第36話

文字数 1,651文字

「大公殿下、ここは危険でございます」

 謁見の間に突如湧いて出てきた帝国軍に、完全に不意を突かれた公国側は為す(すべ)もなく総崩れとなっている。何とか甲冑と愛用の大剣を手にしたものの、オリンド大公は苦悶の表情を浮かべていた。彼の周囲には、近衛騎士団長エミリオをはじめとする近衛隊隊士たちと宮廷魔術士のメリッサ、そして大神官がいて逃げ惑う女官や神官たちを尻目に、宮殿の奥へ奥へと移動をする。護衛の騎士たちはなぜ城外へ逃げないのだろうと訝しく思いながらも、主君の護衛のため付いていく。

「何ゆえに、帝国軍が急に攻めてきたのだ? いやそれよりも、いきなり謁見の間から現れるとは」

 オリンド大公は混乱状態になっていた。密かに計画し、実行するはずだった帝国への侵攻計画。下オルグ邸の崩御に乗じて攻め込む計画が、まさか先手を打たれたかのように、何の前触れもなく逆に攻められるとは。

(何故だ、何故だ、何故だ?)

 いくら考えても判らない。しかも軍の主力はイザベラと共に不在。それに乗じてである。これはまさか、という思いがオリンド大公の脳裏を駆け巡る。

(まさか内通者がいたというのか?)

 そうでなければ、ごくごく自分に近しい側近にしか打ち明けなかった帝国侵攻計画の裏をかくように、自国が攻められるわけがない。娘にさえ、この計画は打ち明けていなかったのだ。冷静さはふっとび、オリンド大公は自分を護衛している者たちにすら疑いを抱いた。

(いま周囲にいる数人に、計画を打ち明けたのだ……この中に裏切り者がいるのか?)

 混乱と猜疑心にとらわれ、オリンド大公は側近中の側近たちを、ギラギラした目で眺め回す。まるで猛禽類のような、獲物を見つけた猛獣のような鋭い視線。怒りと疑念。どろどろとした思惑が渦巻く、禍々しい視線。

(宮廷魔術士か? それとも小姓のころから自分に付き従ってきた近衛隊隊長か? 大神官か? 誰だ、誰だ、誰が裏切り者なのだ?)

「お前たちの誰が裏切ったのだ」

 小さく呟きが漏れた。側近の誰もが一瞬、なにを言われたのか判らずに、戸惑いの表情を浮かべる。

「大公殿下、何か仰いましたか?」
「そなたか。そなたが裏切り者か?」

 刹那、オリンド大公は手にしていた大剣を振り回し、長年仕えてきた宮廷魔術士メリッサの首を刎ねた。

「大公殿下、ご乱心召されましたか?」

 その場にいた全員が、驚きの声をあげる。大公の目は血走り、狂気の光が宿っている。血に濡れた大剣を手に、全身を震わせ獣のような咆哮をあげる。

「誰だ、わしを裏切ったのは!」

 叫びながらオリンド大公は、次々と近衛騎士たちを斬り捨てていく。皆、驚愕の表情を浮かべたまま一閃され、絶命していく。足元に累々と転がっていく騎士たちの屍に、ますます彼は正気を失っていった。死にきれず悶絶する騎士を治癒しようとした大神官を、背後から袈裟斬りにして絶命させる。

 大公を護るためにふるう剣はあっても、己の危機に抵抗すべきか否か迷う近衛騎士団団長のエミリオ。からくも狂気に呑まれた主君の剣を逃れた彼は、それでも健気にどこからか現れるかもしれない帝国軍から護るために付き従うしかできない。

「わしを裏切ったのは誰だ、誰だ!」

 叫びながら、血塗れた大剣を振り回しながら、大公は逃げ惑う女官や文官を斬殺していく。恐怖に目を(みは)る者、悲鳴をあげて逃げ惑う者。それらすべてお構いなしだ。

「何をされているのですか、大公殿下!」

 惨殺現場を目の当たりにした、女官長アンジェラの声すらも届かない。恐怖で心が壊れかけた大公には、最愛の女性すら怪しく思えている。

「わしを裏切りおって。未だに父上に心を残しおって。この娼婦めが、何故にわしの物にならぬ? 身も心もわしの物にならんのだ!」

 血飛沫が飛んだ。

 頭から両断されたアンジェラ女官長は、声を上げることすらできぬまま──そしてイザベラと母娘(おやこ)の名乗りをあげることすらできずに、絶命した。最期の瞬間、彼女の脳裏に現れたのは最愛の先代大公の面影と、娘イザベラの悪戯(いたずら)めいた笑顔だった。
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