Ep.50 最後の一葉 ( La dernière feuille)
文字数 2,597文字
「窓を見てください。あの街路樹。最後の一葉ですね。何か悪いことが起きなければいいですが」
半年間仕事をさせてもらっていない。
それでも俺のいない『ル・ゾォ(動物園)』は、入園者数が増え続けているようだ。
世間から隔絶された暮らしに慣れた俺は、今日も牙を失ったかのように、優しくウンバロールに話しかけた後、隣に置いているベッドで眠りについた。
深夜、外が突然騒がしくなる。
たまに来る緊急患者かな ?
俺は耳をふさぎ、再び寝ようとした。
が、外はますます騒がしくなる。
もしかすると、ウンバロールを狙う組織かもしれない。
俺は思い直してナイフと銃を手に取り、うっすらとカーテンを開けた。
道路に四台もの緑色の車。救急車だ。病院には次々と担架(たんか)が運び込まれてくる。階下は戦場のように騒がしい。
「セロ !」
階段を駆け上がる音とともに、女の叫び声が聞こえてきた。すぐに激しく扉を叩く音。俺をコカドリーユ(コカトリス)と呼ぶ人はいるが、セロと呼ぶ人はここにはいない。俺は眠い目に緊張感を注入しながら、扉についている穴から女を見た。
エリザベータだ。
彼女は今や、組織の情報を担っている情報部隊隊長だ。組織の情報部員は、五百人を超えている。どんなに重要な情報であろうと、忙しいエリザベータではなく、ロンドン在住の情報部員の誰かが伝えにくるはずだ。しかし、彼女が自ら来るということは…。
おいおい。そんな『ラスト・リーフ』的なベタな展開は無いよなぁ。
俺はまず、ウンバロールの鼻に手をかざした。
大丈夫。生きている。
俺は悪い予感しかしなかったが、それでも彼女を迎え入れる以外の選択肢はない。もし彼女が死神だとしても、俺はもう半年も危険に身を晒(さら)していない。危険を察知するセンサーが壊れている。名前を呼ばれたら、無視ができない。
俺はノロノロと鍵を開け、部屋に彼女を迎え入れた。
「どうした ? 紅茶でも入れようか ?」
結論を伸ばしたいがための防衛本能から、のんびりと尋ねてみたが、結論は、逆に、急がされることになった。エリザベータは、狂ったように俺にしがみついてくる。
「セロ ! パジェスが !!」
パジェス ?
救急車。エリザベータ。そしてパジェス。俺は、何となく出来てしまった想像に対し、慌てて首を振った。
まさか。
そんなことはない。
杞憂(きゆう)だ。
こんな最悪な想像であるはずがない。
俺は結論を聞きたくない。けれども心とは裏腹に、口は勝手に空気を震わせ、エリザベータに意味を届けた。
「パジェスが、どうしたんだ ?」
「早く来て !」
エリザベータは俺の手を引き、地下に向かって階段を降りていく。
引かれる手に爪が刺さる。
空気が寒い。
足の感覚が無い。
茶色く色づいたプラタナスの葉が一枚、病院の床に落ちている。
なんとか事実がねじ曲がってくれることを願っているが、体は自然に事実へと向かっていく。
病院の地下にたどり着き、エリザベータは、白くシンプルな、重い扉を開けた。中から冷気が流れてくる。そして、どんよりとしたオーラと、沢山の目。
組織の幹部の何人かがそこにいた。
「コカドリーユ(コカトリス) !」
「どうしたんだ ?」
組織の人間をかき分ける。中心にはベッドがあり、何人かが横たわっている。よく見知った顔だ。
顔が半分ない大柄の男は、リオン(ライオン)のライオット。
隣にはTIOR-C4の師匠。白いネクタイを締めた、シエンヌ・ド・ギャルド(番犬)のレンドルフ。
フルミリエ(アリクイ)のミナモスキーにいたっては、左半身がない。
そして、その隣で祈るように手を組んでいる男。白い袋にくるまり、安らかな表情。まるで眠っているようだ。その美しい顔に、釘で刺したような小さい穴が何十と開いていなければ。
パジェス ?
俺は信じられなかった。
何かの冗談だろ ?
パジェス ?
