第27話 権謀術数
文字数 1,631文字
「いや、違うんだ。お楽を叱っておるのではない」
お殿様は少し落ち着きを取り戻すと、決まり悪そうに頭を掻いた。
「ただ、近習もなかなか油断のならん奴らでさ」
私はほっとして、肩でため息をつく。
分かった。近習役のことは触れてはならない話題だったようね。今後は要注意だわ。
だけど顔色を盗み見て、お殿様のご機嫌がそう悪くないってことは分かった。ここはむしろしっかりと話を合わせねばならない場面だったわ。
「油断のならぬとは……林建部あたりのことにございますか?」
「そうそう。そうなんだよ」
案の定、お殿様は身を乗り出してくる。いつもながら、話が合うと途端に嬉しそうになさるのよね。
「建部ってさ、ほとんど山田織部の使い走りだろ? 間諜みたいなもんだろ? わしがうっかり中老どもの前で申したことは、たちまち織部の知るところとなる。あいつは告げ口するに決まっておるのじゃ」
ふう、と私は嘆息し、散り敷いた庭の椿に目をやった。
なるほど織部と建部か。
私も改めてそう思うわ。彼らは従兄弟同士でもあり、主従関係に近いものも持ってる。確かに強固な人間関係があるようなのよね。
だいたい徳島藩の家老と中老とは、重代の縁組で関係を築いてきた間柄だもの。二つの層の間に対立が起こることがあっても、個人は個人でまた別のしがらみに捕らわれてしまう。無理もないわよね。それぞれが一つの家を、一族郎党を背負ってる立場なんだもの。
「家老と中老とは、結託している者も多いのでしょうね……」
私がしみじみとそう漏らしたら、意外にもお殿様はいや、とすぐに否定してきたわ。
「それがやっぱり、基本的には仲が悪いのだ」
お殿様は人差し指を宙でくるっと回す。
「前にさ、中老どもが進言してきたことがあるんだよ。家老の専断を廃し、今後は殿を中心に古き時代の直仕置を復活すべしと」
あら、と私は目を見開いた。
「まともなことを申す者もおりますのね」
「だろ? わしも最初は興味を持った。だがな……」
お殿様は一旦言葉を切り、苦々しく言葉を継いだ。
「奴らの話をよくよく聞いてみると、家老の代わりに今度は近習役がわしの輔佐役として内評にかかるのだという。つまり、今までと何ら変わらなそうなのじゃ」
今度はいーっと歯を見せるような顔をする。
「分かるか? お楽。これは単なる権謀術数、派閥抗争なのだ。家老たちと中老たちとの、実権争いなのだ」
結果として、お殿様は近習役の進言を退けてしまったんですって。
だけど私は、思わずえーっと叫んで、手で口をふさいだわ。
「もったいない……せっかくお味方が増える機会でしたのに」
「だってさ、中老は中老で信用できんのだ。致し方ないではないか」
お殿様は肩をすくめて見せた。言い訳をしたつもりでしょうけど、私はちょっと不満だったわ。
だって中老の皆さんを味方につけられるかどうかは大きいじゃない? お殿様は、家老どもと戦う機会を自らふいにしてしまったのよ。
私の無言の非難を感じたのかどうか、お殿様はしばらく落ち着きなく、部屋の中をうろうろなさってたわ。
だけど何か思いついたらしく、急に私の方へ寄ってくると、織部の書状をぱっと奪い取った。
「よし。今から目付役をここへ呼ぼう」
書状を顔の前に掲げ、私をじっと見つめてきたわ。
「これを見せて、どっちが正義だか聞いてみるんだ」
藩のお目付役。確かに良い目の付け所かもしれなかった。彼らは建前としては中立で、家中の非違を監視する立場なんだもの。
しばらく後、お殿様の召喚により一人の若い藩士が飛んできた。
普通は奥御殿に、お殿様以外の男が立ち入りを許されるなんてあり得ない。つまりこれもまた、お殿様のご改革の一環だったわ。
世の中を変える意志の表れ。だから私も、よほど信頼を得た家臣なんだろう、ぐらいに思ってたの。
だからこそ、その大柄な男を見た途端、凍りついたわ。
男は、佐山市十郎だった。
