第88話

文字数 1,409文字

「素晴らしいわ。宮廷吟遊詩人に褒美を授けたいのだけれど」
「では竪琴を贈ろう。ちょうどドワーフから進呈された良い金属があってな。それを弦に加工してもらおう」

 帝国の北側は山脈があり、そこにはドワーフ族が部族を分けて暮らしている。彼らとは平和協定を結んでおり帝国側の冒険者たちが魔物駆除をする代わりに、武具防具の提供を受けていた。ドワーフたちも冒険者のパーティに加わることはあり、関係は良好である。

「ならば弟――いえプラテリーア公爵に頼んで、良質のトネリコを運ばせましょう」

 エルフとの交流が深い公爵領はトネリコの木も豊富に生えている。新妻の提案に若い皇帝は微笑んでみせた。段々と心を開いてくれていってるのが、手に取るように判る。その様子を微笑ましく見守っていた他帝室と王家は静かに乾杯を交わしていた。

祝宴は尚も続くがマグダレーナ王女はまだ子どもなので、頃合いを見て王家付きの侍女に連れられて退席した。やがて舞踏用の音楽が流れ始めると、皇帝は新妻を優雅にエスコートしてダンスフロアへと降りる。

 二人とも武人として育てられてきたが、こういった貴族社会における社交も幼い頃から存分に叩き込まれている。

 軽やかに優雅に舞い踊る皇帝夫妻の姿の後に、上位貴族夫妻たちがフロアに躍り出て色鮮やかなドレスたちが舞う。彼らの子息女たちは迎賓館の舞踏場で、新帝の婚姻を祝福した。同じ年に婚姻または婚約した貴族の子息女たちは我が事のように喜び、親世代よりも華やかな色合いが咲き乱れていた。

「ミーナ、僕たちも踊ろう」
「……はい」

 爵位はないがミーナも貴族の一員である。最低限の社交は身につけており、見苦しくない程度には踊れる。これから彼女は公爵夫人として様々な視線に晒されるだろうが、ロベルトと一緒なら怖くないとさえ思えた。

「我が麗しの師匠、一曲お相手願えますか?」
「随分と気色の悪い物言いを覚えてきたな、若造が。魔術の腕前はまだわたしに及ばぬ半人前のくせに、女の口説き方は一人前ときた」
「相変わらずお口が悪いことで……我が胸の内を充分に存じているはずなのに、つれぬお方だ」

 緋色旗近衛師団に属する魔術師ヴィーラントは、薄茶色の髪と焦げ茶の瞳を持つ二十八歳。彼はエルフの血が四分の一入った師匠のメリッサに、ずっと憧れ以上の感情を抱いていた。外見年齢は同世代だが実年齢は六十歳近い彼女を、一途に想い続けている。

「ふん、近衛師団に属するならば、貴族相手に歯が浮く世辞の十や二十も顔色一つ変えずに言わねば務まらんからな。その面の皮の厚さに免じて、一曲相手をしてやらんこともない。陛下の婚姻を祝うためだ、有り難く思え」
「感謝します、我が麗しの師匠」
「その枕詞はやめんか! 虫唾が走る」
「見たまま、心のままに申し上げているのです。師匠が無粋でしたか? では我が麗しの貴婦人(レディ)と――」
「枕詞の意味を判っているだろう、貴様ぁ! その気色悪い我が麗しの――を止めろと言っているんだ!」
「照れているんですか? そんなところも可愛いですね」

 後にこの現場に居合わせた貴族子息女および警備の騎士たちは、声をそろえて証言した。

「あんな蓮っ葉な言葉遣いをする、宮廷魔術師殿を初めて見た。よほど心を開いているのですね」

 と。

 いつもは沈着冷静な宮廷魔術師(メリッサ)殿が可愛い一面を見せたと、しばし年若い者たちが集まる席では尾ひれどころか、背びれや胸びれまで付けて噂が駆け巡ったという。
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