何やってんだよ、パジェス。
俺はパジェスの顔を触った。
触った瞬間わかった。だが、信じたくはない。
もう。
いい加減、悪い冗談はやめろよ。
俺が悪かったよ。
もう、あんたの言うことには逆らわないよ。
だが、俺がなんと思おうが、パジェスからは一切の返答がない。
俺は、もう一人の師匠を見た。レンドルフは、昔から、嘘が下手だった。きっと、俺が揺すったら、くすぐったいとでもいうように起きてしまうに違いない。
なぁ。レンドルフ。
レンドルフを揺するが、やはり生命力を感じられない。ただの七十キロの肉の塊だ。
嘘だろ ?
俺を騙してるだけだろ ?
おい。リオン。フルミリエ。
誰かを揺さぶればどこかに正解があり、「全ては夢でした」となるに違いない。
だが、その正解はどこなんだ ?
誰をさすれば、夢は解けるんだ ?
俺は全員を必死で揺すったが、触れば触るほど、今まで名前のあった人物たちが、もうここにはいないのだという現実を雄弁に語り、死体を通して、俺の体を冷やしていくばかりだった。
…あのパジェスだぞ ?
いつも冷静沈着な、あのパジェスだぞ !
俺は信じられなかった。いつも正しかったパジェスが、こんな姿になるということが。
腰を叩かれて、俺は振り返る。
相談役のダナゥだ。いつもより、さらに一回り小さく見える。
俺はダナゥに呼ばれて、二つ上の階にある病室に二人きりになった。
ダナゥは明らかに疲れているが、それでも背筋を伸ばして話し始めた。
「ここに運び入れたのは幹部だけだ。他にも六十人以上が皆殺しになった。今回の戦いは完敗だ。私たちは、敵討ちをあきらめる」
「なぜだ…」
「パジェスとライオット。組織の中心人物が二人ともやられてしまった。これ以上の犠牲を出すことは、今の『ル・ゾォ』にはできない。これは、組織の相談役としての、苦渋の決断だ」
「誰にやられたんですか ?」」
「それ以上は、私の口からではなく、彼女に直接聞いてもらおう。現時点で、一番情報を持っている者だ」
屈強な男に連れられて、女がノロノロとやってきた。美しさが見る影もないほどに泣き疲れた顔。
エリザベータ…。
「パジェス直属の部下なんだ。今は二人とも落ち着かんじゃろう。これからのことについて、ゆっくりと二人で話し合うといい」
それだけ言うと、ダナゥは部屋を出て、老人特有の重い足取りで、階下へ降りる足音を軋(きし)ませて消えていった。
半年間仕事をさせてもらっていない。
それでも俺のいない『ル・ゾォ(動物園)』は、入園者数が増え続けているようだ。
世間から隔絶された暮らしに慣れた俺は、今日も牙を失ったかのように、優しくウンバロールに話しかけた後、隣に置いているベッドで眠りについた。
深夜、外が突然騒がしくなる。
たまに来る緊急患者かな ?
俺は耳をふさぎ、再び寝ようとした。
が、外はますます騒がしくなる。
もしかすると、ウンバロールを狙う組織かもしれない。
俺は思い直してナイフと銃を手に取り、うっすらとカーテンを開けた。
道路に四台もの緑色の車。救急車だ。病院には次々と担架(たんか)が運び込まれてくる。階下は戦場のように騒がしい。
「セロ !」
階段を駆け上がる音とともに、女の叫び声が聞こえてきた。すぐに激しく扉を叩く音。俺をコカドリーユ(コカトリス)と呼ぶ人はいるが、セロと呼ぶ人はここにはいない。俺は眠い目に緊張感を注入しながら、扉についている穴から女を見た。
エリザベータだ。
彼女は今や、組織の情報を担っている情報部隊隊長だ。組織の情報部員は、五百人を超えている。どんなに重要な情報であろうと、忙しいエリザベータではなく、ロンドン在住の情報部員の誰かが伝えにくるはずだ。しかし、彼女が自ら来るということは…。
おいおい。そんな『ラスト・リーフ』的なベタな展開は無いよなぁ。
俺はまず、ウンバロールの鼻に手をかざした。
大丈夫。生きている。
俺は悪い予感しかしなかったが、それでも彼女を迎え入れる以外の選択肢はない。もし彼女が死神だとしても、俺はもう半年も危険に身を晒(さら)していない。危険を察知するセンサーが壊れている。名前を呼ばれたら、無視ができない。
俺はノロノロと鍵を開け、部屋に彼女を迎え入れた。
「どうした ? 紅茶でも入れようか ?」
結論を伸ばしたいがための防衛本能から、のんびりと尋ねてみたが、結論は、逆に、急がされることになった。エリザベータは、狂ったように俺にしがみついてくる。
「セロ ! パジェスが !!」
パジェス ?
