牡丹
文字数 1,120文字
扉を開けた瞬間に、アルコール臭が那美を出迎えた。
白衣を着た保健室の番人である養護教諭は今、ここにはいなかった。扉の前にある筈の『現在不在中』の札が机の横に立てかけてあるのを発見して、溜息をついた。
ここの主である佐伯綾は、よくこういったミスをする。
それが愛嬌だと生徒達は思っているからか、彼女は人気があった。
ふんわりとした雰囲気に『綾ちゃん』と呼ばれても何も注意しないその性格もプラスに働いているのだろう。
この学校にいる思春期真っ盛りの高校生達には、そのぐらいの緩さがちょうどいいのだろう。
那美は後ろ手で扉を閉めると、綾のいい加減さに溜息をつきながら、奥にある白いカーテンに包まれた場所へと近づく。
窓の向こうでは、生徒達の声が響いている。
主に男子の声だ。
昼の休憩の時間を本気で遊んでいる彼らの元気さが、少しうっとうしい。
「入るわよ」
場所を仕切っているカーテンの前から中に声をかける。
「どうぞ」
中から聞こえた声には喜びの感情が混ざっており、その病的なほどに白いカーテンにはそぐわなかった。
「どう?調子は」
カーテンを開いて中に入ると、ベッドの上で上半身を起こした添野夕が微笑んでいた。
「大丈夫」
笑顔を見せてそう言った後に咳き込み始めたので、那美は夕の背中をさすった。骨ばった体つきが掌からわかり、那美の体の中に黒い不安が押し寄せた。
「いいから寝てなさい、少し顔を見にきただけだから」
夕の体を抱きしめ、ベッドの上に沈みこませる。離れようとして背中に回していた手を解こうとした瞬間に、夕が那美の背中に手を回した。
「もうちょっと」
耳元で夕がそう囁くと、那美は返事もせずに解こうとした手をそのままにした。
「あったかいね、那美ちゃん」
「夕が冷たすぎるのよ」
「このままずっと眠れればいいのに」
「そうはいかないのよ」
昼の休憩の終わりを告げる鐘の音が、保健室の中に響く。
「ごめんね、タイムリミット」
そう告げると夕は回していた手を離して、ベッドに沈み込んだ。
「授業がなければいいのに」
「そうもいかないわよ」
「そうだよね」
那美がベッドの周囲にある閉じていたカーテンを開く。
保険室の中に漂っているアルコール臭を含んだ陰気な光とは違う陽光が、ベッドの上に微かに落ちた。
ちょうど、那美に光があたり、後光が差しているかのような雰囲気になっている。
「次の授業に出られたら出るのよ」
「うん、わかってる」
「いくら病弱でも、ある程度授業は出ておかないと」
「うん」
「じゃあ、行くね」
「うん」
名残惜しそうにカーテンをゆっくりと閉める那美に手を振りながら、夕は微笑む。
「またね、那美センセ」
閉め切ったカーテンの向こう側で、那美が少し微笑んだ。
白衣を着た保健室の番人である養護教諭は今、ここにはいなかった。扉の前にある筈の『現在不在中』の札が机の横に立てかけてあるのを発見して、溜息をついた。
ここの主である佐伯綾は、よくこういったミスをする。
それが愛嬌だと生徒達は思っているからか、彼女は人気があった。
ふんわりとした雰囲気に『綾ちゃん』と呼ばれても何も注意しないその性格もプラスに働いているのだろう。
この学校にいる思春期真っ盛りの高校生達には、そのぐらいの緩さがちょうどいいのだろう。
那美は後ろ手で扉を閉めると、綾のいい加減さに溜息をつきながら、奥にある白いカーテンに包まれた場所へと近づく。
窓の向こうでは、生徒達の声が響いている。
主に男子の声だ。
昼の休憩の時間を本気で遊んでいる彼らの元気さが、少しうっとうしい。
「入るわよ」
場所を仕切っているカーテンの前から中に声をかける。
「どうぞ」
中から聞こえた声には喜びの感情が混ざっており、その病的なほどに白いカーテンにはそぐわなかった。
「どう?調子は」
カーテンを開いて中に入ると、ベッドの上で上半身を起こした添野夕が微笑んでいた。
「大丈夫」
笑顔を見せてそう言った後に咳き込み始めたので、那美は夕の背中をさすった。骨ばった体つきが掌からわかり、那美の体の中に黒い不安が押し寄せた。
「いいから寝てなさい、少し顔を見にきただけだから」
夕の体を抱きしめ、ベッドの上に沈みこませる。離れようとして背中に回していた手を解こうとした瞬間に、夕が那美の背中に手を回した。
「もうちょっと」
耳元で夕がそう囁くと、那美は返事もせずに解こうとした手をそのままにした。
「あったかいね、那美ちゃん」
「夕が冷たすぎるのよ」
「このままずっと眠れればいいのに」
「そうはいかないのよ」
昼の休憩の終わりを告げる鐘の音が、保健室の中に響く。
「ごめんね、タイムリミット」
そう告げると夕は回していた手を離して、ベッドに沈み込んだ。
「授業がなければいいのに」
「そうもいかないわよ」
「そうだよね」
那美がベッドの周囲にある閉じていたカーテンを開く。
保険室の中に漂っているアルコール臭を含んだ陰気な光とは違う陽光が、ベッドの上に微かに落ちた。
ちょうど、那美に光があたり、後光が差しているかのような雰囲気になっている。
「次の授業に出られたら出るのよ」
「うん、わかってる」
「いくら病弱でも、ある程度授業は出ておかないと」
「うん」
「じゃあ、行くね」
「うん」
名残惜しそうにカーテンをゆっくりと閉める那美に手を振りながら、夕は微笑む。
「またね、那美センセ」
閉め切ったカーテンの向こう側で、那美が少し微笑んだ。