第25話 役席役高の制

文字数 2,071文字

 権力を握る座席衆に対して、重喜(しげよし)派、主君派とも言うべきものを作り上げねばならない。お殿様は何度もそう仰ってる。

 ええ、そうでしょうとも。
 私にもよく分かるわ。ほんと、その通りだと思うわ。

 だけど、ひどいじゃない? お殿様は取り込むべき最初の相手として、無謀にも仕置家老、山田織部を選んだのよ。

「なぜでございますか!」
 二人きりになった途端、私はお殿様につかみかかった。
「織部なんて……山田織部なんて、お殿様にとっても、わたくしにとっても、天敵のような者ではございませんか!」
 涙が出そうだったわ。こんなにひどい裏切りはないって思ったわ。

 だって、あの男を始末してくれるっていう約束だったじゃない。
 お殿様はお忘れになったのかしら。私の気持ちなんか、どうでも良いって思われたのかしら。

「これこれ、落ち着け、お楽!」
 お殿様は目を白黒させながら、私の両手を引きはがす。
「わしの首を絞めるな。殺す気か」

 ゲホゲホっと喉をさすって、お殿様は私を指さした。
「そなたの気持ちはよ~く分かる。あの悔しさを、わしとて忘れたわけではないぞ」

 今度は私の二の腕をつかむと、懇々と言い含めてきたわ。
「だがよく考えてみよ。織部はこの国の仕置家老じゃ。他に比する者のない権力者じゃ。そんな織部とわしが組んでこそ、皆がついて来てくれるというもの。新法を推し進めるに当たって、織部に中心となって動いてもらうのが得策であろうが」

 そのご新法を、お殿様は「役席役高(やくせきやくだか)の制」と命名してるの。
 藩の職制に関するものよ。要するに従来の家格主義を脱して、能力主義に切り替えるっていうもの。役職に基準の役高をもうけ、在任中は足高(家禄との差額補てん)を与えるのよ。
 これでおのずと、身分の低い者にも高位の役職に就く道が開かれる。

 この発想自体は、別に目新しいものじゃないそうよ。ほとんど将軍吉宗の「足高(たしだか)の制」を真似たものなんですって。
 だけど家筋の厳しい阿波では、これだけで十分に衝撃的。考え出したお殿様ご自身も、この国を混乱に陥れるんじゃないかと不安に凝り固まってたの。
「わし自身が出自に劣等感を持っておるわけで、またそれを皆が知っておる。これは絶対に叩かれるぞ」

 そんなわけで、せっかくのご新法なのに発表できずにきたのよね。
 だけどもう、年が改まって宝暦九年に入ってる。参勤の時期が迫ってきた現状を踏まえれば、もうこれ以上、先延ばしはできなかったの。

「なるべく早う動かれませ」
 私はあの手この手で、お殿様を説得したわ。
「怖い怖いと仰っている場合ではありませぬ。本気で藩政改革をするとなれば、殿の御不在の間にも国元は動かねばならぬのです。今から準備を進めねばなりませぬゆえ」

 そんなわけで、二月に入ったある日のこと。
 お殿様はとうとう家臣一同を大広間に集め、ご新法を発表なさったわ。

 そして解散後、お殿様は山田織部をその場に残らせ、二人だけで率直に話をしたそうよ。
 お殿様はもう、決死の覚悟。そりゃそうよ、これまで会話もままならなかった二人だもの。膝を付き合わせて話せただけでも奇跡だわ。

 お殿様はその一部始終を、後で私にも聞かせて下さった。うまくいったのが、その表情からも見て取れたわ。

「これまで通り家老の立場を尊重すると、わしははっきり伝えたぞ。わしは織部の手腕も、これまでの実績も高く評価しておるのじゃ。向こうが分かってくれればそれで良い」
 
 私にもよく分かったわ。お殿様はこれまでの恨みつらみを忘れ、織部を良き理解者にしようとなさってる。私はまだあのご家老を許せなかったけど、こうなったらお殿様の方が正しいのかもしれなかった。

 それによく考えたら、私にとってもお殿様と織部が連合してくれるならその方が良かった。もう妙な命令を出されて板挟みになることもなくなるもの。

「織部は相分かりました、と申してな。ちゃんとこうして、わしに頭を下げたぞ」
 家来が低頭する、その真似をしながら、お殿様は横目でいたずらっぽく私を見る。
「な? もう大丈夫じゃ。あいつは敵ではなく、味方になった。お楽は何の心配をせずとも良いぞ」

 私はニッコリ頷いた。いや、笑ってはみたけど、すぐに真顔に戻ってしまった。
 胸の奥にはまだ何かがとどろいてる。
 本当かしら? 甘いんじゃないかしら?

 だって、私は一度しかご家老に会ってないけど、あの人の冷たい目は忘れられないもの。平気で主君暗殺を命じてきたあの織部が、そんなに簡単に翻意してくれるとは思えない。

 私はずっと半信半疑だった。庭の梅の花がほころび、奥御殿全体がかぐわしい香りに包まれても、まだまだ華やかな気分にはなれなかったわ。
 そして実際、数日後にはその不安が的中したの。

 お殿様は荒々しく足を踏み鳴らして、昼前の早い刻限から奥御殿に現れたわ。
 お成りを知らされて、私は大急ぎでお座敷へお茶を運んだのだけれど、当のお殿様はひどく気が立ってて、そんな物には目もくれなかった。

「織部がこんなものを寄越してきた」
 と言って、私の方へばさっと紙の束を投げてよこしたわ。

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