第16話 織部であろう

文字数 2,032文字

 これまで私、何度も伊賀組の女たちから、きついことを言われてきたわ。お前はまだ甘いって言われてきたわ。
 そのたびに、何でこんなに叱られるんだろうって思ってきたけど、彼女たちは確かに私の中に甘さを見たのかもしれない。みんな自分を押し殺し、心で血を流して生きてるんだもの。私のように、どこかぼんやりして、いつまでも無邪気を引きずってるような女が許せなかったんでしょう。

 私は強い言葉を浴びせかけられるたび、掟の中に生きる自分を意識した。伊賀組を守るため、早く皆さんのように一人前にならなくちゃって、自分を責めながら生きてきた。

 だけどそんな日々も、もう終わりよ。
 もう何があっても構わない。伊賀組なんて時代にそぐわない組織は、とっとと解散すればいいじゃない。

 だから、藩主暗殺を命じられた自分の立場を、私はその当人に向かって全部話したわ。
 泣きながら。すべてを吐き捨てるように。
 いいでしょう? どうせ私は死ぬんだもの。何がどうなろうと知るもんですか。

 お殿様は無言で耳を傾けてくれてたわ。
 こうなれば、もう伊賀組は終わりね。組頭は打ち首、建部のような一部の藩士が私を遣わしたことについて責任を押し付けられ、切腹することになるでしょうよ。

 だけど、あの山田織部。
 あいつの名前はきっと出ないようになってる。みんながしっかりとかばってるもの。

 えらの張った、あの独特な風貌を思い出す。
 ご家老様は汚らわしいっていう目つきで、この私をちらっとご覧になっただけよ。自分が与えた任務の過酷さを知っていながら、私なんかと関わりを持ちたくなかったんでしょう。

 ああそうだって、私はしゃくりあげながら思ったわ。死ぬ前に、黒幕の名は明かしておかねば気が済まない。そうでなきゃ、死んでも死にきれない。

「……死ぬ前に……死ぬ前に、これだけは申し上げます」

 畳の上にぽたぽたと涙を落としながら、私はにじり下がり、改めて両手を付いた。
「恐れ多くも、殿のお命を狙った、そのお方の名は……」

「織部であろう」
 あっさりとお殿様がおっしゃるものだから、私はその場に固まった。
 涙を流したまま見上げたら、相手はふっと薄い笑みを浮かべたわ。

「……いや、そうじゃないかと思ったんだ」
 お殿様が力なく顔を横に向ける。周囲に渦巻く陰謀の匂いには、とっくに気づいていたかのように。

 この人を絶望させてしまった。私はひたすらそのことが悲しかった。
「申し訳ございませぬ」
「気にするな。この家には、まさしく狂気が吹き荒れておる。そなたでなくとも、いずれ誰かがやって来たであろう」
 
 おいで、とお殿様は真顔で私に手を差し伸べた。
「つらい役目であったろう。かわいそうに」

 もう耐えきれない。もう表情を保てない。
 私はお殿様の手に自分の手を重ね、その胸にすがりついて号泣したわ。何もかも忘れて感情を爆発させたわ。

 この手で殺すはずだった人の着物を、私は遠慮もなく涙で濡らしてた。
 同時に、こんな人がいるんだなあって思った。この人は、暗殺者にさえ慈悲を払うのね。私を責めることなく、黙って頭を撫でてくれるのね。

 ところがお殿様は、ふと思いついたように声を発したわ。
「そなた、身内の者を人質に取られておるか……?」
「いいえ」
 私は一旦お殿様から離れ、顔を伏せたまま大きくかぶりを振った。
「このような役目に遣わされましたのは、係累がおりませぬゆえにございます。たぶんこの仕事が済めば、わたくしは殺されるさだめにございます」

 自分で言いながら、ああそうなのか、と思ったわ。
 成功しても失敗しても命はないのよ。私の命なんて、その程度のものよ。まして忍びならこれも運命として受け入れるべきなのかもしれない。

 だけど私ったら、そんな自分の境遇を一度も疑ったことがなかった。考えてみれば不思議だったわ。これまでの私は、一体どれほどの思考を封じられてきたのかしら。

「ひっでえ話だな」
 お殿様は吐き捨てるように言い、そのまま、天上に向けた両手をわなわなと震わせたわ。
「……織部。あんのやろう~……!」

 だけど怒りの沸騰は長くは続かない。お殿様はふいに私の両手を取り、じっと目を覗き込んできた。
「良いか、お楽」
 私は見つめ返し、ごくっと唾を飲み込んだ。
「ふざけた命令など、もう忘れろ。織部とは連絡を取るな。あの男、いつかわしが始末してやる」

 信じられない思いで、私は泣きはらした目を見開いた。お殿様はその視線を丸ごと受け取るように、大きくうなずいたわ。
「わしも、そなたも、所詮はよそ者じゃ。阿波はよそ者に厳しいが、屈してたまるか。わしは逆襲する。お楽も負けんじゃねーぞ」

 さっきまで降りしきっていた雨の音が、いつの間にか止んでる。自分を包むお殿様の手が、これまでになく大きく温かいような気がしたわ。
「この国を乗っ取ってやる。そちも協力せよ」
 大きな宣言だった。私は息を呑み、そんなお殿様を見つめ返す。

 宝暦八年の、燃えたぎるような夏が近づいてる。
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