第41話
文字数 1,742文字
イザベラは反射的に左腕に父の生首を抱え、右手で愛用のバスタードソードを抜くと、振り向きざま背後を薙いだ。だが手応えは無く、虚しく剣は空を切るのみだった。
「お、お待ちくださいませ公女殿下」
「メリッサ?」
ボロボロになった術士のローブをまとい、宮廷魔術士は床に這いつくばっていた。イザベラは慌てて剣を鞘に納めると膝を折り、メリッサを助け起こす。
「そなた、無事であったか」
「も、申し訳ございません公女殿下。わたくしどもがお傍についておりながら、大公を」「何も申すな、そなただけでも無事ならばそれでよい。誰か、メリッサの手当てを頼む」
そこまで言ってから、彼女は周囲に部下が一人もいないことに気づいた。
(彼らは何処に?)
次の瞬間、イザベラの身体が石のように固まり、指一本動かせなくなった。
(なにっ?)
どうやら口だけは動かせるらしい。パクパクと口を動かすだけで、後の言葉が続かない。すると周囲の光景が一変し、床に累々と転がる親衛隊の屍がイザベラの目に入った。ボロボロだった筈のメリッサのローブは、新品のようにゆったりと纏われている。そういえば彼女は幻術が得意だったな、と公女は内心で呟く。今の今まで幻術を見せられていたのかと、ようやく気付いた。メリッサはゆっくりと片膝をつき、恭うやうやしく頭を垂れた。
「イザベラ公女殿下。長らくわたくしは、貴女様を謀っておりました。わたくしは、ヴァイスハイト帝国の“草”でございます」
「く、“草”だと?」
イザベラの目が信じられない、と言わんばかりに大きく見開かれた。そういう存在があることを、彼女はかつて父から聞いていた。まさかメリッサが、という思いがあった。
「嘘だろう……私をからかっているのかメリッサ!」
「嘘偽りなど一切申しておりませぬ。わたくしは帝国からこの国に派遣された、“草”の者でございます」
頭を殴られたような衝撃を覚えつつも、イザベラはさすがに軍人であった。すぐさま立ち直ると、改めて問う。
「な、何ゆえに帝国は攻めてきた? このように父上を、何故」
後は言葉が続かなかった。メリッサは何の感情もこもらない目で、イザベラを真っ直ぐに見据えてくる。
「理由は、ふたつございます。ひとつ目は」
メリッサは公女が大事に抱えているオリンド大公の首を掴むと、無造作に床に放り投げた。鈍い音をたてて転がっていく様を、公女は見つめることしか出来ない。
「何をするのだ無礼者!」
イザベラは思わず声をあげるが、メリッサは冷たい目でオリンド大公の生首を見つめる。
「公女殿下。貴女の父君は、畏れ多くもクレメンス新皇帝陛下の戴冠式に乗じて、帝国を攻めるおつもりでした。そして陛下を人質にして、帝国を乗っ取るつもりだったのです」
「父上が帝国を攻めるだと? 私はそんな話は聞いていない!」
「ええ、大公とその側近数人しか知らない国家機密でした。ですがその側近の中に」
「お前という“草”が混じっていたのか」
身体が動いてくれたらと願う。イザベラはピクリとも動かぬ自分の指を、それでも動かそうと懸命に力を入れる。メリッサは妖艶な笑みを浮かべると、さらりと肩を滑る髪を後ろに払う。呆れるほど優雅な仕草に、公女は怒りを覚える。メリッサから勝ち誇った勝者の驕りすら感じられたからだ。それが誇り高い公女の神経を逆撫でする。
「帝国に仇なす者には制裁を――それが我が国の掟ですわ。そしてもうひとつの理由が」
女宮廷魔術師は真面目な顔になると、イザベラの目を真っ直ぐに見た。
「皇帝陛下が、貴女様をお望みだからです。それと大公の首を挙げたのは、ロベルト公子殿下でございますよ」」
「ロブが? そうか、本懐をあの子が。いやそれよりも、皇帝が私を望む? どういう意味だそれは」
その問いには答えずに、メリッサは軽く右手を挙げた。途端にイザベラは、強烈な睡魔に襲われる。
「まて。わたしの質問に、こた」
だが呪文の効力が、イザベラの精神力を上回った。公女はやがて首をがくりと垂れ、深い眠りに落ちてしまった。崩れ落ちる身体を支えながらメリッサは、再び妖艶な微笑みを浮かべると囁くように呟く。
「皇帝陛下が、直々に教えくださいますよ。公女殿下」
深い眠りについたイザベラには、メリッサの囁きは届かなかった。
「お、お待ちくださいませ公女殿下」
「メリッサ?」
ボロボロになった術士のローブをまとい、宮廷魔術士は床に這いつくばっていた。イザベラは慌てて剣を鞘に納めると膝を折り、メリッサを助け起こす。
「そなた、無事であったか」
「も、申し訳ございません公女殿下。わたくしどもがお傍についておりながら、大公を」「何も申すな、そなただけでも無事ならばそれでよい。誰か、メリッサの手当てを頼む」
そこまで言ってから、彼女は周囲に部下が一人もいないことに気づいた。
(彼らは何処に?)
