第71話

文字数 910文字

「すまない、私がもう少し注意を払っていれば」
「お守りするのが、役目にございます」

 荒い息を吐くキルシュは衛兵たちの手で担ぎ上げられ、近衛兵の宿舎へと運ばれていく。心配そうな顔で一行を見送るイザベラに、クレメンスは大丈夫だと声をかける。

「私を守る為に」

 くっと唇を噛む。今までにも戦場で彼女を守るために、多くの兵士たちが命を落とした。いちいちそれを気にしていては総大将は務まらぬが、気丈に見えてもイザベラもそこは女。戦が終わると彼らのために鎮魂の儀を行ってきた。今回は寸でのところで解毒が間に合いキルシュの命は永らえたが、それでも彼女の心は痛む。

「申し上げます、曲者を捕らえました」

 捕獲に行った女官たちが一人の男を厳重に縛り上げて、クレメンスの前に引き出した。さすがに選び抜かれた腕に覚えのある女官たちだけあって、自害しないよう口の中に布を丸めて突っ込んである。

「ハインリヒ付きの文官ではないか。生白い顔で書類を相手にしていると思っていたが、弓の心得まであるとはな」

 ぎろりと厳しい目で睨み据えられ、毒矢を放った射手は肝を潰さんばかりに震え上がった。ハインリヒの名前や役職名を口にすれば、その瞬間に命が奪われる。そのことを知っているその文官は、ひたすら声をあげずに首を何度も縦に振ることで肯定の意を表す。

 彼のその仕種で、ハインリヒがどういった呪いをかけたのか理解したクレメンスは、ジェスチャーだけで答えられるよう、慎重に質問をしていく。

「間違いないか? ハインリヒに命じられたんだな?」

何度も大きく首を縦に振り、命を助けてくれと目で訴える文官。ざわり、とその場の空気が動いた。先帝の腹心の部下であったハインリヒが、暗殺の黒幕だったことが白日の下にさらされた瞬間だった。

「宰相を捕らえよ」

 良く通る声はその場に居た全員の耳に沁みこんだ。衛兵たちは即座に動き、放心状態になった文官を拘束し地下牢へと引っ立てていく。護衛の女官たちとともにその場に残ったイザベラは一言も発せないまま、立ち尽くす。

「戴冠式を待つまでもない。皇位継承者として、ハインリヒは一族もろとも捕縛し蟄居を命ずる」

 イザベラはただ、黙って頷くしかなかった。
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