第2話 五社宮騒動
文字数 1,846文字
何しろつい先ほど、この手で鹿を仕留めたばかりだからな。
もちろん藩主自らが狩場を駆け回ったって話じゃない。正直に言うと、鹿狩なんて見世物興行みたいなもんでさ。周囲にさんざんお膳立てしてもらって、ようやく開催できるものなんだ。
百姓が獲物を追いかけ、逃げられぬよう囲い込んでさ。最後の最後に「さあお殿様、どうぞ」ってな仕儀になる。
その時おれは建部が差し出す弓を受け取り、お飾りのように背に負ってた
そして、つがえて放った。おれがやったのは、それだけ。
それでも内心、失敗したらどうしようと思ってたよ。何しろ家中一同、お旗本も固唾を飲んでおれに注目してるしさ。ここで外して、けっきょく家臣の誰かに仕留めてもらう、なんてことになったら恰好悪いだろ。
でもこれが、ちゃんと当たってさ。野生の鹿はばったりと倒れ、人々は「お見事にござりまする~」とか何とか、賞賛にどよめいたわけだ。
はあ~、良かった。おれ、必死に平静を装ったけど、本当はほっとしてその場にくずおれそうだったよ。
それにしても、この手で生き物の命を断ち、血を流させたという感覚。これは体に残るもんだな。
まだ脳天がしびれているし、心の臓が早鐘を打っているし、息も荒いまま。今にも衝動的に生肉に飛びつき、かじりついてしまいそうだ。
やっぱり血なまぐさい行事に違いないよな。
全体の獲物は鹿が八頭、
ついでに、鹿狩の目的はもう一つある。
阿波では、騎馬の
だから今回はその野犬駆除もした。かなりの数の動物を殺めたことになるわけだ。あとできちんとお祓いをしておかないと、おれ、祟られちゃうよ。
気を張り詰めて過ごす、この数日間。当たり前だが、おれにとってもかなりの負担だ。本当は早く帰って休みたいよ。
馬上で秘かに嘆息しながら、おれは眉間を揉む。
そして建部に導かれるまま、熊野神社の
参道の脇に、百姓の夫婦に身をやつした男女が土下座している。
あれがそうなのか、と思った。
山奥へ派遣された忍びの者たちだ。鹿狩が終わったちょうど今、彼らも山から戻ってきたということで、取り急ぎ報告をしてくれるらしい。
話は四年ほど前にさかのぼる。
むかし阿波では、
阿波の特産品の一つに藍があり、大きな利益を生み出している。徳島藩は染料を固形化した「
ところが、それまで藍玉で食いつないでいた百姓たちが大反対。その結束は、村を越え、郡を越え、巨大な破壊力をもって蜂須賀家に襲いかかってきた。
当時、おれは襲封の翌年だった。
まだ十八歳。しかも江戸から来たばかり。この国の事情なんて、分かるわけないじゃないか。
おれは、すべての処置を重臣に任せるより他なかった。
藩は即座に軍を出し、反乱は無事鎮圧された。そして百姓の首謀者五名は、見せしめを兼ねて
あとで報告を聞いて、おれは愕然とした。そんな残酷なやり方、おれの望むところではなかったのに。
その後、おれは少しずつまつりごとに関わるようになったが、百姓側に同情的だった一部の役人の処置が残っていた。彼らは危うく切腹を申し付けられるところだったが、おれは重臣の反対を押し切ってそれをやめさせ、
だってそうだろ? 有能な家臣を、わざわざ失うような真似をすることはない。
それに、もともとが微禄の者たちだった。改易などするまでもないさ。
ただそうやって格別の許しを与えただけに、配流となった藩士に問題を起こされると面倒だった。彼らはただでさえ下々の者と相いれる気風を持っているのだから、不穏な動きがないか常に気を配らねばならない。
そのために今回、藩の抱える伊賀組に命じて、こっそり調べさせることにした。恐らく今そこで土下座している男が、伊賀組の首領、弥左衛門であろう。
おれが馬を降り、設えられた