第56話

文字数 1,452文字

「私を、后にしたければすればいい。そなたが欲しいのは私ではなく、世継ぎであろう? 望み通りいくらでも産んでやるから、思う存分、抱くがいい」

 何を言われているのか、クレメンスは理解に苦しんだ。

「イザベラ?」
「私を后に望むのは、世継ぎが欲しいからだろう? この国を治めるに相応しい勇猛な世継ぎが。神の血を受け継ぐ跡継ぎが! そのために私が選ばれた。違うか?」
「違う、わたしは純粋にそなたを后に迎えたかっただけだ」

 だがイザベラは言い訳はたくさんだと叫ぶと、自ら寝間着の胸元を破った。白く豊かな胸の谷間が露わになり、思わず男の目がそこに釘付けになる。ほっそりとした白い首元には金剛石(アダマース)を戴いたネックレスがある。これはイザベラ自身の持ち物だろうかと、場違いな考えが脳裏をかすめた。

「さあ抱くがいい。無理矢理にでも私の身体を押し開いて、想いを遂げるがいい!」

 彼女はクレメンスの手を取ると、自分の胸元に押し当てた。特有の柔らかな感触にクレメンスの心が騒ぎ出すが、理性は感情の暴走を押しとどめた。何とか己の手を胸元から引き剥がすと、彼はいい加減にしろ! と怒鳴る。だがイザベラも負けてはいない。

「身体を手に入れても、心まで手に入ると思うな。私の心は常に祖国にある。例え身はこの国の皇后になろうとも、心はプラテリーア公国の公女だ。絶対に屈服するものか」

 全身で威嚇するイザベラに対し、クレメンスは声をかけることも動くことも出来ない。彼女の台詞が。世継ぎが欲しいだけだろうの台詞が、幼き頃にさんざん聞かされた母の嘆きを脳裏によみがえらせていた。

『陛下は皇子が産まれた途端、わたくしを遠ざけた。陛下は、陛下はわたくしを世継ぎを産む相手としか見て下さらなかった! わたくしは陛下をお慕い申し上げていたのに……あの方は、そうではなかった。あの方にとっては、世継ぎを産むためだけの人材だった!』

 嘆き悲しみ、ついには体調を崩しこの世を去った母。あれほど自身の后は必ず心から愛する女性を迎えようと決意し、そして遂に見つけたというのに。決して、決して世継ぎが欲しいだけではない。世継ぎではなく彼女自身が欲しいのに。

「誤解をしないでほしい。わたしが心から望むのは、そなただけだ」

 だが彼女は顔を背けると、騙されないと呟いた。

「そなたを謁見の間で見たあの時に、わたしはそなたを、心から后に迎えたいと願った。わたしと共に、この国を護り繁栄させていける女性だと、直感的に判ったから婚姻を申し込んだ」
「ならば何故、我が国を亡ぼした。何の罪もない子供たちや民衆を巻き込んだ」
「イザベラ、誤解だ。わたしたちの間には、誤解がある。今夜はその誤解を解きたい。どうか話を聞いてくれ」
「話など聞く耳持たぬ! 甘言で私をたぶらかすのだろう? 上手く言いくるめて、私を后という名の操り人形に仕立てるつもりだろう! 騙されない、騙されないからな」

 イザベラの頭には完全に血が上っており、クレメンスの言葉などまるで入らない。尚も言い募ろうとする彼の耳に、女官長の声が飛び込んできた。

「陛下。今宵はイザベラ様を、おひとりにしてあげてください」
「エリーゼ」
「申し訳ございません。何やら殺気立った会話が、漏れ伝わっていましたので」
「いや、許す。わたしは自身の寝室に戻る」

 クレメンスは呆然とした表情で部屋を出る。振り返った視線の先には、エリーゼがイザベラの身体に上着をかけていた。

(彼女とは、判り合えないのか)

 自分に向けられる憎しみの深さに、クレメンスは肩を落とした。
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