つかみどころ
文字数 3,484文字
「ドクター・キャライスの件だが、確認した」
突然と言えば突然だが、ジュピターが前置きをしないのはよくあるので、驚かない。
「彼女は変異種で、テレパスだ。それも思考の流れを読むだけじゃなく、過去の記憶を引き出すことができる」
「ええ それってすごい」
スティーヴは思わず声を上げた。
「ただし変異種であるというだけで仲間扱いにされるのは迷惑だと。仲間を集めるといった計画にも興味はないと」
「えー そんなのあり?」
「彼女の方では興味がなくても、お前が話をしに行くだろうとは言っておいた」
「会いに行くよ、もちろん。
リリア ドクターはどこにいるの? 今日は休みかな?」
「医務局はシフトがあるし、彼女は緊急の手術があったり、代休だったりしてスケジュールは不規則みたいだけど」
言いながらタブレットをとり出して医務局の勤務表を調べてくれる。
「今日はオフィスに出てるみたい」
「行ってくる」
「おい 飯ぐらい食い終えていけ」
タイガーが呆れたように言った。
考えてみたら、用もなくアポイントもなしに医務局の医師に会えるだろうか。
とりあえず受け付けで訊いてみる。
「ドクター・キャライスはオフィスにいるけど……相談なら普通はアポイントをとって来るものよ。所属はどこ?」
「5Dの教育局です」
言いながらIDを見せる。
「どんな用なの」
「えーと 個人的な」
女性がスティーヴを品定めするように見て、それから内線電話をかけた。
「ナタリー? 訓練官の若い男の子が会いたいって言ってるんだけど――いい男っていうよりは、かわいい感じ。すらっとして、清潔感はあるわね――え? あなたの好みかどうかまでわからないわよ——」
女性が電話を置く。
「会ってくれるって」
不思議な会話だ。
教えられたようにホールを通り抜けてD棟に行き、エレベーターで7階に上がる。
目当てのオフィスのドアは開けっぱなしになっていた。
大きな明るい窓を背景に、両足を組んで椅子にもたれている女性。
「入ったらドアを閉めて」
そう言えば会うのは初めてだった。
きれいな人だ。
色白で、長い金髪を編んで肩にかけている。すらりとした眉の下の、形のいい目に長いまつげがかかる。そして思ったよりずっと若い。
「あなたがきっと会いに来るって大尉が言ってたけど、いくらなんでも行動が早過ぎない?」
ドクターが笑う。スティーヴが訪ねて来たのを嫌がってはいない。むしろ面白がっているのを感じる。
向かいの椅子を指さされ、腰を下ろす。
「ジュピターと——アキレウス大尉と会って話したんですよね? 僕たちの計画のこととか聞きましたか?」
「おおざっぱに。私は興味ないけど、あなたの記憶を見たら私の気が変るかもしれないって、あなたは思ってるのよね」
「そうなったら、うれしいんですけど」
「あらすじはもう見たのよ、大尉の記憶から拾って。
でも一応、生のも見ておこうかしら」
ドクターが腕を伸ばす。長くきれいな指がスティーヴのこめかみに当てられる。
何かが自分の心を通り抜ける。経験したことのない不思議な感覚。
テレパシーで感情を共有するのではなく、思考を読まれるのとも違う。自分ではない心が、自分の心の図書館に入ってきて、あたりを見回している。
ドクターはスティーヴの記憶の回廊を歩き、そこにあるものを調べている。やがて目当ての棚から記憶を引きだし、淡々と目を通す。その作業に感情的な反応は伴わない。
それからドクターの存在が自分の心から出て行く。
「ふうん 面白い。私があなたの頭をスキャンして、記憶を調べるのも感じとってるのね。
普通の人間は一切、気づかないし、大尉も気がつかなかったわ」
ドクターはあごに手をあて、考えている。
「大尉の記憶から読みとった他の3人のパターンと比べても、あなたはちょっと特殊よね。
それはどうしてなのかしら。生育環境と関係があるのか、それとも単純に出来がいいってことなのか……」
ちらりと机の上のタブレットを見る。
「あと10分で次のアポイント」
「あ すみません。また話に来てもいいですか?」
「そうね」
「なんだ もう帰ってきたのか」
ソファにくつろいでワインを飲んでいたタイガーがふり向く。
「首尾はどうだった」
「うーん よくわかんない。
