第92話

文字数 1,243文字

 ベアトリスの口から絶叫がほとばしる。

 腹部を腕を脚を切り刻まれ、それでも思い出したように施される治癒魔法で治り、また傷つけられる。

 十日間生贄の血が必要とされることから、少なくとも十日は自分は生かされるのだと、ベアトリスは激痛に耐えながら朦朧とする意識の隅で呟いた。

 この地下室に連れてこられて幾日が過ぎたのか、もう彼女には分からない。十六歳という若さで、しかも祖父の手で命を絶たれるのかと思うと恐怖と情けなさで涙が出てくる。

 それでも彼女は懇願せずにはいられない。愛する祖父が、魔族に近づくことを防ぐために。また自身が生まれ育った帝国の滅亡、封印崩壊という最悪のシナリオを防ぐために。

「おじい様、こんなことをして一体何になるんですか。私は陛下のお后になれるような器ではありません。イザベラ様という立派な方がいらっしゃるではありませんか」
「黙れ!」

 イザベラの名前を出すと一層身体を傷つけられる。深く深く傷がつけられるが、それでもベアトリスは諦めない。喋れば余計な体力を消耗し死に近づくが、そんな事は構わなかった。

「いいえ黙りませんわ。私は陛下ではなく、マクシミリアン様をお慕いしているんです。あの方だけを」

「緋色旗近衛師団の団長夫人よりも、皇后がお前に相応しい地位だと言っているだろう!」
「分不相応な地位は望みません。おじい様、陛下にはもうイザベラ様がいらっしゃいます。お認めになってください」
「あんな小娘が皇后だと? あれは魔女だ。わしの野望を、長年の夢をことごとく潰す稀代の魔女だ」
「おじい様の願望は、ただの野心ではありませんか。陛下の外戚になって権力を手に入れる、何と浅ましい」
「ベアトリス、何だその口の利き方は!」

 孫娘の言い分がよほど癇にさわったのか、胸に刃物を深く突き立てられた。あまりの痛みに声も出ない孫娘に、ハインリヒは血走った目でうわ言のように繰り返す。

「クレメンスの大馬鹿者め。わしの言うことを聞いていればよいものを。皇太子時代からあの男は生意気で我が強くて、手こずらせおった。先帝に媚を売りまくったのに、あ奴は儂を鼻で笑いおって。くそ生意気なガキが、挙句には自分で后を決めおって! あんな小娘のどこがよいのだ。ベアトリスの方が、何万倍も后に相応しいではないか」

 爛々と憎悪の光で一杯になった目を輝かせ、もはや狂気の虜になったハインリヒは人間としての良心をかなぐり捨てるかのように、孫娘の身体を切り刻む。遠くなりかける意識の中で、それでもベアトリスは訴え続ける。

「おじい様、目を覚ましてくださいませ。封印を解いてはなりません。帝室の血を絶やしてはいけません。この国は、神聖にして不可侵なのですから」

 息が絶える直前まで彼女は懇願し続けたが、それがハインリヒの意識に浸透することはなかった。

 孫娘の血が魔法陣を染め上げ、ハインリヒは書物に書かれている禁断の呪文を唱え始める。自分の身体に下級魔族を降臨させ融合するその呪術は、自身を魔族に生まれ変わらせるものだった。
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