第85話 あとがき(と創作日記)

文字数 3,249文字

 俗に「江戸三百藩」と言われます。江戸時代に日本国内に存在した大名家の数が、だいたいそのぐらいということです。
 もちろん「藩」の定義によって数は全然違いますし、明らかに命脈の短かった家もありますが、この言葉通りざっくり300と思って良いのではないでしょうか。

 仮にですが、それぞれ10人ずつの藩主がいたら(ご承知の通り徳川将軍は15人いたわけですが、ここは平均値ということで)、約3000人もの「お殿様」がいたことになります。

 そんなにいたの? という感じですが、まさにお殿様の世界も百花繚乱。
 通信簿というものがあったら、1から5まで全部いたはずです。ボ~っとして自分は何もしない「そうせい様」(評価3)が一番多かったかもしれません。手の付けられない「暗君」、「暴君」(評価1)も一定の割合でいたでしょうし、逆に素晴らしい「名君」(評価5)とされる人もいます。

 今の時代にだって、評価される人とされない人がいます。この評価の基準って何だかはっきりしないし、しばしば納得できないことが起きますよね。悔しいものです(笑)。

「お殿様」だって同じじゃないの?
 そう思ったのが、この作品の執筆動機かもしれません。

 蜂須賀重喜は「悪いお殿様」のエピソードにはよく出てくる人です(もちろん評価1)。というのも、この人は晩年、大勢の側室を大谷御殿にはべらせて、好き放題をしていたようなので。
 だけどこのお殿様、荒れた生活をしていたのは、監禁されて正気を失ってしまったからのようです。そんな状況に追い込まれた、その理由の方が、私には気になりました。

 むしろ重喜は、若い頃には優等生でした。
 重臣の山田織部とやり合った会議(この作品の「御前評定」の章)については結構詳細な記録が残っていますが、重喜の正義感や頭の回転の速さが感じられます。四面楚歌の状況で、年上の重臣を論破できるというのは大したもの。
 しかも彼ははっきりと藩政改革の理想を掲げています。それが失敗に終わったのなら、くじけさせた何かがあったはずなのです。

 さて蜂須賀重喜とよく比較されるのが、米沢藩の上杉鷹山。ご存知、故ケネディ大統領が尊敬する日本人としてその名を挙げた、江戸時代最高と言ってもいいかもしれない名君です。
 鷹山には重喜と似た部分があります。鷹山も小藩から養子入りして大藩の藩主になった人で、上杉家の中で名門の重臣に小ばかにされ、苦労した人物です。
 だけどそこでくじけなかったのが、鷹山のすごいところ。次第に敵を味方に取り込んでいき、見事、藩政改革を成功させました。
(ご興味のある方には、童門冬二さんの『小説 上杉鷹山』をお勧めします。鷹山を取り上げた本は他にもいろいろありますが、童門版がとにかく感動ものです!)

 上杉鷹山には有能な味方が何人もいました。理想を同じくして、必死に支えてくれる家臣がいたからこその成功でした。
 徳島藩の失敗については、遠くから冷静に眺めていたでしょうね(鷹山は重喜より約一回り年下です)。

 重喜にそんな家臣がいなかったのは不運なことです。あるいは、徳島藩にも有能な人はいたのに、それを重喜が見出せなかったのだとしたら、それが鷹山との能力差だったのかもしれません。

 だけど、それに加えて。
 私はふと、重喜を盲目にさせた誰かがいたんじゃないかという気がしたのです。頭の良いお殿様から、理性を奪い去ってしまった誰かが。

 男じゃないでしょう、それは(笑)。
 史実とされるものは断片的で、そこから物語を紡ごうと思ったら、あちこち穴だらけなものです。でもその穴の中に、私は一人の「ファム・ファタール」を見たような気がしました。したたかな美女で、悪女で、でも彼女自身には「悪」の認識がまったくなくて。憎めないけど最も厄介な部類の女です。

