Ep.53 夜は助言を運ぶ (La nuit porte conseil)

文字数 2,551文字

 次の日、俺はモスクワに戻り、パジェスの遺言通り、ウォーカーと再会した。
 今後について色々と考えたが、やはりウォーカーと話し合って決めることにしたのだ。これ以上、パジェスを裏切れない。
 モスクワの月は綺麗だった。
「よぉ」
 最初に声を出してくれたのはウォーカーだった。闇夜に白目が浮かんでいる。頬も痩(こ)けている。
「少しやつれたな」
「お前のせいだ」
 ウォーカーは笑って返した。
「悪りぃ」
 下手くそな冗談に対して、軽口で返せるほどの気持ちにはなれない。またしばらく、俺たちは無言で、深夜のエルミタージュガーデンを歩いた。
「半年間も、どこに行ってたんだ ?」
「ああ…。ちょっとな…」
 しばらく歩いて、またウォーカーが問いかける。
「話したいことがあるんだろ ?」
「ああ…」
 俺は思うがまま、正直に言った。
「だが…、うまく言葉にして伝えられないんだ…」
「別に上手くなんて求めてないよ。だって、セロは、バカで一直線なんだから」
 少し経って、またウォーカーが言う。
「ただ、バカで一直線なんだから、支離滅裂(しりめつれつ)でも、何か喋ってみなよ。僕はそれを解読してやる」
 俺はウォーカーを見た。
「おいおい。なんて目をするんだよ。だって、僕は何年間、お前を追いかけていると思ってるんだ ? 君の考えていることなんて簡単にまとめてやるさ」
 ウォーカーは偉そうに胸を張った。俺はようやく、口を縫い付けていた糸が、ほどけた様な気がした。
「ウンバロールが襲撃された…」
「ああ」
「パジェスとレンドルフが殺された…」
「レンドルフもか…」
 ウォーカーは組織のニュースで知っていただけなので、大幹部ではないレンドルフの死は知らなかったようだ。
「ああ…。それで…、俺は…、これからどうすればいいのか…、分からなくなってしまったんだ…」
 ウォーカーは明るく答えた。
「そっか。僕はまた、セロのことだから、カッとなって無策で突っ込んで、自分まで死んでしまうなんてことにならないか、その事だけがホントに心配だったんだ」
「パジェスが…、お前に相談しろと言ったからだ…」
「パジェスに会ったのか ?」
「いや…。だが…、遺言が届いた…」
「他になんて ?」
「敵討ちは…、やめろって…」
 思い出すとまた、心が張り裂けそうだ。
「俺はしたい…。けど…、パジェスがやめろって言うんだ…」
 俺はそこから、つっかえながらも、必死で今までの経緯と、今の気持ちをウォーカーに説明した。全ては、俺がパジェスとの約束を破ったことから始まったという話。全財産を譲ってくれた話。本当は仇をとりたいが、そうするとまた、約束を破ってしまうから葛藤しているという話。パジェスの最後の一言について以外は、全てウォーカーに説明した。
 他人に話すのはこれが初めてだ。俺は気持ちが軽くなった。ウォーカーはうなづきながら、最後まで話を聞いてくれた。
 その後は、少し考えている様子だったが、やがて、ようやく、吹っ切れたような顔で答えをくれた。
「セロ。パジェスの遺言通り、僕たち二人にニタルトを加えて三人。今から人生をやり直さないか ?」
 ウォーカーは、ポケットからスマートフォンを取り出し、俺にメールの画面を見せた。
「ほら。ここ。組織からなんだけどさ、パジェスの直属の部下に限って、組織を裏切らないなら無条件で辞めることを許す。これはパジェスの遺言である。って書いてある」
 俺はチラリと見たが、文字を読むことが得意ではないし、気分でもないので、すぐにやめた。
「僕たちはよく戦ったよ。裏社会で働くのも、ここらが潮時なんじゃ無いかな ? パジェスは南仏プロヴァンスだなんて言ってるけど、モンマルトルで暮らすのもいいよな。ピャルーやエリザベータも誘って、ウンバロールも一緒にさ」
 俺は、ウォーカーのいう生活を想像した。
「実は僕、あのNIKEから、スポンサーになるから契約をしないか、と誘われてるんだ」
 それは凄い。
「それで聞いたら、僕とセロと、二人同時にスポンサー契約を結びたいとも言ってくれているんだよ。白と黒の閃光、なんて宣伝して、僕らでいつも、全てのパルクール大会の一位と二位を独占してさ。ニタルトだって、きっと喜ぶに違いないよ」
 なるほど。ニタルトも喜ぶ。
「SNSなんかで写真を投稿して、ゆくゆくはセレブなんかになっちゃってさ。そうしたら、パジェスとレンドルフのために教会を建てよう。モンマルトルのハズレに。小さいけど、美しい教会だ」
 ウォーカーは色々と考えているんだな。俺なんかとは違う。
「そこでセロと僕は、同時に合同結婚式をおこなおう。そりゃ、僕はまだ相手がいないけど、その時までには絶対に見つけてみせる。案外、ハリウッド女優かなんかと結婚しちゃったりしてね」
 ウォーカーの妄想は尽きない。確かに楽しい将来かもしれない。だが、ウォーカーが夢を語れば語るほど、俺の心は何か冷静になってくる。この、冷たい海に足を浸している様な感覚。
 そうだ。
 これから十年、二十年して、俺たちがどんどん幸せになっていくとしても、俺の心臓にひっかかる心残りはずっと消えない。
 楽しい時も、仇(かたき)を討っていないんだという心残り。
 嬉しい時も、俺のせいでみんなが死んだという心残り。
 ウォーカーはいい。直接この事件に関わりがあったわけではないし、そもそもが理性の高い男だ。
 だが、直情的な俺の心は、おそらくこの先、何十年経っても後悔をし続けるだろう。三人の仇をとらなければ、この先生きていても、何かある度に、冷たい湖の底まで引き摺り込まれることだろう。レヴィアタン(リヴァイアサン)の呪いは、俺にだけは、未来永劫(みらいえいごう)まとわり続けることだろう。
 今までの人生を否定しない。
 大事な人たちが全員、俺のことを大事に思ってくれた。
 それだけでもう、俺の人生は十分幸せだった。
 思い出だけを大切に抱き、俺は、これから、神に挑みにいく。
 行かないで死んだ人生を生きるのならば、行って三人の思いを引き継ごう。
 俺は天を仰(あお)いだ。
 悪い。パジェス。あなたの弟は、また、あなたの言う事を聞きませんでしたよ。でも、次に会った時は、あなたに、「自慢の弟だ」と、そう言わさしめてやります。
 俺は、全てが吹っ切れた。
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