第26話 ふざけた手紙

文字数 1,631文字

 私は慌ててお盆を脇に置き、くしゃくしゃになった紙を拾い上げた。

 開いた途端、最後に記された山田織部の署名が目に入った。
「ひどいもんだ。織部は真っ向から反対する気だぞ」
 お殿様が怒り心頭でおっしゃって、私は自分が叱られているような気がしたわ。

 まだ内容がよく分からないし、ここで何か発言したら余計に怒らせちゃいそうだった。だから私、身を縮めるようにして、もう一度書面に目を落としたわ。

 私には解読が難しい所もあったけれど、読める字を必死に拾っていって、だいたいは理解できた。
 お殿様が何を怒ってらっしゃるのか、ようやく分かったわ。織部は不敵にも、伝統を打破しようとするお殿様のことを「お考え違い」と断定してる。要するに、若く未熟な藩主を(いさ)める内容なのよ。

 織部はこう言ってる。
 現状で十分に阿波の国は治まっている。それを無理に変えようとしては民衆がついて来ず、混乱を招く恐れがある。だいたい百六十年も続いてきた蜂須賀家代々の作法を、養子であるお殿様が個人の考えで変えるのは、先祖尊崇の念の欠如である。論語にも「父の道は三年改めず」とあるではないか。孟子にも「天の時は地の理にしかず」とあるではないか。

「地の利、の誤りだよな。まったく重臣の教養がこの程度かと悲しくなってくるわ」
 お殿様は文面を指差して言いながら、イライラと膝を揺らしたわ。
 
 確かにこれは、家臣が主君に対して取る態度じゃなかった。お殿様が歩み寄ろうとしているのに、織部はそれをはねつけた。のみならず、お殿様の人格を攻撃してきたのよ。

 あ~あ、とお殿様は呆れたようにため息を漏らす。
「織部のやつ、面と向かってわしに諫言する勇気がなくて、書面にしたのであろう。しかも単なる保身の意図が透けて見える。恥ずかしいとは思わなんだのか」
 お殿様は同意を求めるように私の方を見た。
「これ、お楽はどう思う?」

 私は何と言って良いのか分からなくて、軽く肩をすくめたわ。
「……文字にして書かれると、心が傷つきますね」
「だろ? すっげえムカつくんだよ、あいつ。まだ面と向かって言ってくれた方が良かったのに」
 お殿様は憤然としてるけど、私にはむしろ織部の小心ぶりが意外だったわ。
 私も人付き合いは苦手な方だから、人のことは言えなかった。相手の反応が怖くて言うべきことが言えない、なんてことは多々あるもの。
 
 だけどこの国の最高権力者がそれで良いわけがなかった。織部のような男には、そんなあやふやな態度は許されないはずよ。
「……ご家老の地位にあるまじき低能ぶりですわね」
 私は気を取り直し、居住まいを正したわ。
「ご改革は御家の繁栄のためですし、何より殿は、ご家老の立場を守ると仰いました。ご家老はさほどに殿のご配慮を賜っておきながら、まだ反対するなんて」

「反対なんだよ。どうあっても反対なんだよ。理屈はどうにでもつけられる」
 お殿様は、あ~っと叫んで頭を掻きむしった。
「既得権益を守ろうとする力は、わしが思っていたよりずっと強いようじゃ。みんな、自分が一番大事なんだ」
「自分が一番、ですか……」
「そうじゃ。悔しいが、織部の言い分が滅茶苦茶でも、みんな織部の味方をするだろう。それが現実じゃ」

 その時、私はふいに思いついた。
「ならば、ご近習の皆様にご相談あそばされては?」
 そうよ。前にお殿様ご自身がおっしゃってたじゃない。近習の者たちはお殿様と年齢が近いこともあって、藩の現状に対してかなり批判的だって。彼らは家老に次ぐ中老身分の者が就いてるから、それなりに発言力もあるはずよ。
「ご近習の中になら、殿のお考えに近い方もいらっしゃるのではないでしょうか」

「近習だって?」
 お殿様がただならぬ厳しい表情を滲ませ、私ははっと口をつぐんだ。
 まずい。余計に立腹させてしまったわ。
「あいつらが頼りになるなら、誰も苦労などせんわ!」
 怒鳴り声が降ってきて、脇息がバンバンと叩かれる。私はもう恐懼して一歩下がり、ひれ伏すしかなかったわ。


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