探しもの
文字数 2,911文字
「え?」
「北風が吹いて、こんなに気温が下がっとるだろうが。寒くないのか」
「寒いです」
「あほう 防寒着を着てこい! 何のために支給されてると思ってるんだ。動き回る兵隊どもと違って、立っとるこっちは体が冷えるんだ」
先輩の訓練官にどなられる。
確かに秋が深まって、日増しに寒くなってきたなとは思っていたけれど、防寒用の上着を着ることは思いつかなかった。西海岸にいた頃は、一度も必要になったことがなかったから。
機構が成立してから、アメリカの旧50州は新しい「州」に再編成され、その新しい州の単位を1つのベースが管理している。境界州はかつてのヴァージニア、メリーランド、ウェストヴァージニア、ノースキャロライナ州を含み、ベースはヴァージニアにある。
スティーヴが生まれ育った西海岸では、カリフォルニアはそのまま1つの州として、サウスパシフィック州ベースがそれを管理する。北のオレゴンとワシントンはまとめてノースパシフィック州ベースの管轄になる。
西海岸の大きな都市は、東部ほど大戦のダメージを受けておらず、建造物や文化的な遺産もかなり残っている。カリフォルニアは気候も温暖で、食料の生産能力も維持され、いろいろな意味で恵まれていた。中西部出身の教官は「お前らは温室育ちだからな」とよく言っていた。
士官学校に入ったばかりの時期に両親が亡くなり、帰る場所がなくなって、どこでもいいから知らない土地に行ってみたかった。それであまり深く考えずに境界州に来たけれど、毎日は楽しかった。
シラトリ中尉も先輩の訓練官たちもよくしてくれたし、アキレウス大尉と話をするのも楽しみだった。
そしてヴァージニアの、カリフォルニアとは違う意味での豊かな自然はスティーヴを魅了した。初めて経験する、はっきりと表情の変わる四季。
南カリフォルニアの海沿いでは、気候は一年を通して温暖だ。暦の秋から冬への変わり目あたりに少し肌寒く曇りの日が続くが、12月に入ればまた半袖で過ごせる快晴の日が戻る。雨は降っても夜のうちの短い集中雨で、翌朝には乾いて跡も残らない。
初めてのヴァージニアの冬は身にしみた。
でも本物の雪は、うっとりするほど美しかった。
灰色の空から目まぐるしく落ちてくる、数限りない白く柔らかな結晶。上を向いて見つめていると、自分自身が灰色の空の中に溶けてしまう。
「准尉 子供じゃあるまいに、ぼーっと雪なんぞ見てるんじゃないぞ」
先輩の曹長が言った。
「そもそも、こんなものは雪のうちじゃない」
そう曹長が言った翌日に
スティーヴは防寒着と手袋をして居住区を歩き回った。いろいろな場所が雪で覆われているのを見るのが楽しかった。
居住区の林のあまり陽の当たらない場所では、降った雪は溶けずに凍り、次の雪がその上に積もってかちかちになった。
やがて太陽の光が少しづつ力をとり戻し、凍った雪が溶け初めた。冬が終わるのはうれしいような、少し名残り惜しいような気がした。
休みの日、海岸に出るために林の中を横切ると、少し日陰の湿った土の上に白い花のつぼみが開きかけていた。小柄な植物で、赤みのかかった短い茎を、まるで緑の羽のような厚みのある葉っぱが包んでいる。
しゃがんでのぞき込んでいると、後ろから湿った土を踏む足音がした。
ふり向くと、長身の男性がいた。私服姿に無彩色のコート、静かな灰色の瞳。
ベースで働く
「こんにちは」
男性は表情を変えずに、うなずいた。
「植物に興味があるのかね?」
「あ はい これは見たことのない花なんで、なんていうのかなと思って」
「それはブラッドルートだ。春先に開く
ただし毒性があるから、手で触らないように」
「へえ こんなに可愛いのに。
こっちの黄色い花は何ですか?」
「
ついて行くと、紫がかった植物の芽が寄り添って頭を出している場所があった。目だたないけれどよく見ると、あちらにも、こちらにも。
「ベースで働いている者は誰も注意を払わないが、居住区の林には、ブルーリッジ山脈とシェナンドア峡谷に自生している種を中心に、花の咲く植物を植えてある。
これはヴァージニア・ブルーベルだ。もう少ししたらこの葉が伸びて緑色に変り、花茎が出て青い花が咲く。時々戻って来て見るといい」
男性はそれだけ言うと去っていった。
なんとなくあまり人間的な雰囲気のない人だ。植物に詳しいし、もしかしたら森の精だったりと思った。もちろん、これは物語好きの自分の想像だ。
残されて独りで林の中を歩きながら思う。
カリフォルニアにいた時には、一年中、色とりどりの花があちこちの庭先に見られるのが当たり前だった。花はいつも咲いているものだと思っていた。
でもここでは、厳しい冬の間、植物たちは姿を隠して眠りにつく。そして風の冷たい春先に、土の中から姿を現す。
そこには冬を乗り越える生命の力強さがあって、そうして開く花は、いっそう「生きることのよろこび」を表現しているようにも感じられた。
スティーヴはベッドに転がり、天窓を透かして夜の空を見ていた。
アキレウス大尉のこと。まわりの誰もが「参謀部入り確実の
でも裏ではすごい量の哲学や歴史や文学の本を読んでいて、いろんなことを深く真面目に考えている。それなのに、「自分には人間として生きる理由などない」と投げやりに言ったりするんだ。
その不思議な落差はスティーヴの興味を引いた。もっと大尉のことを知りたいと思った。
それからシラトリ中尉。穏やかで思いやりがあって、大好きな人だ。そばにいるだけで温かな気持ちになれる。
でも時々、何かが満たされないような感覚が彼女から伝わってくることがあった。そんな時、彼女は何を探しているんだろう。
それから、大尉とはディヴィジョンも違うし、タイプもまったく正反対に見えるのに、仲のいい友だちのワン・タイフ少佐。いかにも7Dの軍人らしくふるまっているけど、裏ではやっぱり優しい人だ。
この3人には何か、他の人間には感じない「質」を感じるんだ。それは何なんだろう?
この何か月か、彼らの心を読んでみたいと感じたことが何度もあった。けれどその度に父親の言葉を思い出しては、自分を抑えてきた。
「他の人間の心を読むのは、自分の身を守る必要のある時に限りなさい。必要なしに他人の考えや感情を知ることは、何よりお前自身を傷つける。
人間の心の中には、他人が知るべきではないことがたくさんある。
そしてまた残念なことだが、人間の心と言葉はしばしば裏腹だ。それはお前が他人の心を読む力を持っていようといなかろうと、社会に出ればいずれ気づくことだ。
だが他の人間の心について余計な詮索をして、わざわざ友だちを失う必要はないのだ。
お前は生きていかなければならないのだから、この人間たちの中で――」
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