第10話 不気味な集団
文字数 1,983文字
佐山家は、藩の御目付 役の家筋だった。小目付、町目付、そして伊賀組といった組織を束ね、家中全体に目を配るのがそのお役目。
だから、伊賀組の者が御目付役の屋敷に雇われるのもよくあることだった。私が佐山家に奉公に上がったのも、それが理由よ。
しかも佐山家の場合、徳島藩の鉄砲足軽組の組頭を兼帯してたから、それなりに権限は強かったわ。音物 や付届けがよく贈られる佐山家のお屋敷は、同格の家中のお屋敷と比べても広くて豪壮な造りだったように思う。
そんな立派なおうちなのに。
あの市十郎に与えられていた私室ときたら、窓もない階段下の物置部屋だったのよ。
それが、次男という立場の暗さだった。
あの人も寝物語に私に語ったわ。自分はいずれ家を出なくてはならないが、場合によっては身分も捨てなくてはならないって。
実際、名家の出であっても、養子先を見つける苦労は庶民とあまり変わらないそうね。
だから私はそれを、私と一緒に生きていく覚悟があるっていう意味に受け取った。
別にあの人を愛したわけじゃないし、同情したわけでもない。だけど私は彼に触れられることが嫌じゃなかった。冷たい態度ばかりの人に比べれば、まあまあ信頼がおけたから。
浅はかだった、と今は思ってるわ。
結局あいつは、私を捨てたんだから。ほんと、どんな形で愛を交わそうと、立場が変わってしまえば、あっさりしたもんよ。
佐山家では嫡男が病死し、次男の市十郎が嫡男に直されたの。
そして私は屋敷を追い出された。
それまで黙認されていた仲だったのに、いざとなれば問題にもならなかったわ。佐山家としては市十郎にはしかるべき嫁を迎えねばならず、その支障になるような女中をそのまま置いていくわけにはいかなかったのよ。
で、私はわずかな手切れ金だけもらって、お屋敷を去ることになったわけ。
女中部屋で少ない荷物をまとめてた時、市十郎がやってきたわ。
「あの……その……」
彼はその大柄な体を丸めるようにその場に正座すると、申し訳なさそうな、いたたまれないような顔を向けてきたわ。
でも、だからといって平身低頭して謝るという態度でもない。
「何かご用ですか」
私は手を休めることなく、尖った声で聞いたわ。
「早うお屋敷を出るように言われておりますゆえ、ご用件は手短にお願い致します」
彼は結局、何も言わなかった。
情けない男よ。何もかも捨てて、私と駆け落ちするような度胸もなかったんでしょ。
私は包みを手に、蹴り立つようにしてその場を去ったわ。そして誰に見送られることもなく、屋敷の裏門から外に出た。
柳の並木が揺れる薄暗い道で、一人、顔を覆って泣いたわ。馬鹿よね。最初からそういう男だって知ってたし、別に悲しむほどのことでもないのに。
そうやって組屋敷にとぼとぼと帰ってきたら、最悪なことに、間もなく妊娠に気づいた。
組頭の弥左衛門様のお屋敷には、同じようにいわくのある女たちが住みこんでた。だからそうした仲間たちに木の根を使った中絶のやり方を教わって、私は自分で子宮の中を始末したのよ。
血まみれになったぼろ布の中に、根が生えたような小さな塊があったわ。まだ人間の形はしてなかったけど、とても見ていられなかった。私はこっそり畑の隅に埋めたわ。
涙は出ず、ただただ心が乾いたのを覚えてる。
聞いたところによると、伊賀組は藩政初期に一揆鎮圧のため蜂須賀家に抱えられた集団なんですって。交際に関しては厳しい掟 があるから、今も私たちは阿波の国に馴染まない、ただのよそ者よ。
戦国期の忍びは、体術の訓練中に半数が死ぬほどの過酷さがあったと言うけれど、戦のない今、そんなものは絶えて久しいわ。
だけど、表向きは何をせずとも、伊賀組は捨扶持 に近い御禄は御家から頂いてるの。
それで時おり家中の非違をこっそり調べてる。藩の重臣、および目付役から直接仕事をもらう以外に外部との接触はないし、阿波の人間との通婚も許されない。日々のお付き合いも組中に限られてるから、外から見れば不気味な謎の集団よね。
組の大半が普段は百姓に近い暮らしをしてて、私のように武家奉公に出る者も少なくないわ。みんな食うや食わずの貧しい生活よ。
今、私には身寄りがないから、次の奉公先を見つけるまで組頭のお屋敷で厄介になってるしかないのだけど、私と同じように「何でもやらされる」女たちの、目つき顔色の悪いことといったらなかった。私も近い将来こうなるんだって、暗い気持ちになる。
何でもいいから、このみじめな生活から抜け出したいって思う。
