第84話

文字数 1,178文字

 それからしばらく語り合ったのち、クレメンスは部屋を辞する。侍女をすべて下げた今宵は、イザベラ自らがドアを開け見送った。さて閉めようとした刹那、殺気とは違う薄寒いものを背に感じ、反射的にドアから退いた。つい今しがたまで彼女が立っていた場所に、見覚えのあるバスタードソードが振り下ろされた。

「何者だ?」

 今宵はドレス姿、しかも帯剣していない。動きづらい上に、まともな武器も所持していない瞬間を襲われるとは意外だった。侍女を下がらせるのではなかったと、後悔しても始まらない。

 今度は斬り上げられるが、ドレスの裾が邪魔でいつものように俊敏に動けない。閉めかけた扉が大きく開かれ、姿を現した人物に彼女には珍しく大声をあげそうになった。

「こんな夜更けだから、冥府から迷い出たのか? 父上」
「イザベラ、なぜ父を助けなんだ。なぜわしの跡目を継がぬのだ」

 プラテリーア公国で最後に見た父の姿は、斬首された姿だった。生きていなかったはずだし、メリッサもあれは幻覚ではないと断言している。

 なのに今、イザベラの眼前には生首を左小脇に抱えたオリンド大公がいる。

 右手には愛用のバスタードソードを持ち、最後に見た鎧姿で立っている。動きにくいドレス姿、武器は短剣が仕込まれた扇のみ。これでどうやってこの場を凌げるか。軍人としての本能が、咄嗟に窓までの最短距離を目で測った。

「お前には失望した。死ね」


 オリンドの手が上がる。イザベラの身体が窓へと動きかけたとき、隣室の扉が開きまばゆい白い閃光が部屋を満たした。

「悪霊よ、その使い手の許へ戻り滅せよ!」

 若い女の声と同時にオリンド大公の姿が消える。白い閃光も消え失せ、イザベラも視界を確保することができた。

「イザベラ様、ご無事ですか」

 今夜は下がらせていたはずの、扉を開閉させる役目の侍女が控室から飛びだしてきた。なぜここにという疑問を口にする前に、エリーゼを伴ったクレメンスも廊下へ通じる扉から飛び込んでくる。

「何事だ?」
「黒い影が南の方へ飛んでいきました。あれは一体なんなのですか?」

 二人の質問に答えたくても、イザベラも状況が把握できていない。侍女が皇帝と女官長に一礼すると、事情を説明を始めた。かいつまんで言うと、次のようになる。

 死霊術師(ネクロマンサー)がオリンド大公の霊を呼び出し半ば実体化させ、イザベラ暗殺のために行使したこと。

 自分は今夜は役目を外されたが、万が一のために控室に下がっていたところ、邪悪な気配を感じたので退魔呪文(ターン・アンデッド・スペル)で術者のもとに返したということ。

「死霊術師の術は返されると、呪術が自分自身に降りかかるといわれています。おそらく今頃、その死霊術師は死体となっているでしょう」
「そうですか。イゾルデは高司祭なので、魔法防御のためにお傍に仕えさせております。イザベラ様、どうかイゾルデをできるだけ傍から離さぬよう、お願いします」
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