次の瞬間、イザベラの身体が石のように固まり、指一本動かせなくなった。
(なにっ?)
どうやら口だけは動かせるらしい。パクパクと口を動かすだけで、後の言葉が続かない。すると周囲の光景が一変し、床に累々と転がる親衛隊の屍がイザベラの目に入った。ボロボロだった筈のメリッサのローブは、新品のようにゆったりと纏われている。そういえば彼女は幻術が得意だったな、と公女は内心で呟く。今の今まで幻術を見せられていたのかと、ようやく気付いた。メリッサはゆっくりと片膝をつき、恭うやうやしく頭を垂れた。
「イザベラ公女殿下。長らくわたくしは、貴女様を謀っておりました。わたくしは、ヴァイスハイト帝国の“草”でございます」
「く、“草”だと?」
イザベラの目が信じられない、と言わんばかりに大きく見開かれた。そういう存在があることを、彼女はかつて父から聞いていた。まさかメリッサが、という思いがあった。
「嘘だろう……私をからかっているのかメリッサ!」
「嘘偽りなど一切申しておりませぬ。わたくしは帝国からこの国に派遣された、“草”の者でございます」
頭を殴られたような衝撃を覚えつつも、イザベラはさすがに軍人であった。すぐさま立ち直ると、改めて問う。
「な、何ゆえに帝国は攻めてきた? このように父上を、何故」
後は言葉が続かなかった。メリッサは何の感情もこもらない目で、イザベラを真っ直ぐに見据えてくる。
「理由は、ふたつございます。ひとつ目は」
メリッサは公女が大事に抱えているオリンド大公の首を掴むと、無造作に床に放り投げた。鈍い音をたてて転がっていく様を、公女は見つめることしか出来ない。
「何をするのだ無礼者!」
イザベラは思わず声をあげるが、メリッサは冷たい目でオリンド大公の生首を見つめる。
「公女殿下。貴女の父君は、畏れ多くもクレメンス新皇帝陛下の戴冠式に乗じて、帝国を攻めるおつもりでした。そして陛下を人質にして、帝国を乗っ取るつもりだったのです」
「父上が帝国を攻めるだと? 私はそんな話は聞いていない!」
「ええ、大公とその側近数人しか知らない国家機密でした。ですがその側近の中に」
「お前という“草”が混じっていたのか」
身体が動いてくれたらと願う。イザベラはピクリとも動かぬ自分の指を、それでも動かそうと懸命に力を入れる。メリッサは妖艶な笑みを浮かべると、さらりと肩を滑る髪を後ろに払う。呆れるほど優雅な仕草に、公女は怒りを覚える。メリッサから勝ち誇った勝者の驕りすら感じられたからだ。それが誇り高い公女の神経を逆撫でする。
「帝国に仇なす者には制裁を――それが我が国の掟ですわ。そしてもうひとつの理由が」
女宮廷魔術師は真面目な顔になると、イザベラの目を真っ直ぐに見た。
「皇帝陛下が、貴女様をお望みだからです。それと大公の首を挙げたのは、ロベルト公子殿下でございますよ」」
「ロブが? そうか、本懐をあの子が。いやそれよりも、皇帝が私を望む? どういう意味だそれは」
その問いには答えずに、メリッサは軽く右手を挙げた。途端にイザベラは、強烈な睡魔に襲われる。
「まて。わたしの質問に、こた」
だが呪文の効力が、イザベラの精神力を上回った。公女はやがて首をがくりと垂れ、深い眠りに落ちてしまった。崩れ落ちる身体を支えながらメリッサは、再び妖艶な微笑みを浮かべると囁くように呟く。
「皇帝陛下が、直々に教えくださいますよ。公女殿下」
深い眠りについたイザベラには、メリッサの囁きは届かなかった。