第2話

文字数 1,326文字

 閉め出された臣下たちは扉の向こうの皇帝を思い、一心不乱に最高神デウスに、また国の守護神である戦女神アシオーに祈りを捧げ始めた。中に入ったクレメンスは、父親の死相に思わず眉をひそめた。死期が近い者からは死相が顕れる。長年戦場の最前線で戦ってきた彼には、馴染みのものだった。

(ついに、父上も召されるときが来たのか)

 ぐっと一瞬だけ唇を噛みしめた彼は、やがて父帝の枕頭まで来ると、父上、と呼びかけた。死線をさまよっていた皇帝は息子の声には反応するらしく、呻きながらも目を開けた。皮膚は乾きボロボロ、唇もカサカサでわなわなと震えていたが、その目はまだ確かな光を放っている。まだ死ねない、死んではならぬという生への執着が感じられる。

「父上。クレメンス、お傍に参りました」
「おお、わが息子よ」

 かすれてはいたが、声はまだ聞き取れる。皇太子は最後の輝きを放つ父帝の両眼を見つめ、次の言葉を待った。

「予が亡き後はそなたが皇帝となる。よいか、今から申し付けることを予の遺言と思い、心に深く刻み込んでおけ」
「御意」

 神妙に頷くと、安心したように皇帝ゲオルグは息を吐き、続けた。

「よいか、我が国は決して滅んではならん。血筋を絶やしてはならんのだ。判るな、クレメンス」
「重々、承知しております」
「我が国が護りし封印を、決して解いてはならん。我ら一族の存在意義は、まさしくそこにあると心得よ」
「はい」

 力強く返事をする息子に、皇帝は右手を差しのべてきた。細い、骨と皮ばかりになったその手を握り返し、あふれそうになる涙を必死にこらえる。男として、皇太子として決して涙は見せてはいけない。そう念じても、心のどこかが悲痛な叫びをあげる。

「この国を守れ、他国の侵入を許してはならぬ。我が国と西のテレノ帝国、そして極東の神秘の島国・ヤポネシアが守る封印は、決して解いてはならんのだ」

 死神がすぐ傍にいるというのに、皇帝の言葉には力があふれていた。命の最後の一滴までも振り絞り、父は息子に繰り返し繰り返し念を押す。神代より続きし封印を解いてはならぬ。これをくどいほど繰り返して。

「父上!」

 ついに口から大量の血を吐いた皇帝に、クレメンスは思わず身を乗り出す。荒い呼吸に、部屋の片隅に控えていた侍医が飛んでくるが、何処にそんな力が残っていたのかと思うほどの大音声で制止された。

「そなたの花嫁を、この目で見られぬのが心残りだ。予の自慢の息子よ、立派に国を治めよ」
「はい、はい父上」

 もう我慢ができなかった。あふれる涙を拭おうともせずに、クレメンスはただ父帝の手を握り、遺言に頷くことしかできない。血で染まった口元を歪めるようにして笑った後、急にゲオルグ帝の力が抜けた。

「ち、父上?」
「失礼いたします、殿下」

 侍医が反対側から皇帝の脈と瞳孔を確認し、崩御にございますと告げた。そのまま彼はクレメンスに一礼すると、呆然としたままの彼を残し、部屋の外にいる臣下たちに主君の交代が行われたことを告げた。

 クレメンスの耳に、やがて大きな嘆きと新皇帝の即位を祝う歓声が入り混じった騒音が、飛び込んできた。

 ひとつの時代が終わり、新しい時代が来る。そんな出来事がヴァイスハイト帝国で、この日起こった。
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