三人
文字数 2,518文字
ジュピターのオフィスに招き入れられた中尉が物珍しそうに見回す。
「これが官僚の巣穴か。思ったより狭いな」
「私たち、まだ駆け出しだから。あと2階級くらい昇進したら、もう少し大きなオフィスに移れるの」
中尉がリリアの方に身を乗り出し、小声で言った。
「ここでの話は誰かに聞かれたりしないか?」
「大丈夫よ。内務のデータベースで建物の青写真や配線図なんかも全部、調べたけれど、個々のオフィス内の会話を管理局や警備局が聞けるような構造的なシステムは存在しない。
ジュピターが念を入れたいって言うから、技術局の知り合いに道具を借りて、盗聴器の設置もないことを確認したわ」
そう説明しながらリリアは、お茶をストックしている引き出しの中から缶を一つとり出した。
「これ、大切にとってあったお茶なんだけど、私たちが出会ったお祝いに封を切るわね」
「勤務中に乾杯ってわけにはいかんだろうからな。ところでそのジュピターってのはなんだ」
「隊付勤務中のオペレーションネームからとった呼び名なの」
「お前も『虎』と呼ばれてるんだろう」
「ああ 7Dの伝統で、兵隊どもが士官にあだ名をつけるんだ。リクガメとか、ガラガラヘビとか、プレーリードッグとか、いろいろいるぞ」
「じゃあ、その若さで『虎』ってつけられるなんて、ずいぶん見込まれてるのね。私たちもタイガーって呼んでいい?」
中尉は「好きにしろ」というふうに手をふった。
リリアが古風なデザインの缶を開け、中の封を切る。目の覚めるような凛とした香気が漂ってきて、思わずジュピターは訊いた。
「それはなんだ」
「とっても上等な中国茶よ。少しカフェインが入っているけど、いいでしょ?」
ていねいに入れられたお茶に口をつけ、中尉が満足げにうなる。
「こんなもの、どこで手に入れた?」
「ずっと前に
「あそこは大戦で焼け野原になったんじゃなかったか」
「ホワイトハウスや国会議事堂なんかは跡地だけど、無事だった区域もあるし、建て直しが進んでいるエリアもあるの。
チャイナタウンの周辺はきれいに復興されて、いろんなお店が開いてたわ」
「レストランもあったか?」
「ええ 何軒も。結構にぎわってたみたい」
「ここからどれぐらいだ?」
「車を飛ばして3時間」
「気軽に飯を食いに行くにはちょっと遠いな」
そう言いながら2杯目のお茶を注がれ、うまそうに飲む。
「しかし 狭くても自分たちのオフィスがあるってのは、なかなかいいな」
「軍士官が自分だけのオフィスを持てるのは、
「ああ しばらく先だな。そこまで上がれば副官もついて、前方勤務からは足を洗うことになる」
「やはり参謀部入りを目指しているんだな?」
「途中で死なずに昇進を続けてりゃ、そのうち手が届くだろ」
そのセリフは
ジュピターはテレパシーで話しかけた。
<ところで、テレパシーは使えるのか?>
「うおっ」
中尉が面食らった様子で頭に両手をやる。
「聞こえるのは聞こえるんだな。発信はどうだ?」
「やったことはない。だいたい、同類に出くわしたのはお前らが初めてだ。
だがそれが俺たちの特質だというなら、できるようになるかもしれん。時間のある時に教えてくれ。
おっと そろそろ戻らなきゃならん。夜間演習が終われば1日休みだから、連絡しろ」
そう言うと
ジュピターはまだ信じ難い思いで椅子にもたれた。
「まったく 驚いたな」
「ほんと」
「ずいぶんうれしそうだな」
「ええ。あなたも男性の友だちがいると楽しいでしょ?」
「それは相手による」
翌日の夕食時、
食事をはさんで彼は気軽に自分のことを話をした。
生まれは
「それで完璧なアメリカ英語なのね。でも向こうの方がずっと生活水準は高かったんじゃないの?」
「まあな 少なくとも食い物に関しちゃあ天と地の開きだ」
大戦以前、世界経済はアメリカドルを機軸に回っていた。それを利用して築かれた突出した経済力と軍事力で、アメリカは世界の覇権国だった。
しかし反目する国々との経済戦争が悪化し、衛星国を使った代理戦争が燃え広がって、「十年戦争」と呼ばれる世界大戦に引火した。長引く戦争の疲弊でアメリカは覇権国の地位から転落し、ドルは機軸通貨の座を追われた。さらに「第二次南北戦争」と呼ばれる内戦が勃発して追い討ちとなり、連邦政府は瓦解した。
「政治家や政党は腐敗する」。大戦の混乱と苦しみの中で、そういった旧来の政治構造を廃し、官僚のみによる統治と管理のシステムがユーラシアと北アメリカで成立した。
機構はヨーロッパとアジア区域の混乱を鎮めるのに成功し、ヨーロッパでは国境が再編成され、復興と再開発が進められた。中央政府なき後の中国では、各地の都市を中心に分散自治と経済の回復が進み、とくに大都市圏の復興ぶりはめざましかった。
しかしアメリカでは反乱軍の制圧に失敗し、復興に必要な資源を輸入する経済力もとり戻せていない。かつて人々が憧れた「自由の国」は遠い過去の話だ。
食事に手をつけかけて、虎がまわりを見回す。
「ここは酒が飲めるのか?」
「ええ 夕方の5時を過ぎたら。食事といっしょにとる軽いアルコールだけだけど」
「なるほど 官僚様の特権仕様か」
虎は席を立ち、赤ワインの入ったグラスを3つトレーに乗せて戻ってきた。
「昨日の茶もうまかったが、乾杯もやっとこう」
渡されたグラスを目線にかかげ、互いの顔を見てからワインを口に含む。
うまい、と思った。
「いずれ参謀部で会うぞ。無事に生きて上がって来い」
「おう 言われるまでもない」
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