第80話
文字数 1,228文字
「僕は、残りの生涯をかけて忠誠を誓うに値する人物だと確信しました。僕は初めて王侯貴族の中で、この人こそはと思える人物に出会えました。他人を、信じてみたいと思えたんです」
「ロブ」
プラテリーア公国内で受けていた仕打ち。他人など、父親すらも信じられなかった弟が心を開き、家臣になろうと決意させるほどの男に、自分は見初められたのだ。そして、いつの間にか。
「姉上は、陛下を今も憎んでおられるのですか?」
静かな、弟からの問いかけ。
――憎む。父親を殺し、領民の命を盾に、后になれと命じた男。
心底憎んだ。弟の行方すらも判らない不安な時期を、あの男を憎むことで紛らわそうとしていた。だが、二人きりになると見せる、彼本来の優しさがイザベラの心を惑わせた。
夜毎、一方的に語られるクレメンスの話は、不思議と時を忘れさせるものだった。そしていつしか、彼の夜毎の来訪を心待ちにする自分が居た。
(戻ってきて、クレメンス)
一昨日の夜、自分はあのあと、何と続けようとしたのか。黙って見つめている弟の視線を受けながら、イザベラは沈黙の中で己の心を探る。深いところにある、認めようとしない大きな壁を意識は壊そうともがく。
認めなさい。いいや認めるなと、二つの相反する主張が脳内でこだまするが、意識はやがて壁にひびを入れることに成功した。
『戻ってきてクレメンス。私の、私の夫』
(そうか。あの夜、声にならなかった最後の呟きは、私の夫だった)
「姉上?」
思わずロベルトが声をかけた。じっと一点を凝視したまま、イザベラの双眸から大粒の涙がこぼれたからだ。姉の泣く姿など一度も見たことが無かったロベルトは、新鮮な驚きに支配されて動けなかった。なんと声をかけてよいものやら、彼には見当がつかなかったのだ。
「……お慕いしている」
「え?」
小さく呟かれた姉の言葉が聞こえず、小首をかしげる弟。
「憎んでなんかいない。私は、陛下をお慕いしているわ」
心の中の壁が崩壊した。今まで必死に隠してきた想いが溢れ出し、全身を満たしていく。彼女の内側を余すことなく埋め尽くしていき、包んでいく。
認めてしまえば、楽になった。
一人の異性として意識しているから、彼があの夜に立ち去ったことが悲しかった。意識していたから、彼が素直に泣ける場所でありたいと願い、行動した。ただ認めたくなかった、自覚するのが怖かった。彼は敵だと、必死に自分に刷り込ませて。偽った心のまま、突き放して後悔した。
「姉上」
ロベルトは立ち上がると姉の横に立ち、優しくその頭を抱きしめた。プラテリーア公国時代と立場が逆転してしまったが、違和感はない。随分と逞しくなった胸板に頬を預けて、弟の次の言葉を待つ。
「陛下を、受け入れてくださいますね」
こくりとイザベラは頷いた。観念するしかない。
「実は姉上。僕も姉上にお話ししたいことがあるんです。さ、入っておいで」
すると室内の扉が開き、隣室からおずおずとひとりの少女が入ってきた。
「貴女は確か……」
「ロブ」
プラテリーア公国内で受けていた仕打ち。他人など、父親すらも信じられなかった弟が心を開き、家臣になろうと決意させるほどの男に、自分は見初められたのだ。そして、いつの間にか。
「姉上は、陛下を今も憎んでおられるのですか?」
静かな、弟からの問いかけ。
――憎む。父親を殺し、領民の命を盾に、后になれと命じた男。
心底憎んだ。弟の行方すらも判らない不安な時期を、あの男を憎むことで紛らわそうとしていた。だが、二人きりになると見せる、彼本来の優しさがイザベラの心を惑わせた。
夜毎、一方的に語られるクレメンスの話は、不思議と時を忘れさせるものだった。そしていつしか、彼の夜毎の来訪を心待ちにする自分が居た。
(戻ってきて、クレメンス)
一昨日の夜、自分はあのあと、何と続けようとしたのか。黙って見つめている弟の視線を受けながら、イザベラは沈黙の中で己の心を探る。深いところにある、認めようとしない大きな壁を意識は壊そうともがく。
認めなさい。いいや認めるなと、二つの相反する主張が脳内でこだまするが、意識はやがて壁にひびを入れることに成功した。
『戻ってきてクレメンス。私の、私の夫』
(そうか。あの夜、声にならなかった最後の呟きは、私の夫だった)
「姉上?」
思わずロベルトが声をかけた。じっと一点を凝視したまま、イザベラの双眸から大粒の涙がこぼれたからだ。姉の泣く姿など一度も見たことが無かったロベルトは、新鮮な驚きに支配されて動けなかった。なんと声をかけてよいものやら、彼には見当がつかなかったのだ。
「……お慕いしている」
「え?」
小さく呟かれた姉の言葉が聞こえず、小首をかしげる弟。
「憎んでなんかいない。私は、陛下をお慕いしているわ」
心の中の壁が崩壊した。今まで必死に隠してきた想いが溢れ出し、全身を満たしていく。彼女の内側を余すことなく埋め尽くしていき、包んでいく。
認めてしまえば、楽になった。
一人の異性として意識しているから、彼があの夜に立ち去ったことが悲しかった。意識していたから、彼が素直に泣ける場所でありたいと願い、行動した。ただ認めたくなかった、自覚するのが怖かった。彼は敵だと、必死に自分に刷り込ませて。偽った心のまま、突き放して後悔した。
「姉上」
ロベルトは立ち上がると姉の横に立ち、優しくその頭を抱きしめた。プラテリーア公国時代と立場が逆転してしまったが、違和感はない。随分と逞しくなった胸板に頬を預けて、弟の次の言葉を待つ。
「陛下を、受け入れてくださいますね」
こくりとイザベラは頷いた。観念するしかない。
「実は姉上。僕も姉上にお話ししたいことがあるんです。さ、入っておいで」
すると室内の扉が開き、隣室からおずおずとひとりの少女が入ってきた。
「貴女は確か……」