第17話 裏切り者
文字数 2,271文字
私はパチン、と鋏 を鳴らす。今、お花の茎を切って挿し花にしてるところよ。
激高したきせは、ものすごい勢いで私の横に座り、横から私の手首を捕まえた。
二人の視線が一閃する。
「あたしを殺す気?」
小声で言いつつ、私は鋏を握り締め、そのままきせを睨み上げた。
「やれるもんならやってみろ。このクソババア!」
いわゆるキツネ目ってやつね。きせはその細い目をもっと吊り上げたわ。
「……呆れたこと。何もしゃべらない子かと思ったら」
その鋏を置きなさい、ときせは睨んできたけど、私は従わなかった。断固として言うべきことは言うって、お殿様と約束したんだもん。
さっきからこの調子で、私たちは小声でののしり合ってる。隣の部屋に他の女中たちがいるから大声は出せなかった。
「ご自分が何をしているか、分かっているのですか。これほどの裏切りはありませんよ」
きせは鋭くささやいてくる。
「何をしているのか、ですって?」
私は相手をあざ笑う。昨日までの私と違う。もう怖いものはなかったわ。
おばさん、狂ってるのはあんたの方でしょ。絶体絶命の淵に追い詰められて、いつもの冷静さを失ってるわね。
「伊賀組が生き残る方法、教えてあげよっか」
私は傲然とささやいてやる。
「お殿様直属の、忍び集団になることよ。それならお殿様は、過去のことも一切問わないってさ」
さあ言ってやったぞ、と思った途端、きせは私の手からさっと鋏を取り上げて床に置いた。
あ、と思ったけど、こっちが抵抗しようもないぐらい、自然な所作だった。
「……内通は死に値すると、何度も申したでしょうに」
淡々とした口調だったけど、私が勝手に動いたのはやっぱりまずいことらしかった。
「組の掟は絶対にございます。何人たりとも逆らうことは許されませぬ」
私はちっと舌打ちした。このおばさん、まだ私に盲従を強いてくるのね。お殿様よりも組の掟が大事だって言うの? 本末転倒もいいところじゃない。
「そんなにあたしに死んで欲しいんなら、いつだって死んでやる」
私の中の何かが牙を剥く。もう私は目覚めてしまった。今まで考えなしに従ってきたものすべてに、反抗せずにはいられない。
「でも死ぬのはあたしだけじゃないよ。伊賀組も道連れにしてやる」
きせは短くため息を漏らすと、不快そうに眉根を寄せ、じっと考え込んだ。
彼女はさっき、城下のはずれにある富田 屋敷への異動を命じられたの。そりゃ心中穏やかじゃないでしょうよ。理由も告げられず、お城を追い出されるんだから。
でも身から出た錆ってやつじゃない? おばさん、あんたはお殿様の暗殺に手を貸そうとした。自分のやったこと、冷静に考え直したらいいのよ。
ただ、私の裏切りを察した彼女に、私は問答無用で殺されてもおかしくなかった。こうして問いただしてくれたのは、まだ考えがあるのかも、とは思う。
それと私、お殿様から伊賀組を敵に回さぬ方が良いって言われてるの。
「わしはな、お楽」
と、昨夜のお殿様は私の両肩をつかんでおっしゃった。
「少しでも味方を増やさねばならぬのじゃ。必要とあらば、あの弥左衛門とやらに頭を下げるのもやぶさかでないぞ」
単独で戦うにはあまりにも弱すぎる。そんなご自分のことを、お殿様はよく分かっておいでだった。
もちろん私は、お殿様のためなら何だってやるつもりよ?
だけど具体的に何をどうしたら良いのかは、見当もつかなかった。目の前にある花器の窯変模様が、私の抱える不安と重なるようだったわ。
気を取り直し、私はきせの顔を覗き込む。
「……ねえ、おばさん」
「その呼び方はおやめ下さいまし」
「伊賀組はそもそも、蜂須賀家の当主を守るためにあるんでしょ? だったら、そのお役目を離れて織部に従ってる方がおかしいじゃない」
これもお殿様の受け売りよ。そうやってまずは私の周囲の人々をこっちに取り込もうって、昨夜二人で話し合ったの。
だけどきせはじっと考え込むばかりで、なかなか言葉を発してくれなかった。私たちの考えが正しいとも、間違っているとも言ってくれない。
確かに組として取るべき態度となると、簡単には結論を出せないでしょうよ。でも今後、徳島藩では内紛が起こるわ。確実に。
そのとき、伊賀組には何としてもお殿様についてもらわなくちゃ。独立を保っている伊賀組は、他の藩士や足軽の人々よりもはるかに動きが取りやすいはずよ。
「ねえ、伊賀組がお殿様に付くのは、できないことではないでしょう?」
「滅多なことを申してはなりませぬ」
きせは般若のような顔で私を叱りつける。
「確たる証拠がなければ、いかにお殿様とて重臣を謀反人と決めつけることはできぬのでございますよ」
ふうん、と私は冷めた気持ちになる。下っ端の家臣が、お殿様と家老たちを天秤にかける。その態度自体が常識外れで、不遜極まりないと思うんだけど?
