第67話
文字数 1,295文字
(また夜が来た。今夜こそ、受け入れなければいけないだろう)
窓を開け夜風を頬に受けていたイザベラは、そっと息を吐いた。寝間着姿の彼女は、他の貴婦人よりも筋肉質な身体をしていて女性らしい丸みにやや欠けるが、その分、余計な肉は一切ついていない。女性にしては背も高いほうだが、それでもクレメンスよりはだいぶ低い。少し冷たくなってきた夜風が、ゆっくりとではあるが季節の移ろいを感じさせる。彼女の脳裏に去来するのは、生死不明の弟のことばかり。消息はクレメンスが知っているということだが。
(ロブ、貴方は生きているの? それとも。あぁ手がかりひとつ、髪の毛ひと筋も手に入らないなんて)
少し風が強く吹きぬけ、イザベラの髪を乱した。もう一度小さく息を吐くと彼女は窓を閉めた。ノックの音が聞こえたからだ。この夜更けに寝所を訪れることを許されるのは、ひとりしかいない。昨夜は取り乱してしまったが、今は多少落ち着いている。緊張してはいるが、頭の芯は冷静だ。
「酒を飲みながら少し話をしたいが、よいか?」
「ああ、構わない」
エリーゼには心を開いたほうが賢明だと判断したが、夫となるクレメンスには未だに貝のように閉ざしている。にこりともせずに酒の支度をすると、向かい合って座った。注がれた葡萄酒の、芳醇な香りが広がった。
「刺客に襲われたそうだな」
「毒入りの茶を飲まされそうになった。もっとも、あんな判りやすい暗殺者など、素人でも看破できるだろうがな」
酒は一方的にクレメンスが飲む。昼間のこともあってか、イザベラはグラスを手に取らない。賢明な判断だが、クレメンスとしては、寂しい態度だ。ゆっくりと杯を重ねるクレメンスは、憂いの眼差しを向けてきた。
「一ヶ月だけ辛抱してほしい。できる限りの手は打たせてもらう」
「私に死なれては困るようだな」
「当たり前だ」
酒を飲んでいるのに一向に酔わないクレメンスの声が、厳しいものに変わった。戦場を駆け回り、度胸も胆も据わっているはずのイザベラが思わずビクリと肩を震わせたほど、その声は気迫に満ちていた。
「わたしはそなたをひと目見て、心より后にしたいと望んだ。惚れた女を簡単に殺させる男では、断じてない」
あまりにも大胆な告白に、こういった色恋沙汰に慣れていないイザベラの胸が締め付けられた。この男は敵、父親や領民の仇──そう思っていても、決して酒のせいだけではない熱っぽい目を向けられて、平常心を保つのに苦労する。
「そなたは行く行くは皇后となる身だが、今は微妙な立場にいる。敗国の姫、戦利品といった目で見ている者も多い。皇后に迎えると下知してあるが、正式にその位に就いていない今のそなたは、この宮殿内では客分ともいえるし、内乱を引き起こす危険分子とも言える」
ずばり言われて、改めて自分の立場を思い知らされる。エリーゼを初めとする女官たちは自分のことを『皇后陛下』と認識し接しているが、大部分はそうではないのだろう。クレメンスの命令は絶対だが、自分の娘や孫娘を皇后位に就けたいと願う貴族は、ハインリヒの他にもいるだろう。そんな連中が自分の命を狙っている──改めて身が引き締まる思いだ。
窓を開け夜風を頬に受けていたイザベラは、そっと息を吐いた。寝間着姿の彼女は、他の貴婦人よりも筋肉質な身体をしていて女性らしい丸みにやや欠けるが、その分、余計な肉は一切ついていない。女性にしては背も高いほうだが、それでもクレメンスよりはだいぶ低い。少し冷たくなってきた夜風が、ゆっくりとではあるが季節の移ろいを感じさせる。彼女の脳裏に去来するのは、生死不明の弟のことばかり。消息はクレメンスが知っているということだが。
(ロブ、貴方は生きているの? それとも。あぁ手がかりひとつ、髪の毛ひと筋も手に入らないなんて)
少し風が強く吹きぬけ、イザベラの髪を乱した。もう一度小さく息を吐くと彼女は窓を閉めた。ノックの音が聞こえたからだ。この夜更けに寝所を訪れることを許されるのは、ひとりしかいない。昨夜は取り乱してしまったが、今は多少落ち着いている。緊張してはいるが、頭の芯は冷静だ。
「酒を飲みながら少し話をしたいが、よいか?」
「ああ、構わない」
エリーゼには心を開いたほうが賢明だと判断したが、夫となるクレメンスには未だに貝のように閉ざしている。にこりともせずに酒の支度をすると、向かい合って座った。注がれた葡萄酒の、芳醇な香りが広がった。
「刺客に襲われたそうだな」
「毒入りの茶を飲まされそうになった。もっとも、あんな判りやすい暗殺者など、素人でも看破できるだろうがな」
酒は一方的にクレメンスが飲む。昼間のこともあってか、イザベラはグラスを手に取らない。賢明な判断だが、クレメンスとしては、寂しい態度だ。ゆっくりと杯を重ねるクレメンスは、憂いの眼差しを向けてきた。
「一ヶ月だけ辛抱してほしい。できる限りの手は打たせてもらう」
「私に死なれては困るようだな」
「当たり前だ」
酒を飲んでいるのに一向に酔わないクレメンスの声が、厳しいものに変わった。戦場を駆け回り、度胸も胆も据わっているはずのイザベラが思わずビクリと肩を震わせたほど、その声は気迫に満ちていた。
「わたしはそなたをひと目見て、心より后にしたいと望んだ。惚れた女を簡単に殺させる男では、断じてない」
あまりにも大胆な告白に、こういった色恋沙汰に慣れていないイザベラの胸が締め付けられた。この男は敵、父親や領民の仇──そう思っていても、決して酒のせいだけではない熱っぽい目を向けられて、平常心を保つのに苦労する。
「そなたは行く行くは皇后となる身だが、今は微妙な立場にいる。敗国の姫、戦利品といった目で見ている者も多い。皇后に迎えると下知してあるが、正式にその位に就いていない今のそなたは、この宮殿内では客分ともいえるし、内乱を引き起こす危険分子とも言える」
ずばり言われて、改めて自分の立場を思い知らされる。エリーゼを初めとする女官たちは自分のことを『皇后陛下』と認識し接しているが、大部分はそうではないのだろう。クレメンスの命令は絶対だが、自分の娘や孫娘を皇后位に就けたいと願う貴族は、ハインリヒの他にもいるだろう。そんな連中が自分の命を狙っている──改めて身が引き締まる思いだ。