第11話

文字数 1,633文字

 一ヶ月前、ミルドレッド大公妃が死の床でイザベラに真実を告げた。オリンド大公が事あるごとにロベルトに少しずつ毒を盛り、衰弱死させようとしていると。

「わたくしの死後、どうかロベルトを護って。この国の正統な跡取りである、あの子を」

 大公妃の証である金剛石(アダマース)の首飾りをイザベラに形見として渡し、
「将来、あの子の妃になる女性に渡してほしい」
 と泣きながら懇願し、ミルドレッド妃は息を引き取った。

義母(はは)上さま!」

 ミルドレッドの臨終の席で、初めてイザベラはミルドレッドを義母と呼んだ。それまではずっと、大公妃殿下と呼んでいた。彼女は後悔した。なぜ継母とはいえ、もっと心を開いて接しなかったのかと。

 激しい後悔と弟に対する親愛の情、実父に対して沸き上がった明確な殺意に心を千々に乱しながら、イザベラは遺体に取りすがって泣いた。

 プラテリーア公爵家は代々、家督は男系男子が相続すると定められている。これは公国が独立する以前、宗主国であったピャヌーラ王国がそうであったためだ。しかし、現大公のオリンドは何故か、長女のイザベラに継がせようと躍起になっている。 その理由を、イザベラは知らない。古参の臣下なら知っているのであろうが、あいにく事情を知っている者たちは、ことごとく鬼籍に入っていた。

「ロブ、話があるの。あとで私の部屋に来てくれるかしら。父上に見つからないようにね」

 ミルドレッド大公妃が亡くなったのち、イザベラは必ず食事は弟とともに摂るようになった。朝食の席でまだオリンド大公が来ていないこと、給仕をする侍従や侍女の姿が一瞬途切れた隙を狙って、彼女は弟に素早く告げた。ロベルトのことを愛称で呼ぶのは、もはや姉だけになってしまった。そしてイザベラもまた、本来のやわらかい口調で話すのも、弟だけになってしまった。

 朝食から二時間後、ロベルトは信頼できる侍女のミーナと侍従のフィオリーノを伴い、姉の私室を訪れた。驚いたことにイザベラは侍女たちをすべて遠ざけており、部屋の中には四人だけとなっている。イザベラが自ら茶を淹れ、なんとミーナとフィオリーノにも勧めた。

「公女殿下、我々には勿体のうございます」
「かまわない。ロブが、弟がそなたたちを連れてきたということは、二人は信頼されているのだろう? 私も、そなたたちを信頼する。その証に、飲んでほしい」

 侍女のミーナはロベルトと同い年の十六歳。侍従のフィオリーノが、イザベラより一歳年上の二十三歳。二人とも爵位のない下級貴族の出で、亡きミルドレッド大公妃が、息子の傍にぜひにと望んだ。故に二人ともロベルトに対しての忠誠心は厚く、人間不信気味なロベルトが、姉以外に心を開く数少ない人間たちだった。

「そなたたちも、よく聞いてほしい。今夜のうちにこの城を抜け出して、北のクリニエーラ離宮へ逃げてほしい。これ以上ここにいたら、父上はロブに対して何をするか判らない」
「殿下。ですが今からですと、必要な準備が間に合いません」

 ミーナが声をあげると、フィオリーノも頷いた。イザベラはすまなそうな表情になり、俯く。

「承知の上だ。だが今夜の馬車と、御者の手配をするだけで手いっぱいだった。どこに父上の目が光っているか、判らなくてな。しばらく困らないだけの金貨は、用意してある。私も頃合いを見て始末をつけたら、そちらへ合流する」

 始末をつける、という言い方にミーナもフィオリーノも、まさかという思いがよぎる。二人の脳裏には、イザベラが大公に対して反旗を翻すのではないか、という思いだった。

「想像の通りだ。この宮殿は、やがて大騒ぎになるだろう。一足先に逃げてほしい。私が本懐を遂げたのち、離宮で合流しよう」

 イザベラの目は本気だった。本気で父親に対して、謀反を起こす気だ。弟よりも輝く金髪は背の半ばで伸びており、気の強さが表れ生命力に輝く翡翠色の瞳は、生きた宝石のようだ。柳眉を逆立ていることから、侍従と侍女はイザベラ公女が本気だと言うことを否応なく悟った。
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