しし唐には、XXXがつまっていて

文字数 3,674文字

「加奈!しし唐はそのまま焼いちゃ駄目だからね!」
「え?」
 自分の大好物を持ってバーベキューをしている場所まで行こうとしていた加奈を、私は止めた。
「え~、私早くしし唐食べたいのに~」
「だ・か・ら、少し待てっての」
 手に持つしし唐を取り上げると、爪楊枝で1個1個に小さな穴を空けていく。不思議そうに隣で見つめる、加奈の視線が何だかくすぐったい。
「ほら、出来たよ」
「何が?」
 首を傾げてしし唐を受け取る加奈の頭をポンポンと叩く。
「しし唐そのまま火にかけたら破裂するのよ。だから、穴空けなきゃ駄目なの。分かった?」
「え~、そうなの~?知らなかったなぁ……。えへへ、アタシお料理全然駄目だし……」
 そう言って俯いた後に、川に反射する日差しのキラキラした光の様な笑顔をこちらに向ける。
「良かった、玲子ちゃんが居て」
 そんな風に言う加奈の顔がたまらなくかわいくて、抱き締めて、そのままキスをして……、そのまま水底に沈むように恋に落ちていきたいと、いつもの様に思った。
 でも、性別が、世間体が、常識が、それを許さない。
 そして、それより何よりも、加奈に拒否されるのが、怖い。
 何年も付き合いのある彼女に、何度自分の気持ちを伝えようとしたのか分からない。
 気持ちを伝えようとする度に、私の背後から何かが抱きついて、囁いてくる。
『コノママデ、イイジャナイ』
 首を振って『それ』の言葉から離れようとするけれど『それ』は絶対に腕を放さない。
『壊レルヨ、関係ガ』
 その言葉を聞くたび、下を向いて奥歯を噛み締めて、気持ちが自分の口から出ないようにした。
「どうしたの?玲子ちゃん」
「何でもないよ」
 優しく微笑みながら、その裏で心の中にある自分の恋心を押さえつける。まるで、ピエロだ。
「でも玲子ちゃんいっつも湿布の臭いがするぐらいに運動しまくってるのに、お料理も出来るんだから凄いよね~。早く彼氏、作ればいいのに」
「湿布臭いは余計だっての」
 頭に置いた掌を拳に変えて少し強めに殴った。
「ごめん、でもさ。勿体無いよ~、かわいいのに。それに今日は皆とのバーベキューなのに、玲子ちゃん、こっちで下ごしらえばっかりしてる」
「いいのよ、気にしなくて。それよりもそのしし唐、持って行きなよ……」
 笑ってる顔を崩さないように、言葉を搾り出す。
「彼氏に、さ」
 言葉を発した後で、後悔した。
 彼女が眩しい笑顔で笑ったのだ。
 その彼女の笑顔は、こちらには向けられていない。川原で遊ぶ、彼氏を思っての笑顔なんだ。それに気付くと、心の中から黒い感情が湧き上がって来る。
『あの男が居なければ、もしかしたら、加奈の隣に私が……』
 どうしようもなく黒くなっていく自分の心が嫌になる。
 だから、その思いは恋心と共に厳重に鍵をかけて、自分の中の底の方に沈める。
 また鍵が開くのなんて明白だけど、少し間でも忘れないと壊れてしまう。

 なにも、かもが。

「うん、じゃあケンちゃんに持ってくよ~!玲子ちゃんも行こうよ!」
「まだ野菜を切ってないから、それから行くよ」
「うん、分かった!」
 子供の様に駆け出した彼女の背中を少し見つめた後に、流し台に向き直ってまな板に視線を落とした。
 まな板に出来た薄い水溜りに、水滴が1つ落ちる。
「タマネギまだ切ってないのに泣くなんて、どうしたのかなあ……」
 感情の箱を体の底に沈めた筈なのに、涙が溢れ出て止まらない。
 背後から、あの『何か』が私を抱き締める。
『コレデイイノヨ、ソレシカナイノヨ』

