第28話

文字数 1,768文字

 その昔、高貴な身分の人間を軟禁することに使われていた公国の宮殿地下牢に、二十数年ぶりに人が拘禁されていた。その身分を考慮してか鎖に繋がれてはいなかったが、公国の公女を閉じ込めているのだ。当の本人は屈辱に顔を赤くしていた。

 地下牢といっても部屋の入り口に鉄格子がはめられているだけで、その部屋の中ならば自由に行動ができる。ただ日光は入らず、食事も使用人たちと同じものが与えられる。待遇は、かつてのロベルトよりも悪い。プラテリーア公国のイザベラ公女は、不満を思い切り顔に刷いていた。

 事の起こりは今朝。夜のうちにロベルトたち三人を離宮へと送り出した翌朝、息子がいつまで経っても、朝食の席に姿を見せないことを不審に思ったオリンド大公。すぐさま部屋へ人をやり、もぬけの殻になっていることで事態を把握した。すました顔で朝食を摂る娘に詰問しても、彼女は知らぬ存ぜぬの一点張り。朝食を終えた彼女が立ち上がったところを、父は腕を取り引き留めた。

「庇い立てするのか、イザベラ」
「父上こそ息子を毒殺しようと、今朝も何か仕込んだのではありませんか? 義母(はは)上さまが身を挺してお守りしたように、私が弟を守っても何の不思議もございませんが?」
「イザベラ。そなたとあやつでは、立場が違う」
「何が違うのですか。この国の継承権は、昔から男子にと定められているはず。立派な嫡男がいるのに、あろうことか毒殺し娘に継がせるという、恥知らずな真似をしようとしているのは何処のどなたですか?」

 イザベラは公国内外で『姫将軍』だの『鬼姫』だのと異名をとるほどに気が強い。弟を護るために、自然と、必然的にそうなったのだ。女だてらに軍に在籍し、指揮官としても優秀な一面を見せている。だからこそ、一部の軍人からは、次期大公はイザベラにという声も上がっているのだが。

 大公は娘の生意気な口の利き方に激高し、思わず平手打ちを食らわせた。さすが軍人として鍛えられているだけあってよろめきはしたものの、並の女のように倒れ伏すことはない。踏みとどまるとお返しとばかりに、拳を父親の鼻っ柱に叩き込んだ。

 給仕をしていた侍女たちの悲鳴が上がる。オリンド大公も、女の拳で倒れるほどひ弱ではない。もう一度強めに平手打ちをすると、今度は娘の蹴りが鳩尾に入った。

 イザベラは宮廷行事以外でドレスを纏うことはない。公女である前に軍人という認識が強く、常に黒地に金糸と銀糸で模様が描かれた、華麗な高級軍人用の軍服を着用し、宮殿内でも常時、帯剣している。当然ながら軍靴を履いているので、蹴りは女といえど相当に重い。

 さすがに急所である鳩尾への攻撃は効いたようで、オリンド大公は
「剣を持て!」
 と叫ぶ。あまりのことに誰も動けない中、近くにいた従者が尻を蹴飛ばされて、ようやく大公の愛剣を取りに行き、差し出す。

「この愚か者が。父に逆らうのか?」
「理を自分の都合でねじ曲げ、妻を毒殺し息子の命を狙うような男に逆らって、何が悪いというのだ」
「よくも申した、剣を抜け!」
「イザベラ=メルチェーデ=ディ=プラテリーア、受けて立つ!」

 互いの剣は、刃引きなどしていない真剣。壮絶な父娘喧嘩に、誰もが震えて動けない。みな遠巻きにして、目を泳がせている。

 父と娘の剣が、切り結ぼうとしたその刹那、第三者の声と剣が割り込んだ。

「お待ちくださいませ大公閣下。公女殿下も、剣をお納めくださいませ」

 イザベラとロベルトの(もり)役であり、武術指南役のオスティ将軍が静かに、だが反論を許さぬ声音で言い渡す。家臣でありながら主君たちを圧倒するその威圧感は、長年、戦場の最前線で培ったものだ。

「邪魔だてするかオスティ。いくらそなたでも、事と次第によっては許さぬぞ」
「じい、これは私たち親子の問題だ。余計な真似は控えてもらおうか」
「侍女たちの面前で剣を抜き私闘に走るは、武人の恥ではございませぬか?」

 一歩も引かぬ物言いに、さすがに親子は黙り込む。周囲を見渡せば、怯え切った侍女たちが遠巻きに眺めている。口封じをしようにも、女の口に戸はたてられない。

 忌々し気に睨みあうと、双方は同時に剣を収めた。しかし君主である大公に剣を向けた事実は消せず、イザベラはオリンドの最初の妃が幽閉されて以来、使われることのなかった地下牢へと、しばらく軟禁が命じられたのだ。
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