第43話 国元からの報告

文字数 2,221文字

 おれの思惑通りだ。
 本〆(もとじめ)役に異動した佐山市十郎の働きはめざましかった。

 家老派を切り崩すためにあえて斬りこんでみよ、とおれは出立直前に佐山に命じていた。
 本〆役は別名下仕置(したしおき)とも呼ばれ、仕置家老の下で財政を司る役職。いわば敵の本陣に飛び込めという無茶な命令だった。佐山には残酷な話に違いなかったが、誰かがやらねばならぬ役目だったのだ。

 佐山は黙って従った。おれだって、それができる男だと信じたから奴に命じたのだ。

 敵に囲まれた佐山が、具体的にどんな手を使ったのかは知らぬ。だがあいつはおれの期待に応え、それまで家老派に握られていた財政の実態を次々と明るみに出した。

 見事である。

 しかしその佐山から次々と送られてくる監査の内容は、おれの心を重くするものに他ならなかった。江戸城鍛冶橋御門内にある藩邸の座敷で、おれは今、国元から届いた書状をくるくると開き、慌ただしく字面を目で追っている。

「御家の歳入はおおよそ銀十万六千貫なり、しかれども、年々の支出超過により、藩債積もりて三十万両に及び……」

 このままにては、とても御家は立ち行かず(そうろう)という文面で締めくくられ、以下、蜂須賀家が徳島ご城下及び大坂の商人からそれぞれいくら借金をしているのか、町人の名前と金額がずらりと記されている。

「……やっぱり」
 その名簿の長さを見るにつけ、怒りを通り越して笑いが込み上げてくるようだった。
「こんなことだろうと思ったぜ。あいつら、どこまで非道なんだか」

 国元の家老どもが今目の前にいるなら、刀を突きつけてやりたいね。これのどこが、「国政とどこおりなく、阿淡(あたん)両国無事治められ候」なのか、説明してみろってもんだ。

 おれは脇に控えていた江戸定府の藩士、速水倫助(ともすけ)を手招きして呼び寄せた。
 速水が畳の上をにじり出てくると、すぐに佐山の書状を渡し、目を通すよう促す。

「いやはや、これは……」
 白髪交じりの速水もまた絶句した。国元がここまでひどい状況になっているとは知らなかったんだろう。

 この男にも迷惑をかけてしまった、とおれは改めて思う。悪いと思ってるよ。おれに加担したばかりに、速水は江戸御留守居(おるすい)役を罷免されちまったんだからな。
 そう、江戸にも阿波の君臣対立は波及してきている。いまだ温度差はあるが、江戸にもおれの敵は少なくないのだ。

 速水はしかし、書状の内容について腑に落ちないところがあるようだった。
「これ本当でしょうか。これほどの事態なら、国元の藩士が知らぬわけはないでしょうに」
「どうだろうな」
 おれは嘆息まじりに腕組みをする。
「おぬしが知らぬぐらいだ。みんな何となく気づいておっても、見て見ぬふりをしておるのではないか」

 そのつもりはなかったが、半分は速水への嫌味になってしまった。
 重臣たちが隠し通そうという中、おれは藩が赤字経営であることを見抜いた。みんな、何やってんだ。この現実を家中の大半が自覚してないんだとしたら、それこそ大問題じゃないか。

「……ほんとに滅茶苦茶だよ、あの国は」
 おれは苦々しく吐き捨てる。
「皆が皆、やりたい放題。正そうとすれば邪魔者扱いだ。阿波の人間にとって、わしなどいない方がましなのであろう」

「ああ、申し訳なくて速水は死にそうにございます。せっかくお殿様にこうして御家に入って頂いたのに、このようなご苦労をさせてしまうとは」
 速水が公家のような上品な所作で目頭を押さえるから、おれは苦笑してしまった。
「泣いてる暇があったら、この状況を少しでも何とかしてくれよ」

「左様にございますな」
 今度は決然とした表情を見せ、速水は居住まいを正した。
不肖(ふしょう)速水、今から阿波に参って、殿に従わぬ馬鹿どもにがつんと物申して参ります」

「おいおい、ちょっと待て」
 おれは片手を出し、今にも立ち上がりそうな速水を引きとめた。
「そちが一人で国入りなどしてみろ。暗殺されて川に放り込まれるのが落ちじゃ」

 速水は絶句して口を開ける。
「……それほどにひどいのでございますか、国は」
 ここで否定できたらどんなに良いだろう。だが、残念ながら事実である。
「だから悩んでるんじゃないか。今だって、主君派に入ってくれた者が無事に生きておるのかさえ分からん」
 
 さらに困ったことに、今回江戸仕置役としておれの参勤に同行したのは、政敵、賀嶋(かしま)備前(びぜん)だった。あいつはまだ若くて部屋住みの身だが、父親の賀嶋上総(かずさ)とともに座席衆の一員で、父親とは別の禄二千石を()んでいる。

 今回の参勤だって、備前はおれの監視役のつもりなんだろう。旅の道中も自分の腹心をおれの側に付かせ、そいつからこっそり、おれの動向を聞いているようだった。それでいて、自分は決して藩主と同じ本陣には宿を取らず、食事を共にすることもない。
 遠くから無遠慮な視線だけは送ってくる備前。まったく、ああいう横柄な家臣に対して、おれはどう対処すればいいんだろう。

 とはいえ。
 と、おれはどうにか考え直す。
 ここは江戸ではないか。座席衆のくびきから遠い地ではないか。
 それに、備前とは年も近かった。山田織部を嫌っていた林建部のことも思い出す。備前とて、実は父親の桎梏(しっこく)から逃げたがっている、ということも十分に考えられるではないか。

「備前を呼べ」
 おれは気を取り直し、速水にそう告げた。
「こちらには対話の用意があるわけだ。あいつとうまくやれないか、何とか探ってみる」

 すると速水は顔色を変えた。老臣の目は、明らかに困ると告げていた。

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