第48話 呪詛
文字数 1,629文字
建部は織部の事情を語り出した。
「山田家老は早くにご妻女を亡くされたんだ。その後、継室をもらったんだが……」
建部は一度、言葉を飲み込んだ。かつては心酔していた従兄だから、こうして噂話をすることに少し気がとがめたのかもしれない。
けれども結局、意を決したように建部は話を続けたわ。
「新しいご内儀は、どうも流産の気があるらしい。何度かご懐妊されたものの、いずれも出産にはいたらなかったと聞いた。ご家老も意外に真面目なところがおありで、側妾を抱えてまで実子にこだわる気はないようだ。どうしても無理となれば、養子をもらうつもりなのだろう」
「……そうなの」
私は口をつぐんだ。思わぬところに、同じ悩みを持つ者がいるものだった。
一人の人間である織部の、悲しい側面を見た気がする。
だけど、私はそっと首を振り、その思いをすぐに打ち消したわ。
それが何だっていうの。そんな話、別に珍しくも何ともない。
お殿様のために、ここは何としても織部を打倒しなければならないところだった。ただでさえ強大な権力者である織部が、内匠頭 側に加わったら、もう太刀打ちできない。同情は禁物よ。
ちょうど今のご城下では、ある行為が空前の流行を見せている。私には関係のないことだと思っていたけど、建部はそれを利用する案を持ち出してきた。
私は迷ったけど、結局はうなずいた。こうなったら手段を選んではいられないわ。
建部は三日ほど後、再び私の前に姿を現した。
「歓喜院 に会ってきた。熊のような異様な風体だったぞ。目がこう、ぎょろりとしておってな」
歓喜院は、ご城下で話題になっている山伏 の名よ。建部は大げさな身振りを交えながら、その印象を語ったわ。
四国山中をめぐる修験者は、想像を絶する過酷な修行をする中で、並の人間にはない能力を獲得すると言われてるの。歓喜院はその中でも派手な祈祷で注目されているそうで、霊験あらたかなのでかなりの人気を集めているという話だった。
歓喜院はこちらの差し出した金を握り締め、しっかりと意を汲んだ、と建部は淡々と語ったわ。
「いかがわしい坊主だが、ものは使いようだ。さっそく山田家老に接近させよう」
まずは子宝祈願をさせる。そして山田家の面々と打ち解けた頃を見計らい、お殿様、蜂須賀重喜を呪詛させる計画よ。
建部は腕組みをして語った。
「今は山田家老が屋敷に籠っておられるゆえ、こちらは何の処分も下せぬ。しかし殿を呪詛したとなれば、紛れもなく謀反となる。誰もかばいだてすることができぬ」
そうね、と私は小さくうなずいた。織部はあの苛烈な性格からして、うまく誘導さえすればお殿様の呪詛を行うのは間違いないでしょう。
「でもちょっと待って」
用が済んだとばかり、立ち上がろうとした建部を私は引き留めた。
胸が少しとどろいている。
「本当に大丈夫なんでしょうね?」
建部はこうするより他にないって言うんだけど、お殿様を呪詛するっていうやり方には正直、かなりの抵抗を感じるわ。
険しい山容の中にどろどろとした呪詛の声が響き、やがて本当に力を持つのが四国という土地だった。祈祷の力を甘く見るわけにはいかないのよ。
「嫌な予感がする。殿の身に、本当に何かあったらどうするの」
「ま、その辺は歓喜院によく言い含めておこう」
建部は私に確約して、何度もうなずいたわ。
「それに呪詛そのものをやったかどうかは、この際どうでもいい。依頼状さえあれば、謀反の証拠は残るのだ」
私は部屋に籠ると、手を叩いてきせを呼んだ。
「すぐに伊賀組の女たちを集めて! みんなで祈祷をするわよ」
私たちは数珠を手にし、集団祈祷を始めたわ。山伏の力には到底敵わないと思うけど、少しでもお殿様に降りかかる影を振り払いたかった。