「……お下知がありましたゆえ、わたくしは富田屋敷へ移ります」
低い声で述べつつ、きせは視線で私をねじ伏せた。
「あなたは組の裏切り者。いつ口封じに始末されてもおかしくないのですよ。そのことをしっかりと弁 え、しばらくは大人しゅうお過ごしあそばせ」
他の女中たちが、きゃっきゃっと笑いながら部屋に戻ってくると、きせは何事もなかったように立ち上がった。
私はうつむき、唇を噛み締める。
私が殺される? やっぱりそうなっちゃうのかしら。
伊賀組の老女が出て行くのを、私は多少の気後れとともに横目で見送った。
こんなに追い詰めてやったのに、彼女はやはり動揺を見せなかった。敵わないものがあるような気がしたわ。
激高したきせは、ものすごい勢いで私の横に座り、横から私の手首を捕まえた。
二人の視線が一閃する。
「あたしを殺す気?」
小声で言いつつ、私は鋏を握り締め、そのままきせを睨み上げた。
「やれるもんならやってみろ。このクソババア!」
いわゆるキツネ目ってやつね。きせはその細い目をもっと吊り上げたわ。
「……呆れたこと。何もしゃべらない子かと思ったら」
その鋏を置きなさい、ときせは睨んできたけど、私は従わなかった。断固として言うべきことは言うって、お殿様と約束したんだもん。
さっきからこの調子で、私たちは小声でののしり合ってる。隣の部屋に他の女中たちがいるから大声は出せなかった。
「ご自分が何をしているか、分かっているのですか。これほどの裏切りはありませんよ」
きせは鋭くささやいてくる。
「何をしているのか、ですって?」
私は相手をあざ笑う。昨日までの私と違う。もう怖いものはなかったわ。
おばさん、狂ってるのはあんたの方でしょ。絶体絶命の淵に追い詰められて、いつもの冷静さを失ってるわね。
「伊賀組が生き残る方法、教えてあげよっか」
私は傲然とささやいてやる。
「お殿様直属の、忍び集団になることよ。それならお殿様は、過去のことも一切問わないってさ」
さあ言ってやったぞ、と思った途端、きせは私の手からさっと鋏を取り上げて床に置いた。
あ、と思ったけど、こっちが抵抗しようもないぐらい、自然な所作だった。
「……内通は死に値すると、何度も申したでしょうに」
淡々とした口調だったけど、私が勝手に動いたのはやっぱりまずいことらしかった。
「組の掟は絶対にございます。何人たりとも逆らうことは許されませぬ」
私はちっと舌打ちした。このおばさん、まだ私に盲従を強いてくるのね。お殿様よりも組の掟が大事だって言うの? 本末転倒もいいところじゃない。
「そんなにあたしに死んで欲しいんなら、いつだって死んでやる」
私の中の何かが牙を剥く。もう私は目覚めてしまった。今まで考えなしに従ってきたものすべてに、反抗せずにはいられない。
「でも死ぬのはあたしだけじゃないよ。伊賀組も道連れにしてやる」
きせは短くため息を漏らすと、不快そうに眉根を寄せ、じっと考え込んだ。
彼女はさっき、城下のはずれにある
でも身から出た錆ってやつじゃない? おばさん、あんたはお殿様の暗殺に手を貸そうとした。自分のやったこと、冷静に考え直したらいいのよ。
ただ、私の裏切りを察した彼女に、私は問答無用で殺されてもおかしくなかった。こうして問いただしてくれたのは、まだ考えがあるのかも、とは思う。
それと私、お殿様から伊賀組を敵に回さぬ方が良いって言われてるの。
「わしはな、お楽」
と、昨夜のお殿様は私の両肩をつかんでおっしゃった。
「少しでも味方を増やさねばならぬのじゃ。必要とあらば、あの弥左衛門とやらに頭を下げるのもやぶさかでないぞ」
単独で戦うにはあまりにも弱すぎる。そんなご自分のことを、お殿様はよく分かっておいでだった。
もちろん私は、お殿様のためなら何だってやるつもりよ?
だけど具体的に何をどうしたら良いのかは、見当もつかなかった。目の前にある花器の窯変模様が、私の抱える不安と重なるようだったわ。
気を取り直し、私はきせの顔を覗き込む。
「……ねえ、おばさん」
「その呼び方はおやめ下さいまし」
「伊賀組はそもそも、蜂須賀家の当主を守るためにあるんでしょ? だったら、そのお役目を離れて織部に従ってる方がおかしいじゃない」
これもお殿様の受け売りよ。そうやってまずは私の周囲の人々をこっちに取り込もうって、昨夜二人で話し合ったの。
だけどきせはじっと考え込むばかりで、なかなか言葉を発してくれなかった。私たちの考えが正しいとも、間違っているとも言ってくれない。
確かに組として取るべき態度となると、簡単には結論を出せないでしょうよ。でも今後、徳島藩では内紛が起こるわ。確実に。
そのとき、伊賀組には何としてもお殿様についてもらわなくちゃ。独立を保っている伊賀組は、他の藩士や足軽の人々よりもはるかに動きが取りやすいはずよ。
「ねえ、伊賀組がお殿様に付くのは、できないことではないでしょう?」
「滅多なことを申してはなりませぬ」
きせは般若のような顔で私を叱りつける。
「確たる証拠がなければ、いかにお殿様とて重臣を謀反人と決めつけることはできぬのでございますよ」
ふうん、と私は冷めた気持ちになる。下っ端の家臣が、お殿様と家老たちを天秤にかける。その態度自体が常識外れで、不遜極まりないと思うんだけど?
「……お下知がありましたゆえ、わたくしは富田屋敷へ移ります」
低い声で述べつつ、きせは視線で私をねじ伏せた。
「あなたは組の裏切り者。いつ口封じに始末されてもおかしくないのですよ。そのことをしっかりと
他の女中たちが、きゃっきゃっと笑いながら部屋に戻ってくると、きせは何事もなかったように立ち上がった。
私はうつむき、唇を噛み締める。
私が殺される? やっぱりそうなっちゃうのかしら。
伊賀組の老女が出て行くのを、私は多少の気後れとともに横目で見送った。
こんなに追い詰めてやったのに、彼女はやはり動揺を見せなかった。敵わないものがあるような気がしたわ。