救急車。エリザベータ。そしてパジェス。俺は、何となく出来てしまった想像に対し、慌てて首を振った。
まさか。
そんなことはない。
杞憂(きゆう)だ。
こんな最悪な想像であるはずがない。
俺は結論を聞きたくない。けれども心とは裏腹に、口は勝手に空気を震わせ、エリザベータに意味を届けた。
「パジェスが、どうしたんだ ?」
「早く来て !」
エリザベータは俺の手を引き、地下に向かって階段を降りていく。
引かれる手に爪が刺さる。
空気が寒い。
足の感覚が無い。
茶色く色づいたプラタナスの葉が一枚、病院の床に落ちている。
なんとか事実がねじ曲がってくれることを願っているが、体は自然に事実へと向かっていく。
病院の地下にたどり着き、エリザベータは、白くシンプルな、重い扉を開けた。中から冷気が流れてくる。そして、どんよりとしたオーラと、沢山の目。
組織の幹部の何人かがそこにいた。
「コカドリーユ(コカトリス) !」
「どうしたんだ ?」
組織の人間をかき分ける。中心にはベッドがあり、何人かが横たわっている。よく見知った顔だ。
顔が半分ない大柄の男は、リオン(ライオン)のライオット。
隣にはTIOR-C4の師匠。白いネクタイを締めた、シエンヌ・ド・ギャルド(番犬)のレンドルフ。
フルミリエ(アリクイ)のミナモスキーにいたっては、左半身がない。
そして、その隣で祈るように手を組んでいる男。白い袋にくるまり、安らかな表情。まるで眠っているようだ。その美しい顔に、釘で刺したような小さい穴が何十と開いていなければ。
パジェス ?
俺は信じられなかった。
何かの冗談だろ ?
パジェス ?
何やってんだよ、パジェス。
俺はパジェスの顔を触った。
触った瞬間わかった。だが、信じたくはない。
もう。
いい加減、悪い冗談はやめろよ。
俺が悪かったよ。
もう、あんたの言うことには逆らわないよ。
だが、俺がなんと思おうが、パジェスからは一切の返答がない。
俺は、もう一人の師匠を見た。レンドルフは、昔から、嘘が下手だった。きっと、俺が揺すったら、くすぐったいとでもいうように起きてしまうに違いない。
なぁ。レンドルフ。
レンドルフを揺するが、やはり生命力を感じられない。ただの七十キロの肉の塊だ。
嘘だろ ?
俺を騙してるだけだろ ?
おい。リオン。フルミリエ。
誰かを揺さぶればどこかに正解があり、「全ては夢でした」となるに違いない。
だが、その正解はどこなんだ ?
誰をさすれば、夢は解けるんだ ?
俺は全員を必死で揺すったが、触れば触るほど、今まで名前のあった人物たちが、もうここにはいないのだという現実を雄弁に語り、死体を通して、俺の体を冷やしていくばかりだった。
…あのパジェスだぞ ?
いつも冷静沈着な、あのパジェスだぞ !
俺は信じられなかった。いつも正しかったパジェスが、こんな姿になるということが。
腰を叩かれて、俺は振り返る。
相談役のダナゥだ。いつもより、さらに一回り小さく見える。
俺はダナゥに呼ばれて、二つ上の階にある病室に二人きりになった。
ダナゥは明らかに疲れているが、それでも背筋を伸ばして話し始めた。
「ここに運び入れたのは幹部だけだ。他にも六十人以上が皆殺しになった。今回の戦いは完敗だ。私たちは、敵討ちをあきらめる」
「なぜだ…」
「パジェスとライオット。組織の中心人物が二人ともやられてしまった。これ以上の犠牲を出すことは、今の『ル・ゾォ』にはできない。これは、組織の相談役としての、苦渋の決断だ」
「誰にやられたんですか ?」」
「それ以上は、私の口からではなく、彼女に直接聞いてもらおう。現時点で、一番情報を持っている者だ」
屈強な男に連れられて、女がノロノロとやってきた。美しさが見る影もないほどに泣き疲れた顔。
エリザベータ…。
「パジェス直属の部下なんだ。今は二人とも落ち着かんじゃろう。これからのことについて、ゆっくりと二人で話し合うといい」
それだけ言うと、ダナゥは部屋を出て、老人特有の重い足取りで、階下へ降りる足音を軋(きし)ませて消えていった。