だけど祈っているうち、次第にその内容が変貌を遂げてしまうのを私は止められなかった。気づけばお殿様の無事というより、常に江戸を向いているお殿様の心を少しでも阿波へ向けよと念じてしまっていたから。
「山田家老は早くにご妻女を亡くされたんだ。その後、継室をもらったんだが……」
建部は一度、言葉を飲み込んだ。かつては心酔していた従兄だから、こうして噂話をすることに少し気がとがめたのかもしれない。
けれども結局、意を決したように建部は話を続けたわ。
「新しいご内儀は、どうも流産の気があるらしい。何度かご懐妊されたものの、いずれも出産にはいたらなかったと聞いた。ご家老も意外に真面目なところがおありで、側妾を抱えてまで実子にこだわる気はないようだ。どうしても無理となれば、養子をもらうつもりなのだろう」
「……そうなの」
私は口をつぐんだ。思わぬところに、同じ悩みを持つ者がいるものだった。
一人の人間である織部の、悲しい側面を見た気がする。
だけど、私はそっと首を振り、その思いをすぐに打ち消したわ。
それが何だっていうの。そんな話、別に珍しくも何ともない。
お殿様のために、ここは何としても織部を打倒しなければならないところだった。ただでさえ強大な権力者である織部が、
ちょうど今のご城下では、ある行為が空前の流行を見せている。私には関係のないことだと思っていたけど、建部はそれを利用する案を持ち出してきた。
私は迷ったけど、結局はうなずいた。こうなったら手段を選んではいられないわ。
建部は三日ほど後、再び私の前に姿を現した。
「
歓喜院は、ご城下で話題になっている
四国山中をめぐる修験者は、想像を絶する過酷な修行をする中で、並の人間にはない能力を獲得すると言われてるの。歓喜院はその中でも派手な祈祷で注目されているそうで、霊験あらたかなのでかなりの人気を集めているという話だった。
歓喜院はこちらの差し出した金を握り締め、しっかりと意を汲んだ、と建部は淡々と語ったわ。
「いかがわしい坊主だが、ものは使いようだ。さっそく山田家老に接近させよう」
まずは子宝祈願をさせる。そして山田家の面々と打ち解けた頃を見計らい、お殿様、蜂須賀重喜を呪詛させる計画よ。
建部は腕組みをして語った。
「今は山田家老が屋敷に籠っておられるゆえ、こちらは何の処分も下せぬ。しかし殿を呪詛したとなれば、紛れもなく謀反となる。誰もかばいだてすることができぬ」
そうね、と私は小さくうなずいた。織部はあの苛烈な性格からして、うまく誘導さえすればお殿様の呪詛を行うのは間違いないでしょう。
「でもちょっと待って」
用が済んだとばかり、立ち上がろうとした建部を私は引き留めた。
胸が少しとどろいている。
「本当に大丈夫なんでしょうね?」
建部はこうするより他にないって言うんだけど、お殿様を呪詛するっていうやり方には正直、かなりの抵抗を感じるわ。
険しい山容の中にどろどろとした呪詛の声が響き、やがて本当に力を持つのが四国という土地だった。祈祷の力を甘く見るわけにはいかないのよ。
「嫌な予感がする。殿の身に、本当に何かあったらどうするの」
「ま、その辺は歓喜院によく言い含めておこう」
建部は私に確約して、何度もうなずいたわ。
「それに呪詛そのものをやったかどうかは、この際どうでもいい。依頼状さえあれば、謀反の証拠は残るのだ」
私は部屋に籠ると、手を叩いてきせを呼んだ。
「すぐに伊賀組の女たちを集めて! みんなで祈祷をするわよ」
私たちは数珠を手にし、集団祈祷を始めたわ。山伏の力には到底敵わないと思うけど、少しでもお殿様に降りかかる影を振り払いたかった。
だけど祈っているうち、次第にその内容が変貌を遂げてしまうのを私は止められなかった。気づけばお殿様の無事というより、常に江戸を向いているお殿様の心を少しでも阿波へ向けよと念じてしまっていたから。