第3話 謎の女
文字数 1,303文字
「申し上げます。いずれの方々も平穏に暮らしておられる、とのことにございまする。百姓どもに再度の決起を呼びかけることもなく、ただ殿のお怒りが解けるのを静かにお待ち申し上げているそうにございます」
建部の言葉に、おれは胸をなでおろす。
「相 わかった」
いや、そうだと思ってたよ。最初から彼らに対して怒ってたわけじゃない。
むしろ、もしおれがその立場にあったら、やっぱり百姓のために戦ったかもしれないと思う。ほとぼりが冷めた頃に、そっと全員を元に戻してやりたいな。
おれは引き続き、建部の報告に耳を傾ける。
弥左衛門たちは行商のふりをして、蜂須賀家に反旗を翻した人物たちの元に入り込んだのだそうだ。生活実態を調べる、というただそれだけの役目ではあるが、身元が割れれば殺されかねないから、やはり大変な仕事だ。
藩の威信が届かぬ阿波の山奥は、古くからの山の民が跋扈する不気味な土地だという。逆臣となった人々が城下から離れて頭を冷やすために、そのような判断がなされた。しかし彼らにしろ、この忍び達にしろ、道中を含めて身の危険は多々あっただろう。
おれは立ち上がった。このおれのために働いてくれた者には、分け隔てなくねぎらってやることにしている。
ましてここは城中ではないのだから、作法を気にする必要はなかった。おれは遠くでひれ伏す弥左衛門のところまでつかつかと歩いて行き、彼の目の前に片膝を付いた。
「ご苦労であったな。危ない目には遭わなんだか」
は、と弥左衛門は恐縮したように地面に這いつくばった。この男は、表立っては藩主の目通りが許されない身分である。
「……お言葉、痛み入りまする」
控え目で、しわがれた声が返ってきた。
そこで初めて、おれは隣でじっと平伏している女に気づいた。女連れは疑われることが少ないから、向こうで弥左衛門と夫婦だか親子だかを演じたのだろう。
「女子にも危険な仕事をさせておるのか」
思わずそう聞いたが、女は口を緘 し、ひれ伏したままだ。
弥左衛門がわずかに顔を上げ、代わりに答えてきた。
「……任でござりますれば」
旅で薄汚れた格好ではあるが、女のうなじの白さが目に付いた。弥左衛門よりだいぶ若いように見受けられる。
「そちの娘であるか」
いえ、と弥左衛門は首を振った。
「組の者にございます。親がおりませぬゆえ、今はわが屋敷に」
地面に付いたその娘の手が、赤く荒れているのが見えた。弥左衛門の元でこき使われている女なのだろうが、それにしては妙な艶麗さを放っている。髪からも、そして肌からも。
何の匂いだろう、これは。
おれはこっそり首を傾けた。
よく分からないが、たぶん、その手の役割の女なのではなかろうか。今回の任務でも、必要があればその体を使って話を聞き出すように指示されていたのかもしれない。
自分が何かを命令すれば、必ず誰かが痛い思いをする。因果なものだ、とおれは思う。
「面を上げよ」
痛々しい思いで、おれは女に声を掛けた。
「何か褒美を遣わそう」
女はそれでもじっと動かず、隣の弥左衛門にうながされてようやく少し顔を上げた。
途端に目が吸い込まれた。
現れたのは、意外なほど劇的な顔立ちだった。
建部の言葉に、おれは胸をなでおろす。
「
いや、そうだと思ってたよ。最初から彼らに対して怒ってたわけじゃない。
むしろ、もしおれがその立場にあったら、やっぱり百姓のために戦ったかもしれないと思う。ほとぼりが冷めた頃に、そっと全員を元に戻してやりたいな。
おれは引き続き、建部の報告に耳を傾ける。
弥左衛門たちは行商のふりをして、蜂須賀家に反旗を翻した人物たちの元に入り込んだのだそうだ。生活実態を調べる、というただそれだけの役目ではあるが、身元が割れれば殺されかねないから、やはり大変な仕事だ。
藩の威信が届かぬ阿波の山奥は、古くからの山の民が跋扈する不気味な土地だという。逆臣となった人々が城下から離れて頭を冷やすために、そのような判断がなされた。しかし彼らにしろ、この忍び達にしろ、道中を含めて身の危険は多々あっただろう。
おれは立ち上がった。このおれのために働いてくれた者には、分け隔てなくねぎらってやることにしている。
ましてここは城中ではないのだから、作法を気にする必要はなかった。おれは遠くでひれ伏す弥左衛門のところまでつかつかと歩いて行き、彼の目の前に片膝を付いた。
「ご苦労であったな。危ない目には遭わなんだか」
は、と弥左衛門は恐縮したように地面に這いつくばった。この男は、表立っては藩主の目通りが許されない身分である。
「……お言葉、痛み入りまする」
控え目で、しわがれた声が返ってきた。
そこで初めて、おれは隣でじっと平伏している女に気づいた。女連れは疑われることが少ないから、向こうで弥左衛門と夫婦だか親子だかを演じたのだろう。
「女子にも危険な仕事をさせておるのか」
思わずそう聞いたが、女は口を
弥左衛門がわずかに顔を上げ、代わりに答えてきた。
「……任でござりますれば」
旅で薄汚れた格好ではあるが、女のうなじの白さが目に付いた。弥左衛門よりだいぶ若いように見受けられる。
「そちの娘であるか」
いえ、と弥左衛門は首を振った。
「組の者にございます。親がおりませぬゆえ、今はわが屋敷に」
地面に付いたその娘の手が、赤く荒れているのが見えた。弥左衛門の元でこき使われている女なのだろうが、それにしては妙な艶麗さを放っている。髪からも、そして肌からも。
何の匂いだろう、これは。
おれはこっそり首を傾けた。
よく分からないが、たぶん、その手の役割の女なのではなかろうか。今回の任務でも、必要があればその体を使って話を聞き出すように指示されていたのかもしれない。
自分が何かを命令すれば、必ず誰かが痛い思いをする。因果なものだ、とおれは思う。
「面を上げよ」
痛々しい思いで、おれは女に声を掛けた。
「何か褒美を遣わそう」
女はそれでもじっと動かず、隣の弥左衛門にうながされてようやく少し顔を上げた。
途端に目が吸い込まれた。
現れたのは、意外なほど劇的な顔立ちだった。