第30話 友達だろ?

文字数 2,158文字

 目付役が動いてくれたことで、お殿様は俄然強気になった。
 翌日、お殿様は張り切ってお出かけになったわ。近習役のうち、その日の出仕である4名に山田諫書を見せ、意見を求めるんですって。
 彼らは中老の家格の者たちで、評定での発言ができる。彼らを取り込む作戦よ。

 だけどお殿様は、がっくりと肩を落として帰ってらしたの。
「……あ~駄目だ。失敗しちゃったよ、お楽」
 フラフラして、私を見るなり目を覆って、お殿様は完全に弱り切った印象だったけれど、私はとにかく抱き留めて部屋の中へいざなった。

 話を聞いてみると、やっぱり近習たちは簡単には同調してくれなかったんですって。
 全面的な実力主義に移行するのは、彼らにとっても不利益なのよ。役席役高(やくせきやくだか)の制の導入については、時期尚早であるとはねつけてきたらしいわ。
 私はもう、怒りを通り越して、情けないぐらいだった。

「んまあ、殿にこのような思いをさせるとは、何たる無礼者。わたくしがぶっ飛ばしてやりとうございます」
「待て待て」
 ようやく落ち着いてきたお殿様は、脇息にもたれかかりながら片手を振ってみせた。
「奴らも一応、考えてはくれたのじゃ。はっきりと、織部に同意しないとも言ってくれた」

 織部は、新法は一切不可って決めつけたのよ。さすがにそこまで言われると、これから新しいことは何もできなくなるから、彼らも反対せざるを得ないと言ったんですって。
 それから、織部がお殿様のことを父祖への不孝者と決めつけた点についてはもちろん問題あり。

 ふう、とお殿様は疲れた表情で述べた。
「近習たちも、これはとても主君に対する言葉ではないと申した。厳しき叱り、または軽き蟄居(ちっきょ)閉門に処すべし、という声も出たぞ」
 私は大きくうなずいた。
「それが正しいと存じます。そう申したのは、どなたにございますか」
「うん? 林建部だが」

「あら」
 まさかと思う名前が一番先に出てきて、私は目を見開いた。
「意外ですこと。あのお方は織部の従弟にございましょう?」
 そうよ、織部がどんなひどい命令を発しようと、あいつだけは従うと思ってた。
 
「建部のやつさあ、本当は織部が嫌いなんだよ」
 お殿様は別に意外でも何でもなかったみたい。脇息を正面に持ってきて、頬杖をついたわ。
「表向きは逆らえずに従っておるが、実は離れたくて仕方がないらしい。時々、本音をぽろっと漏らすんだよな、あいつ」
 
 私はうなずいた。確かに建部ってそういう奴よ。
 ならば、あともうひと押しって気がする。
「決まりですわ。建部どのをお味方になさいませ」

 半刻後、たった一人で呼ばれた林建部が私たちの前にいたわ。
 脇息に片手を預け、長煙管を吸いつけるお殿様の御前で、全身を凍りつかせてる。
 
 お殿様の手が私の腰に回され、私の方もお殿様にしなだれかかった。お殿様の肩に手を置き、その上に頬を乗せて、二人一緒に建部を睨みつけてやったわ。
 何が起こったのか理解したんでしょう。建部は下を向いたままぶるぶると震えてたわ。

 そりゃ、自分が命じた暗殺計画が露見したんだもの、無理もないわよね。
 だけどその怯えよう、情けないじゃない。以前の傲岸不遜な態度はどこへ行ったの?

「……そちを責めておるのではないぞ」
 お殿様は煙管から口を離し、ふうっと細い煙を吐き出した。
「織部に脅されていたことに同情こそすれ、そちが悪いとは思わぬ。この国では誰もが、少しずつ狂うておるゆえな。そもそも近習の者たちは、何かというと座席衆の専断を排そうと申しておったではないか。否やはなかろうが」

 建部はまったく動かなかった。
 この阿波の国では、中老は座席衆とは対立する勢力よ。でも一方で、代を重ねるごとにその庇護を得てきた。
 中でも織部は近い親戚だもの。真っ向から対立すれば、この男は困るでしょうね。

「佐山から聞いたやもしれぬが、目付役はわしに付いた。これで中老がわしについてくれれば、座席衆とてもう逆らえぬ。そちの力が必要なのだ」

 建部は額に滲む汗を拭おうともせず、泣き出しそうな目でお殿様を見上げたわ。
「あの……殿は……」
「何じゃ」
「殿は、それがしに死を賜らぬのでございますか」

 お殿様は微笑して煙草盆を引き寄せ、かつんと煙管の灰を落としたわ。
「わしは、そちを信頼しておる。そもそも同い年ではないか。友達だろ?」
 はあ、と建部はまだ震えながら下を向いてる。そこへお殿様は追い打ちをかけるように言い放った。
「近いうちに対決する。もう一度御前評定じゃ。そちは先頭に立って、わしの側に付け。徹底的に敵を論駁してやるのじゃ」
 
 建部は参ったとばかりに目を閉じ、肩で息をし、やがて平伏したわ。
「……御意にござりまする」
「下がって良い」
 用事は済んだとばかりに、お殿様は顎で廊下を指した。

 建部が立ち上がると同時に、お殿様は新たに吸い付けた煙管をふざけて私の口に押し込んできた。私は逆らわず、そんなお殿様に体を預ける。やがて煙とともに笑い声を吐き出したわ。

 今度はお殿様の手が私の着物の裾を割って入ってきて、太腿をまさぐってくる。二人ともすでに体に火が付いちゃってるわ。
 お殿様と一緒にくすくすと笑ってたら、廊下に出た建部が振り返り、恐れをなしたように視線を投げかけてきた。
 早くそこ、閉めて。あんたはとっとと消えなさいよ。

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