第44話

文字数 1,159文字

(やわらかくて暖かい。ふかふかで身体が沈み込んでいくような、そんな感触。いつも使っているものよりも、もしかしたら上等なのかもしれない。ああ、このまま眠っていたい)

「まだ目覚めないのですか」

(何だろう、近くて遠いところから声がする。初めて聞く声、ばあやよりも若いな)

「はい、エリーゼ女官長」 

(エリーゼ、エリーゼ。聞いたことがない名前。女官長と呼ばれているくらいだから、それなりの地位にあるのね。目覚めるって私のことかしら? あ、温かい手。額が気持ちいい) 

 そこでイザベラの目が覚めた。目に飛び込んできたのは、白い女の掌だった。額に乗せられた手は、やわらかくて心地よかった。

「お目覚めになられましたか、イザベラ公女殿下」 

 耳に届く声は心地よいメゾソプラノ。白く温かい手が視界から消え、代わりにほっそりとした顔立ちの女性がイザベラの目に入った。彼女はそのまま優しく微笑むとイザベラが身を横たえているベッドの傍らに膝をついた。

「ご気分は如何ですか。どこか痛む箇所などはございませんか?」 

 イザベラは、ゆっくりと自分の身体の状態を確かめる。 両腕、異常なし。両脚、異常なし。深呼吸をしてみても、肺は痛まない。頭もはっきりとしている。イザベラは両拳を握り締めると、意識がたったいま戻ったかのように虚ろな声で、目の前の女官長と呼ばれた女性に問いかけた。

「ここは?」
「ここは安全な場所でございますよ」 

 にっこりと微笑む顔は、なぜかイザベラを安心させた。

「咽喉が、咽喉が渇いた。なにか飲み物を貰えないだろうか」
「かしこまりました。誰か」
 
 エリーゼ女官長がイザベラから視線を外した刹那、ベッドの中から勢いよく身体を起こし、右腕を女官長の首に巻きつけた。突然のことに、エリーゼも周囲にいた女官たちも動けなくなった。

「騒ぎ立てるな。私の質問に正直に答えてくれたら、手荒な真似はしない。ここはどこだ?」

 周囲の女官たちは上司であるエリーゼを盾に取られ、どう答えてよいものやら、おどおどとしている。

「公女殿下、わたしがお答えいたしますので、もう少し力を緩めていただけませんか?」

 苦しげな息を吐きながら、エリーゼはイザベラに言う。要求通りにほんの僅か力を緩めると、エリーゼは小さく咳き込んだ。

「こ、ここはヴァイスハイト帝国の首都、ヴァールハイト。そしてクレメンス新皇帝陛下が住まわれる、レーヴェ宮殿です」
「何、ヴァイスハイト帝国だと?」

 驚愕にイザベラの手が緩んだ。その隙を見逃さず、エリーゼは公女の鳩尾に鋭く肘を入れた。

「ぐっ!」

 不意をつかれたイザベラの右腕が、完全に緩んだ。女官長は素早くイザベラの腕を取ると、背負い投げを決める。綺麗に身体が宙に舞い、イザベラは不完全ながらも受身を取ったが、したたかに背中を打ちつけてしまった。
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