紫苑(しおん)

文字数 1,008文字

 真っ暗な空に、いくつかの星が見える。
 そのせいで、いつもの学校じゃないみたいに思えてくる。
 屋上にこたつを持ち込んでの天文部の『星見』のイベントは、私と沙織の2人で行われていた。

「ねえ、沙織」
「……なぁに、加奈」

 今まで寝ていました、と言いたげな声で沙織が答える。

「沙織、寝てたでしょ」
「寝てません」
「嘘つけー」
「嘘です」
「やっぱり」
「だって、眠くなるじゃん」
「そりゃあね。だけど、こういう活動できるのもあと少しなんだよ」
「そうだね、なのに皆出てこようとしないんだから」
「まあ、冬の屋上の天体観測は自由参加だからね」
「厚着してこたつに入って夜空を見るのが最高に楽しいのに」
「寝てたくせに」
「寝るのも最高なのです」
「はいはい」
 2人で笑いあいながら、夜空を見上げ続ける。
 そっと、夜空に手を伸ばす。
 つかみ取れそうな距離にある星を、1つだけつかんでみる。
 つかんだ手を開いたけれど、そこには『空』だけがあるだけだった。
「星、つかみ取れそうなのにね」
「加奈、また言ってる」
「何度でも言いたくなるのよ」
「星なんてさ、つかめない方がいいんだよ」
「なんで?」
「宙を眺めて、深さがわかればそれでいいんだよ。宙の深さは無限だから、そこにある自分なんて、すごーくちっぽけ。だから、何してもいいんだ、何考えてもいいんだ、って思えてくる。星がつかめたら、そこで終わっちゃう。つかめないから、無限に終わらない」
「哲学だね」
「なんだっけ、あの、耳切り落とした画家が似たようなこと言ってたよ」
「あー、ゴッホ」
「そう、それ」
「なるほどねえ」
 空に向かって白い息を吐きながら、沙織の答えを反芻する。
 星なんてつかめなくていい、宙の深さがわかればいい、か。
 私は、星をつかもうとしていた手をおろして、掌を上にして地面に置いた。
 星ではなく、沙織の言う『宙』を見ながら、ぼんやりとする。
 なんだか、宙に吸い込まれていくようだった。
 沙織は、こんなことを考えているのか、すごいなあ。
 感心していると、彼女の寝息が聞こえた。

「はやっ……また寝たよ」

 つぶやいて、いつもならこたつに入っている彼女の足を蹴って起こすところを、今日は何もしないでおいた。

「たまには私も、沙織にならいますかね」
 目を閉じ、寝息をたてる沙織を追うかのように、ゆっくりと呼吸を繰り返す。
 瞼の裏にある自分の『宙』に、色々な思いを重ねながら、私はゆるゆると眠りの世界に落ちていった。

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