第28話 元彼が警固役
文字数 1,332文字
ひれ伏していた市十郎が身を起こす。
睨みつけていた私と、すぐに視線が合った。
この状況に耐えられなくて、私はぷいと顔を背けた。
そうだった。この男、私と別れてまもなく家督をしたんだもの。今は徳島藩の御目付役って言ったら、この男を指すんだわ。
何もご存じでないお殿様は、怖がらずとも良い、と私の耳元でささやいてきたわ。
「家中で一番信用のおける男じゃ。今は近習以上に、わしを守ってくれておる」
少々引け目を感じつつも、私はそうっと市十郎を観察した。
相変わらず、ずんぐりと太ってるし、髪もボサボサね。今や重い役職に就いてるっていうのに、何よその、着古した木綿の着物。野暮ったいことこの上ないわ。
お殿様は反対に、颯爽と絹の御召し物を羽織ってらっしゃる。江戸育ちで洗練されてて、何でもお似合いになるの。ほんと、比較にならないわ。
でも確かに、佐山市十郎ほど藩主の護衛にうってつけの男はいないかもしれなかった。もともと市十郎は番方の家筋として、一揆の鎮圧や何かに出向いてきたの。部屋住みだったあの頃から、この男がくさり鎌を手にした百姓と渡り合い、何人も斬り殺してきたのを私も知ってる。
いわば、きれいごとなしに実戦経験を積んでいる男なのよ。お殿様ご自身もそれなりに鍛えてはいらっしゃるけれど、本当に人を殺した経験はない。いつどこで刺客に襲われるか分からないのだから、こういう男を側に置く必要があるのは確かだった。
お互いに目を合わせられない雰囲気の中、市十郎は真剣な表情で山田諫書 に目を通してたわ。
やがて読み終えると、市十郎はさっと顔を上げ、驚きと怒りを露わにした。
「何ということ……殿に向かって、不敬不届きの至りにござる」
お殿様は重々しくうなずいた。
「やはり、佐山もそう思うか」
「いや、ご家老の専横は前々から評判が悪うござったが、ここまでとは思いませなんだ」
市十郎は諫書を元通りにたたみながら、厳しい表情でお殿様を見上げてきた。
「これは大事な証拠にござるが、しばしお預かりしてよろしいか。それがし、これより目付役の仲間一統を集め、殿の支持に回るよう談じますゆえ」
お殿様の表情がぱっと明るくなった。
「うん。佐山に任せる。よしなにやってくれ」
私としては今後も市十郎と顔を合わせるのは嫌だったけれど、そんなことを言ってる場合じゃないわよね。これから主君派というものを形成するに当たって、藩の御目付役が入ってくれるのは大きいもの。
御目付役って、人を捕えて取り調べ、裁く力そのものよ。さらには目付役の下に鉄砲組藩士や伊賀組が配されてるんだから、彼らを引き入れることはすなわち国を武力制圧できるってこと。
市十郎が帰った後、お殿様も満足気におっしゃったわ。
「評定の場では、市十郎たちは警固役として廊下に控えておる。発言は許されておらぬものの、そこにおるだけで家老どもを圧迫するゆえ、支持が得られればこれは大きいぞ。佐山がうまくやってくれると良いな」
果たして市十郎は、翌日またやって来た。思いのほか、行動が早いと言うべきだったわ。
「御目付役一同は、殿にお味方いたすことになり申した」
いつになく自信ありげな態度。おお、とお殿様が感激の声を上げる。
「まことか、佐山」
睨みつけていた私と、すぐに視線が合った。
この状況に耐えられなくて、私はぷいと顔を背けた。
そうだった。この男、私と別れてまもなく家督をしたんだもの。今は徳島藩の御目付役って言ったら、この男を指すんだわ。
何もご存じでないお殿様は、怖がらずとも良い、と私の耳元でささやいてきたわ。
「家中で一番信用のおける男じゃ。今は近習以上に、わしを守ってくれておる」
少々引け目を感じつつも、私はそうっと市十郎を観察した。
相変わらず、ずんぐりと太ってるし、髪もボサボサね。今や重い役職に就いてるっていうのに、何よその、着古した木綿の着物。野暮ったいことこの上ないわ。
お殿様は反対に、颯爽と絹の御召し物を羽織ってらっしゃる。江戸育ちで洗練されてて、何でもお似合いになるの。ほんと、比較にならないわ。
でも確かに、佐山市十郎ほど藩主の護衛にうってつけの男はいないかもしれなかった。もともと市十郎は番方の家筋として、一揆の鎮圧や何かに出向いてきたの。部屋住みだったあの頃から、この男がくさり鎌を手にした百姓と渡り合い、何人も斬り殺してきたのを私も知ってる。
いわば、きれいごとなしに実戦経験を積んでいる男なのよ。お殿様ご自身もそれなりに鍛えてはいらっしゃるけれど、本当に人を殺した経験はない。いつどこで刺客に襲われるか分からないのだから、こういう男を側に置く必要があるのは確かだった。
お互いに目を合わせられない雰囲気の中、市十郎は真剣な表情で山田
やがて読み終えると、市十郎はさっと顔を上げ、驚きと怒りを露わにした。
「何ということ……殿に向かって、不敬不届きの至りにござる」
お殿様は重々しくうなずいた。
「やはり、佐山もそう思うか」
「いや、ご家老の専横は前々から評判が悪うござったが、ここまでとは思いませなんだ」
市十郎は諫書を元通りにたたみながら、厳しい表情でお殿様を見上げてきた。
「これは大事な証拠にござるが、しばしお預かりしてよろしいか。それがし、これより目付役の仲間一統を集め、殿の支持に回るよう談じますゆえ」
お殿様の表情がぱっと明るくなった。
「うん。佐山に任せる。よしなにやってくれ」
私としては今後も市十郎と顔を合わせるのは嫌だったけれど、そんなことを言ってる場合じゃないわよね。これから主君派というものを形成するに当たって、藩の御目付役が入ってくれるのは大きいもの。
御目付役って、人を捕えて取り調べ、裁く力そのものよ。さらには目付役の下に鉄砲組藩士や伊賀組が配されてるんだから、彼らを引き入れることはすなわち国を武力制圧できるってこと。
市十郎が帰った後、お殿様も満足気におっしゃったわ。
「評定の場では、市十郎たちは警固役として廊下に控えておる。発言は許されておらぬものの、そこにおるだけで家老どもを圧迫するゆえ、支持が得られればこれは大きいぞ。佐山がうまくやってくれると良いな」
果たして市十郎は、翌日またやって来た。思いのほか、行動が早いと言うべきだったわ。
「御目付役一同は、殿にお味方いたすことになり申した」
いつになく自信ありげな態度。おお、とお殿様が感激の声を上げる。
「まことか、佐山」