Ep.04 筋肉 (Muscle)

文字数 2,175文字

 この日を境にして、内職や物乞いをしてお金を稼ぐ時以外、僕はパルクールの練習に時間を割いた。疲れ切って体が動けなくなっても、頭の中はパルクールの事しか考えられなかった。もともと仕事以外は何もやることがなかった生活だ。時間も体力も全て注ぎ込める。友達のいない僕は、『クーデール(羽ばたき)』の練習日だけでなく、一人でいる時もずっとパルクールの練習をし続けた。
 ところが、どんな練習も、やり続けてレベルが上がると成長の壁にぶち当たる。僕も同様だった。何度練習を重ねても、自分のやりたいトリック(技)が思うように出来ない。頭の中では出来ているのに、体が思うように動かないのだ。それでも毎日、一人黙々と練習を続けていたが、その日の独学練習もやはり無理で、僕は体力の限界を迎え、寒いシュザンヌ・ビュイッソン公園の固い地べたに倒れこんだ。
 はぁ。
 はぁ。
 はぁ。
 はぁ。
 息切れはおさまってきたが、僕は仰向けに寝転んだまま、木々の隙間から空を見上げて動かなかった。
 空は高い。
 その高さがあまりに絶望的すぎて、目をつぶってしまうほどだ。
 こうして寒さの中の太陽光に身を委ねていると、僕の顔に影がかかった。
 誰だろう。僕から太陽の光を奪う人は。
 目を開けると、一人の男が立っていた。チーム内では最年長の二十二歳の青年、レンドルフだ。白人にしては黒髪で褐色の肌をしているが、歴(れっき)としたフランス人である。眉毛が太く、目が鋭い。『クーデール(羽ばたき)』のメンバーで、『シエンヌ・ド・ギャルド(番犬)』と呼ばれている。物騒な名前だが、一昨年までフランス国軍に所属していたところからついた名前らしい。
「今日もやってるのか ?」
 無愛想に聞こえるが、寡黙な男では全く無い。抑揚のない低い喋り方ではあるものの、いつも気を遣ってくれる。僕は起き上がって半身になった。
「うん。どうしても、この前の二回転する技が出来るようになりたくて」
「練習熱心だな」
「でも出来ないんだ」
「ちょっと見てやろうか ?」
「えっ ! ホント !!
 レンドルフは背がそんなに高くはないが、あらゆるトリックをお手本のように堅実にこなすことができる。一通り僕の練習を見た後で、助言をしてくれた。
「プゥサン。今のお前では、この技は出来ないよ」
「どうして ?」
「お前はまだ体が発育途中だ。筋力や体幹が、俺たちに比べて圧倒的に弱い」
「どうすればいいの ?」
 レンドルフは全く表情を変えなかったが、少し迷ったような雰囲気を出した後で言った。
「俺が、国軍で教わった、TIOR-C4(軍隊格闘術)を教えようか ? 全体の体のバランスが整えられるから、どんな技でもこなせるようになるし、何より……男は強い方がいい」
 男は強い方がいい。
 その一言が気に入った。
 プゥサン(ひよこ)なんかじゃない。立派なタテガミのリオン(ライオン)になるんだ。
 僕は、自分の細い体をマッサージしながら心に誓い、レンドルフの目を睨(にら)みつけるようにして、深くうなづいた。レンドルフは不器用に笑いかけた。

 こうしてセロの日常は定まった。月曜と木曜はパルクール。火曜と金曜はTIOR-C4。土曜と日曜は観光客相手の物乞い。空いた時間は内職と練習。僕の時間は、十歳の子供にしては異常なほど濃密に過ぎていった。筋肉痛と打撲痛と知恵熱を友達として、毎日の成長を実感している。パルクール技術もTIOR-C4戦闘術も、目に見えるほど急速に進化していった。

 あっという間に一年半が過ぎた。子供だった外見は、日々の筋力トレーニングによりたくましくなり、それと共に、一気に大人びていった。赤みがかった金と黒だった髪色は、徐々に金が薄れて赤みが増し、緑の濃かった瞳は、ますます深い緑色へと変化した。白人は、成長するにつれて、どこかしら顔の一部が異常に大きくなることがあるが、セロの顔つきはバランスよく、整ったままで成長していった。セロは、明らかに、美少年と種別できる外見になっていた。
 十二歳。物乞いの技術が上がっている上に、会話も上手くなっている。こうなると、観光客からの同情と共に、貰(もら)える金額も高くなる。観光客相手にモグリのガイドもできる。十二歳からの数年間は、まさに物乞いのゴールデンエイジだ。
 僕は、上役に納めるノルマを少しでも早く達成して、少しでも多くの時間をパルクールの練習に費(つい)やしたかったので、ひたすら物乞いに精を出した。
 普通ならノルマ分は簡単に稼げるはずだ。現に、周りの同じ年齢の奴はみんな稼げている。だが、普通の子供たちに反して、何故か努力をすればするほど、僕はお金を恵んでもらえなくなった。懸命に媚びて、観光客とも仲良くなれるのに、どうしてもお金を稼ぐことができない。
 これは、セロが美少年過ぎることと、少年にしては異常なほど筋肉がついているために起きていたことだ。自分より優れているものが近寄ってきて、「お金を恵んでくれ」と言われても、さらに何か大きなことをされて騙されるのでは無いかと疑心暗鬼に陥るのは、人間として当然の反応だ。
 だが、セロはまだ十二歳なのでそのことには気づかず、ただ、お金がもらえないという事実だけを肌に染み込ませていた。
 結果、物乞いを減らして、家で黙々と内職をする時間を増やすしかなかった。
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