そう。私を捨てた彼よ。憎んでも憎み切れない、あの市十郎よ。
お殿様は少し落ち着きを取り戻すと、決まり悪そうに頭を掻いた。
「ただ、近習もなかなか油断のならん奴らでさ」
私はほっとして、肩でため息をつく。
分かった。近習役のことは触れてはならない話題だったようね。今後は要注意だわ。
だけど顔色を盗み見て、お殿様のご機嫌がそう悪くないってことは分かった。ここはむしろしっかりと話を合わせねばならない場面だったわ。
「油断のならぬとは……林建部あたりのことにございますか?」
「そうそう。そうなんだよ」
案の定、お殿様は身を乗り出してくる。いつもながら、話が合うと途端に嬉しそうになさるのよね。
「建部ってさ、ほとんど山田織部の使い走りだろ? 間諜みたいなもんだろ? わしがうっかり中老どもの前で申したことは、たちまち織部の知るところとなる。あいつは告げ口するに決まっておるのじゃ」
ふう、と私は嘆息し、散り敷いた庭の椿に目をやった。
なるほど織部と建部か。
私も改めてそう思うわ。彼らは従兄弟同士でもあり、主従関係に近いものも持ってる。確かに強固な人間関係があるようなのよね。
だいたい徳島藩の家老と中老とは、重代の縁組で関係を築いてきた間柄だもの。二つの層の間に対立が起こることがあっても、個人は個人でまた別のしがらみに捕らわれてしまう。無理もないわよね。それぞれが一つの家を、一族郎党を背負ってる立場なんだもの。
「家老と中老とは、結託している者も多いのでしょうね……」
私がしみじみとそう漏らしたら、意外にもお殿様はいや、とすぐに否定してきたわ。
「それがやっぱり、基本的には仲が悪いのだ」
お殿様は人差し指を宙でくるっと回す。
「前にさ、中老どもが進言してきたことがあるんだよ。家老の専断を廃し、今後は殿を中心に古き時代の直仕置を復活すべしと」
あら、と私は目を見開いた。
「まともなことを申す者もおりますのね」
「だろ? わしも最初は興味を持った。だがな……」
お殿様は一旦言葉を切り、苦々しく言葉を継いだ。
「奴らの話をよくよく聞いてみると、家老の代わりに今度は近習役がわしの輔佐役として内評にかかるのだという。つまり、今までと何ら変わらなそうなのじゃ」
今度はいーっと歯を見せるような顔をする。
「分かるか? お楽。これは単なる権謀術数、派閥抗争なのだ。家老たちと中老たちとの、実権争いなのだ」
結果として、お殿様は近習役の進言を退けてしまったんですって。
だけど私は、思わずえーっと叫んで、手で口をふさいだわ。
「もったいない……せっかくお味方が増える機会でしたのに」
「だってさ、中老は中老で信用できんのだ。致し方ないではないか」
お殿様は肩をすくめて見せた。言い訳をしたつもりでしょうけど、私はちょっと不満だったわ。
だって中老の皆さんを味方につけられるかどうかは大きいじゃない? お殿様は、家老どもと戦う機会を自らふいにしてしまったのよ。
私の無言の非難を感じたのかどうか、お殿様はしばらく落ち着きなく、部屋の中をうろうろなさってたわ。
だけど何か思いついたらしく、急に私の方へ寄ってくると、織部の書状をぱっと奪い取った。
「よし。今から目付役をここへ呼ぼう」
書状を顔の前に掲げ、私をじっと見つめてきたわ。
「これを見せて、どっちが正義だか聞いてみるんだ」
藩のお目付役。確かに良い目の付け所かもしれなかった。彼らは建前としては中立で、家中の非違を監視する立場なんだもの。
しばらく後、お殿様の召喚により一人の若い藩士が飛んできた。
普通は奥御殿に、お殿様以外の男が立ち入りを許されるなんてあり得ない。つまりこれもまた、お殿様のご改革の一環だったわ。
世の中を変える意志の表れ。だから私も、よほど信頼を得た家臣なんだろう、ぐらいに思ってたの。
だからこそ、その大柄な男を見た途端、凍りついたわ。
男は、佐山市十郎だった。
そう。私を捨てた彼よ。憎んでも憎み切れない、あの市十郎よ。