 というわけで、主人公のお楽は私の創作です。たぶんお楽に当たる女性は実在しただろうけど、お楽というキャラは創作です。
 創作だけど、キャラクターを造形するに当たって、重喜の周辺の女性は探りました。
 もちろん詳しくは分かりません。身分の高い人だって、女性となれば本人の名前すら不明というケースが多いわけです。産んだ子供、実家の名前ぐらいでだいたい終わり。
 でも蜂須賀家の系図の場合、正室と名家出身の側室の名、当主の血を引いたお姫様の名は辛うじて記されていました。

 重喜の子供の中で、比較的早く生まれた「簾」という名のお姫様が目につきました。この子が夭折したせいもあるんでしょうが、母親の名が書かれていなかったので、試しにこれをお楽に当ててみました。
 パチリ、とパズルのピースがはまります。
 二人が出会った時期を逆算していくと、重喜が改革に乗り出していった時期とぴったり重なるじゃありませんか!

 あとはたぶん、フィクションを中心に書かれる皆さまと同じです。いったんお楽というキャラを作り出したら、彼女は勝手に動き出して暴走を始めます。

「ちょっとあんた。お殿様にそんなことさせちゃ駄目でしょ!」
 お楽が作者である私を怒鳴りつけてきます。頭を叩かれたこともあります(ほんとです)。

 仕方なく、私はお楽に仕事をさせました。
 御前評定で重喜が言い出した「蜂須賀家を滅亡させてやる」のアイデア。長谷川家老に命令されて江戸まで説得に来た稲田九郎兵衛を、味方に取り込んでしまうアイデア。いずれも重喜本人が思いついたり、その場で力技を決めたりしたのかもしれませんが、この作品ではお楽の手柄ということにさせて頂きました。

 となると、お楽自身もぼんやりした女性であってはなりません。そこそこ情報集めができる人でないと、自ら戦う意志がないと、お殿様を動かすまでには至らないのです。

 お楽を育ちの良いお嬢様とする設定も、できなくはありませんでした。むしろその方が、お殿様に影響を与えるほど頭の良い女性として自然に描けたかもしれません。
 でもそれだと彼女はそんなに頑張らなくても良くなっちゃう。ましてや「色気」を武器に男性に近づくようなことはしないでしょう。やっぱり闇を背負った、身分の低い女性が良かった。がむしゃらに突き進むヒロインの存在が欲しかった。

 そこで徳島藩の職制図を見ると。
 一番隅の目立たない部分に、「伊賀組」という組織がありました。ここに所属する人々が、具体的に何をしていたのかは分かりません。でもこの時代、各藩に忍び集団はいて、表沙汰にできない仕事をしていたのは確かなようです。
 きらびやかな世界と一線を画す、闇の人々。
 これこそ、どこか悲しみを背負ったファム・ファタールを生み出してもおかしくない組織だと思いませんか。

 しかもこの組織、御目付役である佐山家の配下にありました。佐山家の命令で、この忍びたちは動いたわけです。ここで重喜の改革を推し進めた一人、佐山市十郎(実在の人物です)を活かすことになりました。

 彼は結局、重喜の改革を終わらせる運命にもあるわけですが、ここにお楽をはさんだ三角関係を入れ込んでみました。これが効果的であったかどうかは、皆さまのご判断にお任せします。
 なお林建部や樋口内蔵助、また政敵の山田織部、長谷川、賀嶋、稲田といった、身分の高い男性はいずれも実在の人物です。

 成功者を「偉人」としてたたえる歴史小説の方が、圧倒的に多いもの。やっぱりその方が感動できるからです。成功は、まれにみる奇跡なのです。

 だから失敗した人をちょっぴり擁護したところで、「何これ?」と言われて終わりかもしれません。
 でも失敗であるからこそ、人間臭さが浮き彫りになることもあるかと思うのです。失敗はありふれたものなので、誰もが経験しています。だからこそ共感ポイントも見つけてもらいやすいのでは、と思ったのですが、いかがでしょうか。

 歴史物って意外と面白いなーと思って頂けたら、これ以上の幸甚はありません。
 最後までお付き合い頂いた皆様に、心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

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