そのためなら、と思うの。人間一人ぐらいを殺すのも、きっとできなくはない。どちらにしろ私たち、日の当たる道は歩けないんだもの。
窓の外は、降りしきる雨。
まもなく問題のお殿様を殺しに行かなければならない。
私は泣かない。ただ前に突き進むのみよ。
だから、伊賀組の者が御目付役の屋敷に雇われるのもよくあることだった。私が佐山家に奉公に上がったのも、それが理由よ。
しかも佐山家の場合、徳島藩の鉄砲足軽組の組頭を兼帯してたから、それなりに権限は強かったわ。
そんな立派なおうちなのに。
あの市十郎に与えられていた私室ときたら、窓もない階段下の物置部屋だったのよ。
それが、次男という立場の暗さだった。
あの人も寝物語に私に語ったわ。自分はいずれ家を出なくてはならないが、場合によっては身分も捨てなくてはならないって。
実際、名家の出であっても、養子先を見つける苦労は庶民とあまり変わらないそうね。
だから私はそれを、私と一緒に生きていく覚悟があるっていう意味に受け取った。
別にあの人を愛したわけじゃないし、同情したわけでもない。だけど私は彼に触れられることが嫌じゃなかった。冷たい態度ばかりの人に比べれば、まあまあ信頼がおけたから。
浅はかだった、と今は思ってるわ。
結局あいつは、私を捨てたんだから。ほんと、どんな形で愛を交わそうと、立場が変わってしまえば、あっさりしたもんよ。
佐山家では嫡男が病死し、次男の市十郎が嫡男に直されたの。
そして私は屋敷を追い出された。
それまで黙認されていた仲だったのに、いざとなれば問題にもならなかったわ。佐山家としては市十郎にはしかるべき嫁を迎えねばならず、その支障になるような女中をそのまま置いていくわけにはいかなかったのよ。
で、私はわずかな手切れ金だけもらって、お屋敷を去ることになったわけ。
女中部屋で少ない荷物をまとめてた時、市十郎がやってきたわ。
「あの……その……」
彼はその大柄な体を丸めるようにその場に正座すると、申し訳なさそうな、いたたまれないような顔を向けてきたわ。
でも、だからといって平身低頭して謝るという態度でもない。
「何かご用ですか」
私は手を休めることなく、尖った声で聞いたわ。
「早うお屋敷を出るように言われておりますゆえ、ご用件は手短にお願い致します」
彼は結局、何も言わなかった。
情けない男よ。何もかも捨てて、私と駆け落ちするような度胸もなかったんでしょ。
私は包みを手に、蹴り立つようにしてその場を去ったわ。そして誰に見送られることもなく、屋敷の裏門から外に出た。
柳の並木が揺れる薄暗い道で、一人、顔を覆って泣いたわ。馬鹿よね。最初からそういう男だって知ってたし、別に悲しむほどのことでもないのに。
そうやって組屋敷にとぼとぼと帰ってきたら、最悪なことに、間もなく妊娠に気づいた。
組頭の弥左衛門様のお屋敷には、同じようにいわくのある女たちが住みこんでた。だからそうした仲間たちに木の根を使った中絶のやり方を教わって、私は自分で子宮の中を始末したのよ。
血まみれになったぼろ布の中に、根が生えたような小さな塊があったわ。まだ人間の形はしてなかったけど、とても見ていられなかった。私はこっそり畑の隅に埋めたわ。
涙は出ず、ただただ心が乾いたのを覚えてる。
聞いたところによると、伊賀組は藩政初期に一揆鎮圧のため蜂須賀家に抱えられた集団なんですって。交際に関しては厳しい
戦国期の忍びは、体術の訓練中に半数が死ぬほどの過酷さがあったと言うけれど、戦のない今、そんなものは絶えて久しいわ。
だけど、表向きは何をせずとも、伊賀組は
それで時おり家中の非違をこっそり調べてる。藩の重臣、および目付役から直接仕事をもらう以外に外部との接触はないし、阿波の人間との通婚も許されない。日々のお付き合いも組中に限られてるから、外から見れば不気味な謎の集団よね。
組の大半が普段は百姓に近い暮らしをしてて、私のように武家奉公に出る者も少なくないわ。みんな食うや食わずの貧しい生活よ。
今、私には身寄りがないから、次の奉公先を見つけるまで組頭のお屋敷で厄介になってるしかないのだけど、私と同じように「何でもやらされる」女たちの、目つき顔色の悪いことといったらなかった。私も近い将来こうなるんだって、暗い気持ちになる。
何でもいいから、このみじめな生活から抜け出したいって思う。
そのためなら、と思うの。人間一人ぐらいを殺すのも、きっとできなくはない。どちらにしろ私たち、日の当たる道は歩けないんだもの。
窓の外は、降りしきる雨。
まもなく問題のお殿様を殺しに行かなければならない。
私は泣かない。ただ前に突き進むのみよ。