第8話 恐ろしいおばさん

文字数 1,834文字

 私がどれだけ不安を抱いているかなんて、他の人にはどうでもいいのよね。
 建部は平然として、組頭と私の顔を見比べたわ。
「今のお殿様については、良かれと思ってお迎えしたお人ではあるが、ま、そんなわけで、別のお方に変わって頂くのが良いとなったわけだ。そのほうら、しかと心得よ」

 殺人という恐ろしい話をしてるのに、皆が顔色一つ変えずにいる。組頭だってそうよ。だから私は、そういうものなんだって思ったわ。
 私が知らなかっただけで、世の中はそういう論理で回ってる。それが普通なのね、きっと。

 確かに何か変だと思ってたの。太平の世が長く続き、時代は忍びなんて必要としていないのに、伊賀組はこうしてしっかりとご家中の末席に連なってるんだもの。
 謎が今、解けたわ。こういう役目があったんだ。

 山田家老は、もう自分の同席は必要ないと判断したようだった。
「では、後はよしなに」
 その場の人間に任せて立ち去ったわ。私が納得していないなら、他の人間がなだめすかせば良いということなんでしょう。

 その意を受けたかのように、今度はきせと呼ばれていた女が立ち上がり、私の前に座ったわ。
「……だいたいのことは、理解できましたね?」

 念を押されたけど、私は返事もしたくなかった。ただ唇を噛み締めるだけよ。
 だってそうでしょう? 私は色気でお殿様を籠絡して、相手が油断したところで殺さなくちゃいけないのよ? 誰がそんな仕事をやりたがるかっていうの。 

 だけど、この恐ろしいおばさんは一方的に続ける。
「奥御殿に上がったら、わたくしはあなたのお付きの侍女になります。その時はちゃんと主従の礼を取りますゆえ、心細く思うことはありませんよ」
 自分を頼ってくれとばかりに、私の顔を覗き込んでくる。そうしたら私、思わずこの女にすがりたくなった。とにかく不安だったから、誰かに支えて欲しかった。この心理を読んでいたのなら、山田家老はさすがと言うより他ないわ。

「人殺しなどできないと、あなたはそう考えているでしょう?」
 きせに言い当てられて、私はびくっとした。
「良いことを教えて差しあげましょう。今のお殿様は、あなたの(かたき)なのですよ。あなたのお父上の」

 この女が何を言い出したのか、すぐには分からなかった。私、幼くして別れた父のことなんて全然覚えてない。
 だけどきせは私の肩に手を置き、ゆっくりとした口調で語り出したわ。
「あなたのお父上は、江戸において蜂須賀家のために働いておられました」

 やはり伊賀組の一員だった父は、あるとき密命を帯びたそうなの。秋田新田藩、佐竹壱岐守家の屋敷に潜入しろって。
 何でも噂があったんですって。壱岐守家の当主、佐竹義道という人が、賄賂をばらまいて息子たちを名家に養子入りさせようとしてるって。
 その一つに阿波蜂須賀家の名が上がってた。徳島藩としては放置しておけず、真偽を確かめることになったんですって。

 でも潜入先で父は失敗した。身元が露見してしまったのよ。
 怪しげな行動を取っていた父はその場で手討ちにされ、蜂須賀家はそれ以上何も言えなくなった。事件はうやむやになり、結局、佐竹義道の四男は、何事もなかったかのように蜂須賀家に入ってきたんですって。

「壱岐守家はそうやって阿淡の二か国、計二十五万石を分捕ったのでございます。よって、今のお殿様を手にかけることは決して謀反には当たらぬのですよ」
 きせの語り口はとても優しくて、怖がる私をふんわり包み込んでくれるようだった。

 さらに、きせは自分の手を私の手にそっと重ねてきた。肌はかさついているけれど、私に人のぬくもりを思い出させるには十分だったわ。
「ねえ、お楽様」
 あたかも主人に対するように、おばさんは心を込めて言う。
「あなたとて、まがりなりにも侍の娘。仇を放置することは許されませぬ。しかも、伊賀組が今でも無事に続いているのは座席衆の皆様方の庇護によるものにございます。組のため、御家のため、その命に従うことが今のあなたの大切な役目なのでございますよ」

 そうなんだ、と私は思った。
 父の仇を討ちたいか、と聞かれると正直よく分からなかった。だけど、とにかくこの使命を断れないってことだけは分かったわ。拒絶すれば、私はきっとこのおばさんに殺される。
 
 だけどこのおばさんを嫌いかと聞かれると、不思議なことに、そうでもないような気がするの。きつい仕事だけど、この人と一緒なら、そう悪くないのかもしれない。
 迷ってるうちに、その場は解散となったわ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み