第49話
文字数 1,389文字
「離せ、離さぬか無礼者!」
彼らの腕を振り解こうとしたとき、彼女の動きを封じる強烈な一言が耳朶を打った。
「そなたが后になることを承諾せねば、プラテリー公国の民たちを一人残らず処刑する。年齢や性別など関係なくな」
長い、重苦しい沈黙がその場を支配した。イザベラの身体から力が抜け、がくがくと膝が震え言葉を発そうにも全く出てこない。
「聞こえなかったか? そなたがこの婚姻を拒めば、民たちを全員処刑する」
聞こえていない訳が無い。ただ、あまりにも惨い、非情な交換条件に彼女の思考が停止してしまった。真っ青な顔でイザベラは、それでも顔を上げてクレメンスを睨みつけた。視線に全ての憎悪、怒りをこめて。全身が震え、きつくきつく握り締めた拳からは、血が出そうなほどだ。
「……るな」
小さな、小さな呟きが彼女の口から漏れた。
「ふざけるな、この外道め!」
怒りに我を忘れたイザベラは、手を捻り上げる衛兵の脛を蹴りつけ、腕を強引に振りほどいた。行く手を阻む衛兵の一人の顔面に掌底を叩き込み、もう一人には素早く足払いをかけて槍を奪う。そのままクレメンスに向けて投げつけようとしたが、まさに投げられようとしていた槍は、彼女の手の中で静止したままだった。もしここでクレメンスを殺せたとしても、居並ぶ諸将が皇帝の遺命として公国の民たちを惨殺するだろう。それだけはできない。
(仮にも国を治める一族の者が、民を不幸にしてはいけない。亡きじいが、口を極めて諭していたではないか)
「我が后になるか、公国の民たちを見殺しにするか。選べイザベラ公女」
耳に届く、不愉快極まりない台詞。悔しさと憤りで、頭がおかしくなりそうだった。イザベラは唇が切れるほど強く噛みしめ、全身を震わせながら、しぶしぶ槍を投げ捨てた。
「承知するか」
「……これだけは必ず守れ。后になることを承諾したら、民たちの命は助けると」
「約束しよう。我が名と女神アシオーの名にかけて」
クレメンスはそう言うと、衛兵たちに下がるよう命じた。だがイザベラにとって、これほど屈辱に満ちた政略結婚もない。民の命と自分の命を秤にかけられたら、彼女は民の命を優先する。だが自分を庇って戦場で散ったであろうオスティ将軍の無念、離宮へ逃がした行方知れずの弟のことを思うと、怒りと殺意が抑えきれない。
「おのれ、おのれ皇帝クレメンス!」
殺意を隠そうとしない公女に、クレメンスは悠然と微笑んだまま。捻りあげられていた腕が痛みを訴えていたが、心はもっと血を流している。ありったけの憎悪を込めて、イザベラは声を張り上げた。
「殺してやる、お前を必ず殺してやる!」
「エリーゼ、公女の世話を頼む。今夜の宴まで、公女を部屋から出すな」
イザベラの台詞などお構いなしに、クレメンスは女官長に命令を下す。
「必ず殺す! 殺してやる!」
喚き散らすイザベラは、なす術もなく先ほどまでいた部屋へ強制的に連れて行かれた。
「噂に違わぬ跳ね返りですな」
ファーベルク元帥が半ば呆れたように言った。
「あれくらい気が強くなければ、我が国の皇后は務まらぬわ」
クレメンスは、くっくっと笑いながら玉座を立つ。
「今宵は勝利の宴だ。皆も大いに楽しむが良い」
そう言い残すと、謁見の間を出る。
(あの公女は危険だ)
ハインリヒはそう思いながらも、今は何も出来ない自分の立場に身を焦がされるような焦りを覚えていた。
彼らの腕を振り解こうとしたとき、彼女の動きを封じる強烈な一言が耳朶を打った。
「そなたが后になることを承諾せねば、プラテリー公国の民たちを一人残らず処刑する。年齢や性別など関係なくな」
長い、重苦しい沈黙がその場を支配した。イザベラの身体から力が抜け、がくがくと膝が震え言葉を発そうにも全く出てこない。
「聞こえなかったか? そなたがこの婚姻を拒めば、民たちを全員処刑する」
聞こえていない訳が無い。ただ、あまりにも惨い、非情な交換条件に彼女の思考が停止してしまった。真っ青な顔でイザベラは、それでも顔を上げてクレメンスを睨みつけた。視線に全ての憎悪、怒りをこめて。全身が震え、きつくきつく握り締めた拳からは、血が出そうなほどだ。
「……るな」
小さな、小さな呟きが彼女の口から漏れた。
「ふざけるな、この外道め!」
怒りに我を忘れたイザベラは、手を捻り上げる衛兵の脛を蹴りつけ、腕を強引に振りほどいた。行く手を阻む衛兵の一人の顔面に掌底を叩き込み、もう一人には素早く足払いをかけて槍を奪う。そのままクレメンスに向けて投げつけようとしたが、まさに投げられようとしていた槍は、彼女の手の中で静止したままだった。もしここでクレメンスを殺せたとしても、居並ぶ諸将が皇帝の遺命として公国の民たちを惨殺するだろう。それだけはできない。
(仮にも国を治める一族の者が、民を不幸にしてはいけない。亡きじいが、口を極めて諭していたではないか)
「我が后になるか、公国の民たちを見殺しにするか。選べイザベラ公女」
耳に届く、不愉快極まりない台詞。悔しさと憤りで、頭がおかしくなりそうだった。イザベラは唇が切れるほど強く噛みしめ、全身を震わせながら、しぶしぶ槍を投げ捨てた。
「承知するか」
「……これだけは必ず守れ。后になることを承諾したら、民たちの命は助けると」
「約束しよう。我が名と女神アシオーの名にかけて」
クレメンスはそう言うと、衛兵たちに下がるよう命じた。だがイザベラにとって、これほど屈辱に満ちた政略結婚もない。民の命と自分の命を秤にかけられたら、彼女は民の命を優先する。だが自分を庇って戦場で散ったであろうオスティ将軍の無念、離宮へ逃がした行方知れずの弟のことを思うと、怒りと殺意が抑えきれない。
「おのれ、おのれ皇帝クレメンス!」
殺意を隠そうとしない公女に、クレメンスは悠然と微笑んだまま。捻りあげられていた腕が痛みを訴えていたが、心はもっと血を流している。ありったけの憎悪を込めて、イザベラは声を張り上げた。
「殺してやる、お前を必ず殺してやる!」
「エリーゼ、公女の世話を頼む。今夜の宴まで、公女を部屋から出すな」
イザベラの台詞などお構いなしに、クレメンスは女官長に命令を下す。
「必ず殺す! 殺してやる!」
喚き散らすイザベラは、なす術もなく先ほどまでいた部屋へ強制的に連れて行かれた。
「噂に違わぬ跳ね返りですな」
ファーベルク元帥が半ば呆れたように言った。
「あれくらい気が強くなければ、我が国の皇后は務まらぬわ」
クレメンスは、くっくっと笑いながら玉座を立つ。
「今宵は勝利の宴だ。皆も大いに楽しむが良い」
そう言い残すと、謁見の間を出る。
(あの公女は危険だ)
ハインリヒはそう思いながらも、今は何も出来ない自分の立場に身を焦がされるような焦りを覚えていた。