第89話

文字数 1,175文字

 皇宮が華やかな宴に酔いしれていた頃。

 ハインリヒが自宅に軟禁状態になって、三ケ月が瞬く間に過ぎていた。

 一族郎党は全て財産等を没収され、各屋敷に軟禁もしくは強制労働の任に就いている。そんな中、ハインリヒは屋敷の地下にある書庫に連日連夜こもり、数えきれないほどの蔵書に片っ端から目を通していた。

 もともと魔術師の家系であるハインリヒの一族は、魔術に関する蔵書が文字通り腐るほどある。古すぎて手に取ることを躊躇うほどのものもあるが、ハインリヒは手当たり次第に魔界に関する蔵書を漁っていた。

 帝国の歴史が長ければ長いほど、貴族の歴史もまた長い。ハインリヒの家もそれなりに長い歴史を持つ貴族で、一族の当主の中には禁忌とされる魔族崇拝にのめりこむ者もいた。そんな当主は内密に交代しているが、記した書物は禁書としてこの地下書庫に封印されている。ハインリヒは今、それを探している。

「あの若造め、わしをないがしろにしおって。それにイザベラ、小娘め魔女めが! 許さんぞ、絶対に許さん」

 この三ケ月、寝食を惜しんで書物を読み漁っているせいかどんどん痩せこけ、人とは思えぬ形相になり果てている。目には狂気の色が浮かび、口からはクレメンスたちへの恨みが呟かれる。

 厳重に屋敷の周囲には結界が張られいるため、協力的だった他の貴族たちの動向が判らない。おそらく無事ではあるまいとハインリヒは思っていた。なにしろ、苛烈帝と恐れられた先帝の息子なのだ。いざとなれば、非情になることをハインリヒは知っている。

「わしのことを認めぬならば、認めさせてやるわい。それこそ、魔族に魂を売ってでもな」

 もはや人とも思えない笑い声をあげながら、狂人の域へと達していく。殆ど睡眠も食事もとらないのに、この溢れ出る力の源はクレメンスたちへの怨恨。それのみで彼は生きている。いや、生きながら魂は魔族へ近づいているというべきか。闇堕ちしていく先帝の側近まで務めた男は、今やただの哀れな老人に過ぎない。

 地下の書庫は、広大な屋敷の面積と同等ほどもある。ここに立ち入ることが許されるのは代々の当主と、その継承者と見なされた者だけ。しかし息子は強制労働の刑に処された現在、ここに入れるのはハインリヒと――。

「おじいさま、お食事をお持ちしました。少しは召し上がらないと、身体に毒ですわ」

 新たに継承者となった、孫娘のベアトリクスのみである。緋色旗近衛師団団長のマクシミリアンに恋をする十六歳の彼女は、祖父のことを初めて怨んだ。

 祖父のせいで宮廷に出入りすることを禁じられ結果、マクシミリアンの姿を見ることもできなくなったのだから。

 食料調達の制限も厳しく、今は庶民が食べるような固い黒パンと、野菜が申し訳程度に入った薄いスープがメインの日々。新鮮な肉や魚、果物などは見張りの兵士たちの許へ、堂々と渡ってしまう。
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