計画に興味はないって言われたし、僕の記憶を見た後でもとくに反応はなかったけど……でも、僕が会いに行ったことは面白がってたし、また来ても構わないって」
「そいつはどうも魔性の女の匂いがするぞ。もう放っといたらどうだ」
「でも 感情はクールな感じだけど、人柄が冷たいのとは違うんだ」
「彼女、近隣のベースからも依頼のある腕利きの神経外科医で、あらゆることを割り切るたちなのよ。興味のないことには全然興味がないけど、仕事にはすごく熱心」
「ジュピターみたいだ」
リリアが笑う。
「それで、患者に対しても見込みのない希望を与えるようなことはしない。代わりに彼女がOKだと言ったら、どれほど難しそうな手術でも絶対に安心て評判らしいの」
次の週末のブランチの後、スティーヴはリビングの床に転がって、次はどうアプローチしようかと考えていた。他の3人は飲み物を手に話をしている。
「あれ」
スティーヴが顔を上げるのと同時にリリアも気づいた。
跳ね起きてドアを開けると、ドクター・キャライスが立っていた。
「ドクター……」
「ナタリーでいいわよ」
リリアが中に招く。
「お茶でも?」
「コーヒーお願い」
ドクターは——ナタリーは平然とタイガーの横に座る。
「あれから私も考えたの。
勝手に仲間扱いされるのは迷惑だけど、あなたたちが馬鹿をやると、私にもとばっちりが来る可能性があるのよね」
スティーヴをちらりと見る。
「とくにこの子が、思いついたら何をするかわからないところが不安要因。
こんなのでよく今まで捕まらずに生きてきたもんだわ」
「えー 僕、ちゃんと気をつけてますよ」
「幸運だっただけじゃないの?
でね、ベースの中に変異種が紛れこんでいると参謀部が疑ったら、ベース全体の再検査もあり得るって、考えたことある?」
「まさか そんなこと……」
コーヒーを手渡すリリアの表情が固くなる。
「2万8千人相手だから相当時間はかかるけど、今度の司令官ならやるわよ。おそろしく計画性と忍耐力があるから。周辺地区から心理技術者を動員するぐらいする。
私としても、ここでの生活は気に入ってるし、そういう面倒なことは避けたいのよね」
タイガーは腕を組んでナタリーを見ている。その表情はまだ完全に彼女のことを信用していない。
「それで、どうするつもりだ」
ナタリーはタイガーに顔を近づけ、微笑んだ。
「私は記憶を遡って読めるだけじゃなくて、選択的な消去もできるの」
「なにい」
「だから例えば、あなたたちの記憶を消去して、私が変異種だということも忘れさせてしまえる。
古くて他の記憶と結びついてるようなものは、消してしまうとつじつまが合わなくなるけど、最近のものなら全然問題ない」
「とんでもないな」
タイガーがうなる。
「自分の身を守るだけよ。戦場で、あなたが自分の身を守るために相手の戦車を破壊するのと変わらない」
眉をしかめるタイガーをよそにジュピターが訊ねる。
「その能力は、神経外科医としての専門知識に関係しているのか?」
「脳の構造や機能についての知識は作業に役立ってるけど、能力自体はそれに依存はしてない」
「それなら……」
「他人の心を物のようにつかんで分析する能力は、あなたと私で共通。だから相手の心に介入したり、記憶を処理する作業も、あなたにも覚えられるはず」
「それを教えてくれるんだな?」
「1人よりは2人の方が、もしもの時に対応しやすいでしょ」
そう言ってコーヒーのカップに口をつける。
「これ、いい香り。おいしいわ。カフェテリアの雑なコーヒーより、ずっとおいしい」
まだ難しい顔で腕組みを崩さないタイガーの肩をジュピターがたたく。
「彼女の思考には一貫性がある。ただ考えていることを全部は口に出さないだけだ」
「余計なことは言わなくていいのよ」
ジュピターに向かってナタリーが口を尖らせる。
スティーヴが笑顔で見ているのに気づき、ナタリーは眉をしかめた。
「それにしてもこの子 ちょっと、ひとなつこ過ぎない?」
「誰にでも向かっていく子犬みたいなもんだ 慣れるんだな」
タイガーがそう言って、やれやれというようにソファにもたれた。
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