切り分けられるタイプよね。べたべたしところはないし、女性を自分の所有物だと勘違いするタイプでもない」
ドクター・キャライスの声を聞きながら、あの晩に感じとった彼女の心の手触りを思い出す。
研ぎあげたナイフのように明晰な知性と、目標を定めたらぶれることのない意志の力。それでいて同時に、どこかつかみどころのない曲線的な部分があり、彼女の存在の全体を把握することを許さない。
それはリリア以外の他のどの女性とも比較し難い、複雑さと奥行きを持っていた。
リリアの心のパターンには繊細で美しいバランスがある。それは野に咲く花が美しいように、誰が見てもわかる美しさだ。
それに比べて、ドクター・キャライスはずっと自分に近いものだという気がした。しかし彼女のパターンは硬質で透明なガラスのようだが、その奥を見通すことができない。
そのパターンをもう一度、ゆっくり確かめてみたいが……。
「考えてるってことは、興味があるのよね?」
「そうだな……手だけを握っておしまいにするという訳には、いかないだろうな?」
「小学生の男の子みたいなこと言わないでちょうだい」
「誰だ?」
「私よ 大尉」
聞き覚えがあるというより、気になって忘れられないでいた声だ。
デスクのコントロールパネルからロックを開けると、軽い笑顔を浮かべてドクター・キャライスが入ってきた。薄いラヴェンダー色の体にぴったりとしたワンピースの上に、医務局のホワイトコートをはおっている。
「あきれた。本当にこんな時間まで仕事してるなんて、
「そう言うあなたこそ こんな時間に何をしてるんです?」
「仕事よ。緊急の手術があって、終わったらこんな時間だったの。
それで、あなたが噂通りの仕事中毒なら、まだオフィスにいるかもしれないって思いついたから、来てみたの」
ジュピターは返事をしかね、椅子に背中をもたれかけて彼女の顔を見た。
目だたない形で近づく口実が欲しいとは思っていたが、こんなふうに彼女の方からやって来るとは。
いや……自分のつかんだ感じが正しく、実際に彼女が変種だとしたら、あの晩、彼女の方でも何か気づいていた可能性があるのではないか。
リリアとは違うタイプにしろ、具体的に彼女がどんな能力を持っているのかも、まだわかっていない。
ドクター・キャライスは、空いている椅子をジュピターの隣に動かして座り、片手で机に頬杖をついた。
「あなた リリアとはつき合ってるの?」
「……それが恋愛関係という意味なら『ノー』です」
「あなたとデートしたがっている女性がベースに山ほどいるのは知ってるでしょ? それを一人残らず無視しているのはなぜ? 女性に興味がないわけ?
あの、よく一緒に見かける訓練官の男の子が恋人だったりする?」
「あなたに対してそういう個人的な質問に答える理由は、今のところないと思いますが」
ドクター・キャライスの顔に、艶やかな微笑みが浮かぶ。
彼女の白い、形のよい両手が滑らかな動きでジュピターの頭を引き寄せる。顔を近づけジュピターの目を見つめると、柔らかな唇でキスを奪った。
唇を離すと、いたずらっぽく微笑む。
「これで理由になる?」
「女性とつき合わないのは手間だからですよ。恋愛問題の処理に時間を割くほど暇じゃないのでね。結婚などする予定もない」
ドクターが笑う。
「ほんとに評判通りのものの言い方をするのね。いいわ、そういうの。
じゃあ私もはっきり言うわ。手間じゃないような関係ならどう?」
「――」
「私も結婚なんてするつもりはないし。ベース勤めの外科医としてのキャリアは結婚や恋愛とは両立しないし、私はキャリアの方を選んでる。
だから面倒じゃない愛人を探してるのよ。
その点、あなたは感情的にクールで、きちんと関係を切り分けられるタイプよね。べたべたしところはないし、女性を自分の所有物だと勘違いするタイプでもない」
ドクター・キャライスの声を聞きながら、あの晩に感じとった彼女の心の手触りを思い出す。
研ぎあげたナイフのように明晰な知性と、目標を定めたらぶれることのない意志の力。それでいて同時に、どこかつかみどころのない曲線的な部分があり、彼女の存在の全体を把握することを許さない。
それはリリア以外の他のどの女性とも比較し難い、複雑さと奥行きを持っていた。
リリアの心のパターンには繊細で美しいバランスがある。それは野に咲く花が美しいように、誰が見てもわかる美しさだ。
それに比べて、ドクター・キャライスはずっと自分に近いものだという気がした。しかし彼女のパターンは硬質で透明なガラスのようだが、その奥を見通すことができない。
そのパターンをもう一度、ゆっくり確かめてみたいが……。
「考えてるってことは、興味があるのよね?」
「そうだな……手だけを握っておしまいにするという訳には、いかないだろうな?」
「小学生の男の子みたいなこと言わないでちょうだい」
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