 『それ』が自分の作り上げたもう1人の自分だと気付いているけど、私は「『それ』が自分にそう言うから、従った」と自分自身に嘘をつく。

 いつか、自分の気持ちは弾けてしまうかもしれない。


 穴を空けずに火にかけられたしし唐の様に。

***

このままでいれば誰も傷つかなくて済む。
そんな風に思ってた。
だけど、それは、いとも簡単に……

***

「玲子ちゃん、今日って何日だっけ」
 切り終えた野菜を山盛りにしたボウルを持っていこうとした私の元に、加奈が戻って来るなり、そう聞いてきた。
「そんなの、携帯見れば分かる話じゃない……」
 ため息をつきながら携帯を取り出そうとすると、加奈は首を振った。
「ああ、違うの。何日、じゃなくて『何の日』?」
「ええと……、今日は8月15日だから……。終戦記念日だね」
「しゅーせん、きねんび」
「それが、どうかしたの?」
「ケンちゃんが私にそうやって聞いてきたけど、答えられなくって……」
 寂しそうに俯く彼女の頭を撫でながら、笑う。
「まあ、しょうがないよ。興味が無ければ忘れちゃうから……。でも、日本人として忘れてはいけない気が……」
「え!?しゅーせん記念日って、日本と関係があるの!?」
「そこからなの!?いや、うん……。まあ、加奈らしいといえばらしいわ……」
 頭に乗せていた手を自分のお腹に当てて笑う私を見て、彼女はえへへ、と笑った。
「じゃあ彼氏に答えを言いに行かなきゃ、加奈。ついでだからそこにあるボウル持って行ってよ。ここの片付け済んだら私も行くから。肉は私があとで追加の分持っていく、って伝えておいて」
「うん。早く来てね、玲子ちゃん。あ、そうだ……。ケンちゃんがご飯済んだら釣りに行こうって言ってたから、玲子ちゃんも行こうよ」
 好きな娘が目の前で別の人と幸せそうに笑うのを見なければならないなんて、私には拷問だ。でも、加奈はそんなことを考えていない。親切で私に言ってくれてるのだ。
 それが、たまらなく悲しい。
 けれど、私の恋心は彼女に知られてはいけない。だから、全てを笑って誤魔化す。
「そうだね……。ちなみに、何を釣るの?」
「カツオって言ってた」
「それ、騙されてるよ、加奈」
「ええっ!?」
 目を丸くする彼女がまた一段とかわいくて、ついつい彼女に見入ってしまった。
 そこで私は、気付いた。
「ねえ、加奈。少し痩せた?」
「え!?そ……そう?夏だからじゃないかな」
 明らかに動揺して、そして、嘘をついていた。
 ケンと付き合う前の彼女はいつも二の腕の肉のことや頬やお腹の肉のことを話しては、痩せたい、なんて言っていたのに、ケンと付き合い始めてからはそんなことを言わなくなった。好きな男が出来てその話をすることに夢中だったから話さなくなったと、今の今まで思っていたけれど、加奈の顔とその動揺を見て、気付いた。
 痩せたのではなく、やつれていることに。
 そして、加奈の不自然な長袖姿に違和感を覚えた。
 不意に彼女の手を取り、無理矢理に袖を捲った。
 ―――そこにあったのは白くて、透き通るような肌と、それに不釣合いな赤黒い点がぽつり、ぽつりと出来ていた。
「加奈!これって……」
「離して!」
 手を振りほどいて、彼女は後退りをし、私を怯えた目で見つめていた。
「違うの……、これはさ、最近お料理してて……」
「嘘だよ!料理しててもそんな風には火傷しないもの!それは明らかに煙草の……」
 必死に首を振り、彼女は私の言葉を否定した。
「違う!」
 蝉時雨しか、聞こえなくなった。
 言葉を発せずに、立ち尽くす私に、彼女は微笑んだ。
「このボウル持って行くよ」
 ボウルを抱えて戻ろうとする彼女の後姿に何か声をかけようとするけれど、喉の奥に何かが詰まって言葉が出ない。それでも、彼女に何かしてあげなくちゃ、なんて思った。けれど、私の中の黒い自分が体を必死に押さえつける。
『彼女ノ言ウ通リ、放ッテオコウヨ』
『だけど、あれは明らかにDVだよ!放っておいたら加奈がもっと酷いことされる』
『ジャア、ドウスルノ?別レサセルノ?』
『それしか、ないじゃない』
『デモソレハ、正義ノフリシテ自分ノ都合ガイイヨウニシテイルダケ』
『……』
『コノママノ状況デ、イイジャナイ』
 何回も聞かされて、その通りにしてきたけれど、もう、耐えられなかった。
「―――五月蝿い」
 そう呟いた後に、加奈を後ろから抱き締めた。
 急な事に動揺して、ボウルを落としそうになりながら立ち尽くす彼女の耳元で抑えていた言葉を囁いた。
「加奈、私、加奈の事が大好きなんだ」
 露になっているうなじに、舌を少し這わせた後に、キスをした。甘い声が微かに聞こえる。そのまま、彼女の顔をこちらに向けた。
 潤んだ瞳で私を見上げる彼女の顔は、明らかに動揺していた。
 そして、その唇にキスをしようとしたその時に、彼女は私の唇を片手で塞いだ。
「私も、玲子ちゃんのこと、好きだよ……。友達として」
 塞いだ手を除ける。
「そうじゃなくて、私は……」
「それから先は……、言っちゃ駄目……。お願いよ……、玲子ちゃん……。私はケンちゃんが好きなの。好きじゃなきゃいけないの」
 それだけ言うと彼女は私の手を振りほどいて、小走りで戻って行った。
 立ち尽くす私を背後から抱き締めたのは、あの黒い自分だった。
『ホウラ、拒否サレタ。ダカラ言ッタノニ』
 その言葉を聞いて俯くと、地面に小さな点が出来た。
 私の中のしし唐は呆気無く弾けた。中に詰まってたのは何かを芽吹かせる種じゃなくて、水分が詰まっていた。
 ―――それは、涙だった。

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