Ep.15 悪魔ども (les demons)

文字数 3,584文字

 『レ・テネーブル・ド・モンマルトル(モンマルトルの闇)』に入団して九ヶ月が過ぎた。
 俺はパジェスに誘われて、『ラパン・アジル(跳ねうさぎ亭)』へと入店した。
 この店はシャンソニエで、シャンソン(歌)を聞きながらお酒が飲める場所で、歌声が大きいので周りの人に自分たちの声は聞こえない。秘密を語るには最適だ。
「どうだ、調子は」
 パジェスは、舞台上の派手な服を着た女性歌手に目を向けながら聞いてきた。
「はい。充実してます」
 俺はもう、上下関係を知る年齢だ。いつの間にか丁寧語で会話をしている。
「そうか」
 パジェスはもう三十歳に近い。出会った時のような青年らしさは影を潜めた。その分、沈黙ひとつにも威厳が増している。
「闇には慣れたか ?」
「はい」
 また二人共が黙り、しばらくの間、歌手の歌う曲が流れる。曲は、『モンマルトルの挽歌』だ。
 これはいつもと違って、何か大切なことを言いたいのだろうな。
 喉が渇く。俺は、水割りにしたウイスキーを一口で飲み干した。すぐにウェイターがやってきたので同じものを頼む。
 ウェイターがいなくなると、ようやくパジェスは口を開いた。
「セロ」
「はい」
「天使が存在するためには、悪魔が存在しなくてはならないんだ」
「はい ?」
 突然の詩的表現。俺には意味がよく分からなかった。
「セロ」
「はい ?」
「お前、悪魔にならんか ?」
「悪魔に ?」
 俺は聞き返した。失礼かもしれないとは思ったが、どうしても意味がわからなかったからだ。
「そうだ。俺と同じ悪魔に、だ」
 俺は黙って意味を考えていた。
「お前も、俺と同じ悪魔になって、俺を支えてくれ」
 暑くもないのにパジェスの額から汗が滲み出る。
 何もわからない。だが「支えてくれ」。この言葉だけで十分だ。
「わかりました」
 何もわからなくても、「パジェスが俺の力を借りたいと言っている」ということは伝わる。
 「俺が目指している存在」から、「俺の価値」を認められている。それだけで十分だ。
 俺は自分の全てをパジェスに委(ゆだ)ねることにした。

