第45話 七ケ年倹約令

文字数 2,587文字

 痛い所を突かれてしまった。
 確かにおれって不器用なんだよな。江戸城でも他の場所でも、自分より強い立場の者に取り入るのは苦手。馬鹿な奴らに頭を下げたくないと思ってしまう。そういうところは否定のしようがなかった。

 速水には、そんなおれの弱点がよく見えている。頼りない主君の暴走を抑え込もうと、落ち着いて言葉を重ねてきた。
「つまりは、そういうことなのでございます。蜂須賀家の看板をもって他家との交渉に当たれるのは、筋目正しき座席衆の方々。どうか、ここはこらえて、備前どのにお任せ下さりませ」

 もちろん、おれはこんなことで納得したわけではない。主君が外交の最前線に全く出ないということはないだろうし、賀嶋備前がそれほどの外交上手とも思えない。
 ただ、それほどのことなのだ、と思い知らされた。阿波のまつりごとは長らく座席衆に丸投げされ、蜂須賀家当主は手を下さずにきた。その付けがおれの代に、しっかり回されてきているというわけだ。

 仕方がなかった。備前のやりたい放題は、いつか別の機会に改めさせよう。

 翌日の会議。
 平然と姿を見せた賀嶋備前を前に、おれは苦い思いを抑えに抑えて対峙した。とにかく用件だけは伝えねばならない。佐山の書状を、おれはすっと備前の前に差し出した。
「見ての通り、この家は借金まみれ、大変な状況じゃ。この財政をどう立て直すか。そちの案を申してみよ」

 おれの手はぷるぷると震えてるし、声にも棘が隠し切れなかった。だが備前は涼しい顔のままである。
「……これは、どのようにしてお調べになりましたのかな?」
 馬鹿にしたように言いつつ、備前は紙をさっと裏返し、また元に戻した。
 そのわずかな間に佐山市十郎の名を確認したに違いない。その目にわずかに怒りが交じったのを、おれは見逃さなかった。備前は備前で、自分の(あずか)り知らぬところであちこち引っかき回されたことに怒りを覚えているのだろう。

「そんなものはどうでも良かろう」
 おれは気を落ち着かせるために大きく息を吐いた。
「金のことはあちこちでバラバラに管理されて参ったゆえ、実態が見えにくかった。一度まとめさせてみたところ、問題が発覚したというわけだ」
 あくまで備前を責めるような言い方は避けたつもりである。
「家中のほとんどの者はこの危急を知らぬ。どれほどのことなのかを知らしめるためにも、まずやらねばならぬことがある」
 
 おれは備前の顔をじっと見つめ、宣言した。
「倹約令じゃ」
 むろん、おれは将軍吉宗のごとく、自らも倹約の先頭に立つつもりである。

「わしが率先して範を示す」
 藩主の経費は年間千両となっているが、これを二百両にまで削る。食膳は一汁一菜。衣服も擦り切れるまで着用する。妻子にも言い含め、徹底した倹約を課す。

「そのほうも協力せい。まずは江戸表の交際費に手を付けてみよ」
 思い切って言ってみれば、むしろ爽快だった。この程度は当然だろうが。なぜ今までやらなかったのか不思議なくらいだ。

 備前は意味が分かっているのかどうか、表情を変えなかったが、声を上げたのは意外にも脇に控える速水たち、江戸定府(じょうふ)の人々だった。

「いや、お待ち下され、殿!」
 おろおろと、速水たちは両手をついたまま視線を泳がせた。
「まさか、ご公儀向きの御用を削るのではありますまいな?」

「そこに、一番金がかかっておる。当然じゃ」
 備前を見ずに答えた。吉原で幕閣をもてなすなんて、嫌らしいったらないじゃないか。それを口にするのもはばかられる。
「すべてを削るのではない。内容を見直せと申しておるのじゃ」

「ほう。見直せ、と」
 速水らを味方に付けたと思ったのか、備前は不敵におれを見返してきた。
「要するに殿は、蜂須賀家からご公儀への音物(いんもつ)をなくすなり、安物に切り替えろと、そう仰るのでございますな」

 安物、などとはっきりと言われては立場がないが、こちらも引き下がるわけにはいかなかった。
「どこかに無駄があるやもしれぬ。支出の内容を見直すのは当然のことであろう」
「御家における重代の徳川への忠誠を、いかなるものとお考えですか」
 備前は顎をぐいと上げ、蔑むような目でおれを見下ろしてくる。
「殿はその重大さをご存じないのではありますまいか。ご公儀向きを削ったその結果、御家の被る不利益がいかほどになるか」

 あ、とおれは口をつぐむ。
 確かに当世風の考えでは、備前の方が正しかった。おれの方が拝金主義であって、公儀への不忠と取られかねない危険なものだ。

 その場の空気も、自然と備前に同調していく。
「蜂須賀家の体面に関わります」
「ご倹約は結構ですが、その内容は慎重に」
 みんながそんな風に叫ぶ。これじゃ、何だか江戸まで阿波に似てきてしまったという感じだ。思わず頭を抱えたくなった。

「そのほうらこそ考えろ! そんなことを申しておるゆえ、無駄がなくならないのだ」
 だけど、おれは口下手だ。必死に抵抗を試みても、全員に睨まれている。

 どうにも分が悪かった。ここは一旦、引き下がるしかないだろう。
「……まあ良い。まずはご公儀向き以外のところで削るところを探そう。行事を縮小しただけで、かなりの節約になる」
 
 自分で言って、自分で苦々しい気分になった。それでは吉原行きを禁止にはできない。
 備前はようやく、勝ち誇ったような笑いを見せた。
「それなら賛成にございます。大御所様が薨去あそばされて年も浅いことでございますゆえ、何事も質素にと申しても、誰も文句は申しますまい」
 先代、蜂須賀至央(よしひさ)の薨去は五年も前だ。

 くそっ。こいつ。
 おれは脇息に置いた手で扇子を開いたり閉じたりしながら、この食えない男と今後どのように付き合っていくべきかを考えていた。
 阿波という国では先祖の軍功が特に重視され、英雄の子孫は絶対である。座席衆の家筋の者に関しては、藩主でさえ更迭できないのが実態だ。よって、実権はこういう男の手に握られてしまう。

 だが、ぐずぐず考えていても仕方がなかった。よかろう、とおれは扇子を手のひらにぱしっと打ち付けた。
「とりあえず、七夕祭はなし。納涼会もなし。盆踊りもじゃ。張り切って準備に当たっておる者は気の毒だが、よくよく申し伝えよ」
 最後の盆踊りには顔をしかめる者もあったが、最後は全員が承諾し、おれにひれ伏した。
 
 翌日、おれは藩邸の主だった者を広間に集め、七ケ年倹約令の沙汰を下した。

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