第36話 きわどい和合
文字数 1,541文字
「ご家老衆。いい加減になされよ!」
林建部は叫んだ。きしむようなその声が、彼の必死さを物語っている。
その場の全員の視線が、一点に射かけられる矢のごとく彼に集中した。
おれもまた、これから始まることに身構えていた。
いかにも貧弱で頼りなげな建部だった。その彼が今、戦場で一番槍を上げるに等しい勇気をもって立ち上がったのだ。覚悟のほどは視線に現れている。この男が絶対に逆らえないはずの相手、すなわち山田織部に向けた視線に、だ。
「殿をさんざんないがしろにして、それでもあなた方は家臣ですか。こんな事態を招いて恥ずかしいとは思われないのですか」
金切り声のような、建部の叫び。
しかしここへ来て、ふてぶてしい山田織部の顔にようやく動揺の色が見え始めた。配下から裏切り者が出るなど、彼の考えにはまるでなかったのだろう。
遅いぞ、建部。
おれは内心、苦笑交じりにつぶやいた。もっと早く言ってくれというものだ。
もちろん建部の方はこれでも精一杯、死にもの狂いなのだろう。あいつは切腹と御家断絶を覚悟した上で、おれの方に軍配を上げたのだ。よくぞ言ってくれたというべきだろう。
実のところ、これがきっかけとなり、明らかに流れが変わり出した。続いて他の中老たちも次々と立ち上がり、建部にならって声を上げ始めたのだ。
「ご家老衆が悪い。殿は正しいことを仰っている」
「我らの仕える主君は、今そこにおわすお方しかいない」
そうだそうだ、とやがては中老以下の家中全員が立ち上がった。そして座席衆四名を指さし、何のかんのと言い立てている。
これまでの恨みつらみもその声に込められているのだろう。まさにこれまでの沈黙は何だったのだろうと思うほどの勢いだった。難詰の声で、今や大広間は大変な騒ぎである。
四名の家老は苦りきった表情でうつむいている。
片や、おれは万感の思いだった。うっすらと浮かんできた涙をまぶたで押し戻し、天井を見上げる。
この五年間、ずっと苦しかった。家臣が自分に心服する日を、どれほど待ちわびたことか。
「……皆の者、静まれ!」
賀嶋 上総 が一喝すると同時に立ち上がった。
一瞬のうちに訪れた静寂と、肩で息をする上総が対照的だった。自分たちが孤立するという、この前代未聞の事態。由緒ある家に生まれたこの男にとって、到底許せるものではないだろう。
だがここで何とかせねば家中が分裂してしまうと、上総は考えたに違いなかった。
「……分かりました。殿の仰ること、まことにごもっともにござる」
ぎゅっと目をつむり、白髪の重臣はおれに向かって頭を垂れた。
「ここは全員が殿に今一度忠誠を誓い、両国の統治に邁進 する旨をお約束する場にしとうございます」
上総は再び腰を下ろすと、居住まいを正し、両手をつき、改めておれを見た。
「殿はそれをお許しくださいますか」
もちろん、異論などあろうはずがない。おれはぐっとうなずいた。
「許す」
「それでは、殿に随順 すること、ここに改めてお誓い申し上げます」
上総が重々しく平伏し、備前も池田も慌ててそれにならった。
山田織部はむっつりと抵抗の意思を示していたが、上総に目で強く促され、仕方なく形だけ頭を下げている。
「……殿。これにて、御家の滅亡だけはご容赦願えますな?」
上総が懇願するように目を上げたので、おれは大きくうなずいた。
「良かろう。わしもまた皆に約束する。君位にとどまり、今後も両国のため、死力を尽くして仕置に取り組んで参ろうぞ」
これは間違いなく、勝利宣言だったと思う。蜂須賀家家中が決裂する危機に直面したものの、きわどいところで君臣は和合したのだ。
これにて波乱の評定は終わった。
だが、とおれは思う。本当にこれで、座席衆がおれに心服してくれたと言えるんだろうか?
林建部は叫んだ。きしむようなその声が、彼の必死さを物語っている。
その場の全員の視線が、一点に射かけられる矢のごとく彼に集中した。
おれもまた、これから始まることに身構えていた。
いかにも貧弱で頼りなげな建部だった。その彼が今、戦場で一番槍を上げるに等しい勇気をもって立ち上がったのだ。覚悟のほどは視線に現れている。この男が絶対に逆らえないはずの相手、すなわち山田織部に向けた視線に、だ。
「殿をさんざんないがしろにして、それでもあなた方は家臣ですか。こんな事態を招いて恥ずかしいとは思われないのですか」
金切り声のような、建部の叫び。
しかしここへ来て、ふてぶてしい山田織部の顔にようやく動揺の色が見え始めた。配下から裏切り者が出るなど、彼の考えにはまるでなかったのだろう。
遅いぞ、建部。
おれは内心、苦笑交じりにつぶやいた。もっと早く言ってくれというものだ。
もちろん建部の方はこれでも精一杯、死にもの狂いなのだろう。あいつは切腹と御家断絶を覚悟した上で、おれの方に軍配を上げたのだ。よくぞ言ってくれたというべきだろう。
実のところ、これがきっかけとなり、明らかに流れが変わり出した。続いて他の中老たちも次々と立ち上がり、建部にならって声を上げ始めたのだ。
「ご家老衆が悪い。殿は正しいことを仰っている」
「我らの仕える主君は、今そこにおわすお方しかいない」
そうだそうだ、とやがては中老以下の家中全員が立ち上がった。そして座席衆四名を指さし、何のかんのと言い立てている。
これまでの恨みつらみもその声に込められているのだろう。まさにこれまでの沈黙は何だったのだろうと思うほどの勢いだった。難詰の声で、今や大広間は大変な騒ぎである。
四名の家老は苦りきった表情でうつむいている。
片や、おれは万感の思いだった。うっすらと浮かんできた涙をまぶたで押し戻し、天井を見上げる。
この五年間、ずっと苦しかった。家臣が自分に心服する日を、どれほど待ちわびたことか。
「……皆の者、静まれ!」
一瞬のうちに訪れた静寂と、肩で息をする上総が対照的だった。自分たちが孤立するという、この前代未聞の事態。由緒ある家に生まれたこの男にとって、到底許せるものではないだろう。
だがここで何とかせねば家中が分裂してしまうと、上総は考えたに違いなかった。
「……分かりました。殿の仰ること、まことにごもっともにござる」
ぎゅっと目をつむり、白髪の重臣はおれに向かって頭を垂れた。
「ここは全員が殿に今一度忠誠を誓い、両国の統治に
上総は再び腰を下ろすと、居住まいを正し、両手をつき、改めておれを見た。
「殿はそれをお許しくださいますか」
もちろん、異論などあろうはずがない。おれはぐっとうなずいた。
「許す」
「それでは、殿に
上総が重々しく平伏し、備前も池田も慌ててそれにならった。
山田織部はむっつりと抵抗の意思を示していたが、上総に目で強く促され、仕方なく形だけ頭を下げている。
「……殿。これにて、御家の滅亡だけはご容赦願えますな?」
上総が懇願するように目を上げたので、おれは大きくうなずいた。
「良かろう。わしもまた皆に約束する。君位にとどまり、今後も両国のため、死力を尽くして仕置に取り組んで参ろうぞ」
これは間違いなく、勝利宣言だったと思う。蜂須賀家家中が決裂する危機に直面したものの、きわどいところで君臣は和合したのだ。
これにて波乱の評定は終わった。
だが、とおれは思う。本当にこれで、座席衆がおれに心服してくれたと言えるんだろうか?