 次の日の十五時、俺はパジェスに言われた通り、エミール・グドー広場にやってきた。目的は、広場の象徴である『ル・バトー・ラヴォワール(洗濯船)』といわれている建物だ。この建物は1970年に焼失したが、元々は芸術家たちの溜まり場だったそうだ。現在では再建され、二十五部屋のアトリエアパートとなっている。
 俺は芸術に興味はあったが、高価だし、自分で作れるほどの才能も無いので、いつも素通りしていた。だが、今日は仕事で来ているのだから、堂々と見ていられる。
 ショーウィンドウに展示されている『ル・バトー・ラヴォワール』の資料を眺めていると、一人の女が声をかけてきた。
「芸術に興味があるの ?」
 白人の美しい女だ。スタイルはいいが、華奢(きゃしゃ)で顔が子供っぽい。年齢は二十五歳くらいだろうか。東欧か東洋の血が混じっているのだろう。全体的に繊細だ。芸術が好きそうなオシャレっぽい格好をしている。ベレー帽までかぶっているので、それはそれはオシャレなのだろう。
 この女だといいな。
 俺はパジェスに教わった通りに、秘密のやりとりを口にした。
「ああ。絵が欲しいんだ」
「どんな絵が欲しいの ?」
「動物が人を助ける、みたいな絵はあるか ?」
 女は、納得したような顔をした。
「いらっしゃい」
 彼女は笑って俺を建物に招き入れ、入ってすぐの扉の鍵を開けた。
 中には、『ル・バトー・ラヴォワール』の資料や、絵葉書などの土産物、それから彼女が書いたと思われるいくつかの絵が並んでいる。絵の中には動物の絵もある。
「どんな動物がいいの ?」
「悪魔とニワトリの絵なんてあるか ?」
 俺はパジェスに言われた通りに伝える。女は微笑んだ。
「ちょうどこっちのアトリエに置いてあるわ。来なさい」
 女は、奥にある扉の鍵を開けた。
 奥は展覧会のようにしっかりと絵が飾ってある。女は、イルカや孔雀などの動物が描かれた絵を素通りし、奥にある悪魔の絵を裏返して何やら弄(いじく)る。
 すると、壁の一部がスライドした。
 中には、梯子が上に向かって伸びている。
「この先に、あなたを待っている人がいるわ」
 俺は、彼女の後をついて、恐る恐る、その暗い梯子を上っていった。いくつかの複雑な道を抜ける。
「ル・ポーン(孔雀)」
 声帯認証と指紋認証で扉が開かれると、そこはホテルの一室になっていた。キングサイズのベッドがふたつに、大きなテーブルがある。テーブルを囲んで、男が三人座っている。
 女は空いている椅子に座り、赤い唇で微笑んだ。
「待っていたぞ、コック」
 男のうちの一人はパジェスだ。
 パジェスは立ち上がり、俺の肩を抱えて、みんなに紹介した。
「みんなも知っていると思うが紹介しておこう。『レ・ザンジュ(天使チーム)』のセロ。コック(にわとり)だ。これからは俺たちと同じ『レ・ジュモン(悪魔チーム)』に所属してもらう」
「レ・ジュモン ?」
「そうだ。今までお前は『レ・テネーブル・ド・モンマルトル(闇)』だったが、その中にある『レ・ザンジュ』に属していたんだ。天使チーム。つまり、お金を配るだけのお仕事だ。この仕事についている者には組織の全貌を知らせていない。コックも『闇』について、俺以外のメンバーを誰も知らないだろう ?」
「そういえば…」
 俺は言われるまで、そのことに全く気がついていなかった。
「それは、『レ・ザンジュ』に属している奴が捕まっても、組織の全貌がバレないようにという俺たちの自己防衛だったんだ」
「なるほどです」
「だが、お前は先日、俺に命を預けてくれるという誓いを立てた。シャモー(ふたこぶらくだ)さんにも誓いを立てている。そして、俺はずっとお前をみてきている。そんなお前になら、俺も命をかけられる。俺が命をかけられるんならと、同志の『レ・ジュモン(悪魔チーム)』も、お前を仲間に入れてもいいと言ってくれたんだ」
 俺は、パジェスに「俺とお前は対等だ」というような意味のことを言われて感動した。
「ありがとうございます」
「俺たちは一蓮托生(いちれんたくしょう)だ。お前がピンチの時には、俺らは全力で助けに行く。俺らの誰かがピンチの時には、全力でみんなを助けろ。今ここで、お前の心臓にかけて約束してくれ」
「わかりました。誓います !」
 俺は何の躊躇もなく、右拳を自分の心臓に当てて、誓いのポーズをとった。一人以外は、全員が笑顔で迎えてくれた。
「よし。これからセロは俺たちの仲間だ。実行班に組み込まれる。みんなも仲間に自己紹介をしろ」
 椅子から一人の、笑顔でない男が立ち上がる。見知った顔だ。
「まずは同じ実行班の俺からだな。よう。待ってたぞ。お前はいつかくると思っていた。これからは銃火器の扱い方も、しっかりと教えてやるよ」
 小さな拳銃を見せびらかしながら相変わらず笑顔が下手くそなこの男は、シエンヌ・ド・ギャルド(番犬)、レンドルフだ。
 まさか自分にTIOR-C4(軍隊格闘術)を教えてくれているレンドルフが、『レ・ジュモン』の一員だとは想像もしていなかった。
 だから一緒にパルクールの大会に出ようと誘った時に断られたんだな。
 俺は頭の中で、「今まで」と「目の前」が合致した。
 次に立った男は、ただただ大きい。筋肉の塊のようだ。
 男はニコニコとした顔で、ゆっくりと口を開いた。
「俺はゲラルハ。バレンヌ(くじら)と呼ばれている」
 二メートル近い大男。体重もそれなりにある。ドイツ人のようだ。こんな大きな男が、本当にパルクールが上手いのだろうか。
 セロの疑問はすぐに解決した。
「俺は暴力班だ。お前たち実行班が逃げきれない時には、あらかじめ待機している俺のところへこい。助けてやる」
 握手をするために近寄ってくるだけで威圧感がある。おそらく人を殺したことがあるのではないだろうか。
 ゲラルハの影から女が手を伸ばす。案内してくれた女だ。先程までとは違い、ベレー帽を外した姿はやけにセクシーに見える。解き放たれたソバージュからは洗練された香水の匂いがする。
「エリザベータ。ル・ポーン(孔雀)よ。情報班。よろしく」
 メンバー全員の視線がエリザベータに降り注ぐ。
 魅力的な女性がいるもんだな。
 俺はニタルトが好きなので恋愛的なものではないが、男の本能が少しドギマギと揺れ動いた。この女には、世界中の全ての男の本能が揺れる。
「最後に俺だな。俺はこの『レ・ジュモン』のリーダー兼、作戦立案、実行補助班だ。お前の失敗の尻拭いは全て俺がやる。安心して、俺の作戦通りに実行してくれ」
 パジェスの一言で、部屋の空気はきれいに浄化された。
 パジェス。ヒヨッコだったこの俺が、やっとこの男に手が届く位置まで飛び上がってきたんだな。
 俺は感慨深くパジェスと握手を交わした。
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