第5話 仕置家老の館

文字数 1,725文字

「まったく、お支度金まで拝領するとはな」

 しかも十両もだぜ、と言って、林建部(たてべ)は私の目の前でブラブラとその巾着袋を振って見せた。いつもながら、嫌な感じ。

 ここは山田織部(おりべ)様のお屋敷。織部様といえば、阿波のまつりごとを牛耳る仕置(しおき)家老よ。この国で一番偉い人よ。
 組頭の弥左衛門さんは何度もここへ来たことがあるようだけど、今日はなぜか私までがここへ呼ばれた。嫌だなあと思ったのは、まさにこいつがいると思ったからよ。

 建部はまだ若い藩士だけど、織部様の血縁だからってずいぶん威張ってる。
 私のことなんか、どうせゴミみたいに思ってるんでしょうよ。今だっていかにも馬鹿にしたように、例の巾着を弄んでる。

「お前、幸運だったなあ。殿はあのとき鹿狩(ししがり)の熱気を引きずっておられたゆえ、このような仕儀に相成った。別に女好きではないぞ、あのお方は。むしろ真面目で気難しい」

 そこまで言うと建部は急に前のめりになって、よく聞け、と声を落とした。

「本当ならお声が掛かって重畳(ちょうじょう)である、と言いたいところだが、残念ながらいろいろと事情のあるお方でな。とにかく、これからご家老にお目見えするが、ゆめゆめ失礼のなきように」

 一方的にしゃべり終えると、林建部は隣にいた組頭を促しつつ立ち上がったわ。
 もちろん私も行かなきゃならない。

 私たちは庭に面した廊下を歩いた。長い長い廊下。このお屋敷はどこまで奥行きがあるんだろうと思うぐらい。

 組頭が私に先を歩けと言うから、大人しく従ったわ。すると小柄な建部の痩せこけた背中が嫌でも目に入ってくる。

 この男、私は嫌い。

 私が逆らえないのをを良いことに、二人きりになるとすぐに体をベタベタ触ってくるんだもの。もちろん私も警戒して、なるべく逃げるようにはしてるんだけど、いつ本当に関係を迫られるか分かったもんじゃない。

 表向きは品よく振舞ってるみたいだけどね、私は知ってるわ。林建部の頭の中は、嫌らしいことでいーっぱいなんだからね。

 この男は出仕を始めてすぐに、お殿様の側近く仕える近習(きんじゅう)役に抜擢されたんだけど、別にそこまで有能ってわけじゃない。この国が家柄重視だからよ。
 お偉いご家老様のご親戚筋ってのは、やっぱり大きいわ。佐山市十郎の話では、建部の父親は山田家から林家に養子に入ったんですって。つまり年はちょっと離れてるけど、建部は仕置家老の従弟(いとこ)ってわけ。

 建部もご家老に引き立てられた「御恩」はよく分かっているんでしょうね。自身が徳島藩家中で重要な立場にあるのに、まるで織部邸の家人か何かみたいに甲斐甲斐しく立ち働いてる。
 こういう人って、上の人間には揉み手で媚びるのに、下の人間には冷たいのよね。利害がからむと、あからさまに態度を変えるし。
 だからちょっとぐらい親切にされても、気を抜かない方がいいわよ。こいつの場合、体が目的ってこともあるし。

「お連れ致しました」
 建部はそう言って、私たちを敷居際に座らせた。
 私も組頭も、襖が開く前に頭を下げたから、座敷の中を見たわけじゃない。でもすでに人払いされてるのは雰囲気で分かったわ。

 組頭がひれ伏したまま、挨拶とお礼の口上を述べた。
 隣で聞いていて、あ~あ、と思ったわ。
 本来なら私たち、お庭で土下座する身分だもの。ここに入れてもらえただけでも、有難いと手を合わせなくちゃならないのよね。

 すると今度は、山田家老の声が降ってきた。私は顔を上げろと言われたようだった。
 だけど、偉い人の言うことって信用できないわよ。本当に身を起こしていいの? 起き上がったら途端に怒られるんじゃないの?

 先日のお殿様の時と同じよ。かなり迷ったけど、組頭もしつこく促してくるから、私はゆっくり、そう~っと顔を上げたわ。

 山田織部。本人がそこにいた。

 起き上がったところで相手を見てはいけないんだけど、私はちらっと視線を走らせ、同時に息を呑んだ。藩政を牛耳る仕置家老は、私が思ってたよりずっと若かったから。

 ご家老様は、文机に向かって書き物をしてたみたい。その手を休めて私を観察なさっているようだったけど、その目に並々ならぬ鋭さがあって、権力の頂点にいる人のすごみを感じさせた。

 やっぱり怖かった。これから私、何を命じられるの?

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