第46話 観菊の会

文字数 1,638文字

 容赦のない倹約令、であるはずよね?

 お殿様が江戸で発令なさったんだもの。国元でもそうよね?
 藩主不在であっても同じはずよ。従わないなんておかしい。

 だけど秋の徳島城では例年通り、観菊の会が開催されたわ。倹約令なんてどこ吹く風って感じで、多くの人々が集まってる。

 ご一門の方々を中心に、上士の家中とその家族が続々と姿を見せてるわ。華麗な衣装を競い合うように身に着け、互いにほめそやして。
 会の主役は菊の花であるはずなのに、真面目に見る者なんか、いやしない。これじゃ、丹精込めた職人たちも報われないわよね。
 しかも今日だけは男女入り乱れての宴。この日に結婚相手を見定める人も多いから、浮足立った気分が隠しようもなく庭に溢れてるわ。

 談笑する人々の輪を、私は遠くから眺めてる。
 在国の座席衆の中では、特に賀嶋備前の父、賀嶋上総とその取り巻きの人々が集団の中央で笑ってる。その周囲には女たちも多いけど、私と付き従う少数の侍女は、その輪に入れてもらえなかった。

 私は倹約令にしっかり従い、地味な木綿の着物に身を包んできたわ。だけどそんな馬鹿正直はほかにいない。私はすっかり女中衆に埋没しちゃってるわ。
 でもこれ、着物のせいとばかりは言えない。
 藩主の「御国御前」がここにいるっていうのに誰も挨拶には来ないし、どころか、私の方から挨拶しても聞こえなかったかのように無視される。要するに、私は歓迎されてないのよ。

 別に。何とも。

 この手の屈辱感なんか、私自身は慣れているから何とも思わない。だけどお殿様がいつもこんな目に遭っているのかと思うと、どうにもいたたまれなかった。それだけは許しちゃいけないんじゃないかしら。

 つぶやき声がふいに耳に入ってきたのは、ちょうどその時だった。
「織部どのが……」

 声は賀嶋上総の集団からのようだったわ。
 いつのまにか、ひょろりと背の高い長谷川越前もそこに加わってる。

 私は不自然にならない範囲で近づいて、そっと耳をそばだてた。はっきりとは分からないけれど、どうやら山田織部の謹慎を何とかして解かせようって話のようだった。

 何という不敬な態度。
 私は憤りの目を向けた。織部はお殿様のお怒りを買って謹慎処分にされた身じゃないの。お殿様がご不在だからって、よくもそんなことを言えたものね。

 だけど私はおのれの無力をかみしめたわ。ここで私が出て行ってあの人たちを咎めることはできないのだし、やってみたところで誰も聞いてはくれないでしょ。

 池の鯉を見ていたお末の女中たちが、きゃああと歓声を上げた。

 今度は何かと思ったら、男が一人、それから妻子と思しき者たちが赤い反り橋を渡ってこちらに来るところだった。
 男は三十代ぐらいかしら。顔色が悪くて冴えない感じ。だけど後ろに付き従う女は美しくて、さらにその後ろには二歳ぐらいの男の子がいる。乳母に付き添われてるわ。
 男の子は母親似なんでしょうね、利発そうな美少年だった。

 上総や越前の集団もぞろぞろと石灯籠の方へ移動し、喜色満面でその家族を迎えてる。そして次々と男に向かって挨拶をしてるわ。
 誰なんだろう、そんなに偉い人?
 だけど若い女中たちがキャーキャー言ってるのは、その小さな少年に対してのようだった。

「栄吉さま!」
「栄吉さま、かわい~い!」

 へえ。あの子、栄吉っていうんだ。
 私はその耳障りな声に、ひたすら顔をしかめた。子供を取り囲む幸せそうな声って、私には苦行のようだわ。

 だけど少数ながら、味方もいる。林建部が築山をぐるりと回って、こっそりと私に近づいてきたわ。この男も孤立してたようだけど、今はそれより聞きたいことがあった。

「何よ、あれ」
 私が「栄吉」なる少年を顎で指すと、建部もまた腕組みをし、同じ方向を見たわ。
内匠頭(たくみのかみ)様だ」

 そう言われても、私には分からなかった。
 すると建部は私の耳元に口を寄せてきた。小声で告げられたのは、蜂須賀内匠頭重隆(しげたか)様の名よ。

 私ははっとして顔を上げた。
「あれが内匠頭様……!」
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