Ep.54 歩いて死のう (Va où tu peux, meurs 

文字数 1,448文字

「決めたよ。ウォーカー」
「そうか !」
「ああ。俺は、三人の仇を討つ」
「えっ !?
 ウォーカーは驚き、すぐに早口で続けた。
「いや、しかし、誰もそれを望んでないよ ?」
「ああ。俺も理性では望んじゃいない。けど、バカで直情的な俺の性格は、どうしても仇をとる事を望んでいるんだ。とらなきゃ先には進めない。どんなに楽しそうな人生設計も、土台が腐っていれば砂上の楼閣だ」
「あ。お。え…」
 ウォーカーは言葉に詰まった。が、徐々に、目に決意がみなぎる。
「じゃあ…、ニタルトはどうするんだ ?」
 ニタルト ?
 ウォーカーは立ち止まった。
「ニタルトはな、ウンバロールが襲撃されてから、ずっとお前を心配してるんだぞ ! お前は、ニタルトの何を見て、何をしてやれているんだ ! この半年間、お前を待って、ずっと、健気に、普段の生活を続けてきている。けど、もう、彼女の精神は限界だ。あの子は純真だろう ? 好きなんだろう ? 何をずっと苦労かけてきてるんだ ! わがまま言うな ! もう、いいかげん、彼女のことを、大事にしてやれよ !! 落ち着いて、結婚して、幸せにしてやれよ !!
 ウォーカーは拳を握り締め、微かに震えている。
 怒りや嫉妬よりも前に、俺は思った。
 確かに、ウンバロールが襲撃されてから半年間。組織のことだけを考えて、ニタルトのことは、ほとんど考えていなかった。
 ニタルトの笑顔を、しぐさを、思い出すと、柔らかさで泣きそうになる。だが、同時に、これから仇を討つにあたって、ニタルトのことを考える時間はない。
「お前さ、」
 俺は、いつも言おうと思っていたのだが、どうしても言い出せなかった苦渋の決断について、ウォーカーに問いかけた。
「悪いんだが、お前が、ニタルトを幸せにしてくれないか ?」
「お前 !」
ウォーカーは掴みかかってきた。あの時と全く同じだが、力と俊敏性は明らかに上がっている。
「お前は、そんな気持ちで、僕からニタルトを奪ったのか !!
 前と同じように、俺は冷静に言葉を返す。
「生半可な気持ちじゃない。ウォーカー。俺とお前は片翼同士。パジェスの言うように、一心同体だと思っている。そんなお前だからこそ、ニタルトを託してるんだ。お前にしか頼めない」
 言いながら俺は、体が戦慄(わなな)いた。体と時間は一つしかない。大事なことを成すためには、他の大事なことを捨てるしか方法はない。
 今までずっと好きで、これからもずっと好きであろうニタルトを手放す。その決断を言葉にすることが、こんなにも辛いものだなんて。
 俺の悲しみは、腕を通して伝わったようだ。ウォーカーは、スッと力を緩めた。
「わかった。わかったよ。ニタルトは、僕が、幸せにする。それでいいんだな ?」
「ああ。頼む」
 ウォーカーは、素直に手を離した。俺の決意ある目と、じっと見つめ合う。またあの、ウンバロールやパジェスと同じ、愛のある目。それに少し、哀れみや慈(いつく)しみを感じる。
「またな」
 俺は、ウォーカーの目を見ていられなかった。逃げる様にして後ろを向き、急ぎ足で歩き出した。
「ああ。また、な」
 ウォーカーは、再会の言葉を強調して、同じく、道を反対側に向かって去っていった。
 新しいことをするには、全てを捨て去る決意が必要、か。
 ニタルトともウォーカーとも、もはや会うことはないのだろう。
 さらば。表社会よ。
 モスクワの夜は寒い。
 俺は、ウンバロールのお気に入りだったケルセー(葉巻)を口に加え、敵討ちだけを考えてホテルへ戻っていった。
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