第35話 そう来ると思ったぜ

文字数 1,571文字

「正直に言え、佐山」
 オレは同年代の家臣の肩をつかみ、その顔を間近に覗き込む。
「そちも本音では、このどうしようもない阿波の国を変えたいのであろう? わしにその手を使ってくれと言いたいのであろう?」

 大柄な佐山は、心底怯えたように身を縮める。
「い、いや、そんな」
「良い。分かっておる。それはあくまで奥の手じゃ。こっちはそういうこともできるのだと示すことに意味がある」

 しかし爆弾を投げ込んだその時のことを考えると、おれだってやっぱり冷や汗ものだった。家中一同が、この主君は手に負えないという結論に達してしまったら。まさに何が起こるか分からないのだ。

 そっと夜の庭に目をやった。人が多いため戸を開け放したままになっているが、植え込みの陰に何人もの人影がうごめいているような気がしないでもない。

 目はそこに置いたまま、おれは他の者には聞かれないぐらいの声でささやいた。
「佐山。伊賀組は配置しておるか」
「はっ」
 今度は鋭い反応が返ってきた。佐山は落ち着き払い、座敷の奥のぴったりと閉じられた戸に視線を走らせる。

「武者隠しに」
 まるで最初からそのつもりでいたかのようだ。その横顔を頼もしく感じ、おれはうなずいた。
「斬り合いになるやもしれん。そちはわしの側にいよ」
 佐山はわずかに視線を揺らめかせたが、もちろん反論などはしない。
「御意」
 そう言って軽く頭を下げた。

 やがて評定が再開したが、案の定と言うべきか、やはり埒もない議論が続いた。
 これではさっきと同じである。おれは小姓に代わって側についた佐山の方へ、ちらっと視線を走らせた。

 すまんな。佐山。おれだって血は流したくないんだが、致し方ない。
 心中で謝ると、おれは出しぬけに立ち上がった。
「皆の者。よく分かった。一統の同意を得られぬのは我が身の不肖ゆえ、わしは隠居するとしよう」

 座はしんとした。主君が何を言い出したのか、すぐには理解できない様子だった。
「蜂須賀家には、阿淡両国を経営する資格がないことが明らかとなった。よって、領地は公方様にお返し奉ったうえ、家中はこれにて離散する。皆の者、今後は大変だが、畑を耕すなり、商いをするなり、おのおの暮らしを立てて行くがよかろう。皆の幸運を祈る」

 四人の家老の口が、みるみる大きく開いていく。
 賀嶋上総が腰を浮かせた。
「ちょ、ちょっとお待ちを、殿……!」
 
 それまで発言の少なかった賀嶋備前や池田登も上総に同調する。
「殿、お静まりを」
「やけを起こすのはおやめ下され」
 
 明らかに狼狽している彼らだが、こっちは面白がっている場合ではなかった。おれは拳を握り、脇にじっとりと冷や汗をかいている。
 奴らの一人が何か妙な指示を出すかもしれない。そいつの隠していた刺客がここへ飛び込み、おれを襲ってくるかもしれない。

 しかしそんなおれの警戒をあざ笑うがごとく、暗闇で何かが動く気配はなかった。
 こっちは全力で身構えているというのに、杞憂だったのだろうか。白刃をかざして飛び掛かってくる者はおろか、風さえも止んだ静けさだ。
 
「あ~、そうですか」
 一人静かに座っていた山田織部が、明らかにおれを馬鹿にした態度で口を開いた。
「ならば結構にござる。何も御家の仕置を終わらせる必要はございません。器量のないどこかの殿様にはご隠居頂き、我らは新たに英明な君主をいただくと致しましょう」

 そう来ると思ったぜ!

 もう何も怖くない。おれは織部を見据えて言い返した。
「わしは、誰にも家督を譲らぬぞ。蜂須賀家はここまでじゃ」
 
 この、言葉による斬り合いに、ざわめきはまたも大きくなる。おれは御家の存続という人質を取ったも同然。多くの者にとってそれは絶体絶命だった。

 変化が起こったのはそのときだ。
 中段の間から、痩せて小柄な若者がぶるぶる震えながら立ち上がった。近習役の林建部だった。

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