第11話 魔の首すじ

文字数 1,306文字

 私、知ってるわ。
 男たちが自分のどこに惹かれるのか。

 首すじよ。
 意外だけど、顔じゃないの。最初はみんな、私の顔に見入るのにね。
 こんな古びた藍木綿の着物だけど、いいえ、たぶん何を身に着けてるかは関係ない。伊賀組の女には、生まれながらにこの魔力を発せる者が何人かいるのよ。

 衿と、少し汗ばんだ肌とのちょうど境目あたり。ここよ。
 男たちの目は決まって釘づけになるの。何かに囚われたように、動けなくなるの。ここに手を入れて、という声さえ聞こえるらしいわ。

 だから藩主重喜(しげよし)様も、てっきりあの鹿狩の時にその声を聞いて、私をお召しになったんだと思ってた。
 だけど実際のお殿様は、この私をご覧になってもあまりうれしそうじゃなかったの。むしろ周囲に強制されて、仕方なく奥御殿へやってきたという感じだった。

 間近で見たら、本当に端正なお顔をなさった、若いお殿様だったわ。布団の脇できちんと正座をし、もじもじとなさってる。

「ま、まことに相済まんが……」
 お殿様は、本当に申し訳なさそうに仰った。
「わしはそんなつもりではなかった。さっき建部に言われて驚いたところだ。せっかくだが帰ってくれ」

 何を言ってるの、この人?
 私は小首を傾けた。

 今さらそんなことを言われたって、困るわよ。こっちは今夜のために全身を磨き上げてきたわけだし、ここまでしっかりお仕度して帰れるわけないじゃない。
 だいたい、と私はお殿様の全身を観察する。本当にそのつもりがないなら、中奥にもご寝所があるのだし、お一人でお休みになれば良いじゃない? 奥御殿へ来る必要はなかったはずよ。

 こうしてしっかり寝巻に着替えて来たということに、すべてが表れてる。
 この人、あの鹿狩の日から私のことで頭がいっぱいで、会いたくて会いたくて気が狂いそうだったんじゃないかしら。輾転反側(てんてんはんそく)、一晩中眠れずに身もだえしてたんじゃないかしら。

 こっちは先ほどきせに、いろいろ指示されたところよ。半分だけ、本気で相手に惚れてしまえばいいって。これで大抵の男は陥落するって。

 気取り屋のお殿様。私はそうっと、その手を取ったわ。

 思った通り、お殿様が息を呑んだのが分かった。私は構わず、その手を自分の頬に押し当て、そのまま魔の首すじを通って胸へと滑らせた。
 ほら、火照ってるじゃない。逃がすつもりはないわよ?

 お殿様の手はなおも逡巡し、とまどい、悩んでる。何か押しとどめる、この先に進んではいけないと思うものがあるんでしょうね。
 妻子のことかしら。それとも、いらぬ倫理観?
 突き上げる衝動を押し殺して、かわいそうなお殿様は何度も肩で息をしてたわ。

 なめらかな絹の寝間着をまとうお殿様を、私は熱をこめ、すくい上げるように見る。
 いいのよって心の中でささやきかけた。あなたには面倒なことを頭の隅に追いやり、桃源郷に遊ぶ権利がある。

 相手はなかなか動かなかった。
 これで駄目なら、私に次の秘策はなかった。お殿様がどうしても一儀に及んで下さらなかったら、諦めるしかないわ。
 だけど十分に脈はありそうだった。その手を引っ込める様子はないし、欲望を抑えきれるかどうか、ギリギリの所にいるのが伝わってきたもの。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み