Ep.41 始まりの卵 (Premier œuf)
文字数 2,075文字
五年後の四月。俺とウォーカーは二十六歳。パジェス三十六歳。ウンバロール五十四歳の春。
俺は、六月に控えるウンバロール五十五歳の誕生日について考えていた。五十五歳といえば、フランスでは早期退職や時短労働が勧められる年齢だ。もちろんウンバロールは生涯ボスであり続けるだろうが、世間が疲れる年齢になれば、ウンバロールも疲れやすくなっているだろう。ここは一つ、記念になるような素晴らしいものを送りたい。
何を渡しても「その気持ちだけで嬉しい」と言われるだろうが、本音を言えば、お金で解決できるような物はいらないだろう。心から喜んでもらえる、あっと驚くような贈り物をしたい。
そんなことをいつも心に留めておきながらも毎日の業務はこなさなければならない。今晩はロンドンの豪邸に忍び込み、極秘資料を盗み出してくる仕事だ。
侵入部隊は、現在では三十人を超えている。ウォーカー、レンドルフと三人でトリコロールとして売り出したのは最初の頃で、最近では三人が揃って仕事をすることはない。オーダー(依頼)が増えてきたので、それぞれが別の依頼をこなしている。
隊長が自分であることは変わらないが、またそれぞれにも部下ができた。自分にもリンゼイというお気に入りがいる。
リンゼイは自分より三歳年下。出会いは二年前、モンマルトルで炊き出しをしていた時だ。ボランティアに参加している大学生の中で、圧倒的に、容量も、頭も、身のこなしもよかった。何より、自分に従順なところが可愛かった。
今の『ル・ゾォ(動物園)』は巨大化して、動物の名を冠するファミリーネームは、幹部か幹部候補生にしか与えられない。にも関わらず、俺は彼に、プゥサン(ひよこ)の名前を贈ったほど気に入っていた。外国人ばかりが増えていく中で、唯一のモンマルトル出身だったことも影響しているのかもしれないが。
今夜のオーダーは、そんなに難しくない。情報部から屋敷の見取り図や警備関係の資料ももらっているし、作戦本部から作戦も届けられている。リンゼイに実践経験を積ませるにはちょうどいい仕事だ。俺はリンゼイと、五人のサポートメンバーを連れてやってきた。
作戦は完璧で、無事に依頼されていた極秘資料をコピーし終えた。あとはこの窓から飛び降りれば、痕跡一つ残さずに屋敷から逃げていくことができるだろう。
窓を開けた俺の目に、突如、丸い違和感が絡みつく。
ん ?
廊下の暗闇の奥に光る黒い卵。
なんだ ? あの美しさは。宝石か ?
潜入仕事の際、他のことに気を取られることはご法度(はっと)だ。大きな失敗に繋がる可能性もある。もちろん俺は、そのことを重々承知している。
だが、美しさが目に焼き付いて離れない。
「コカドリーユ(コカトリス) ?」
窓から出ていこうとするリンゼイが声を掛けてくる。
「ああ。すぐに行く」
俺は我にかえり、後ろ髪をひかれながらも、断腸の思いでその場を立ち去った。
家に帰っても、例の黒い卵が気になって仕方がない。先程見た卵の形が、頭の中でどんどん鮮明にフォルムを形作る。
執着は身を滅ぼす。
分かっている。
だが、気になるものは気になる。
ニタルトの体を抱いていても、卵にことを思い出すと、どうにも気持ちが乗っていかない。ニタルトの艶やかに光る肌が、黒い卵の化身のように感じる。俺は、違う意味で興奮してこと果てた。
ニタルトが眠った後も寝付けない。
ふと思い立ち、俺は彼女を起こさないようにして仕事部屋に入り、PCでダークウェブに侵入した。アクセスにはメンバー登録やパスワードも必要になっているが、ここから『ドーラ会』のトレジャーカタログを閲覧することができる。
あれだけ美しかったのだから、もしかしたらカタログに掲載されているかもしれない。そうすれば、あの卵がどのくらいの価値かがわかる。キーワード検索は何でかければいいだろう。『卵』、『黒い』、『宝石』、『高い』、『インペリアル・イースター・エッグ』…。
五分ほどすると、すぐに写真が検索された。
え、SSSランク…。
こんなにも早く検索することができたのには訳がある。トレジャー(お宝)には、その価値や難易度により、SSSからFまでランクがついており、SSSランクは数が少なく、一番簡単に目につく場所にリンクが貼られていたからだ。
俺は、すぐにリンク先に飛んで説明を読んだ。
「ザ・ファースト・エッグ(始まりの卵)
血が凝縮されたように黒く輝く、偉大なる力を秘めた卵型の宝石。手のひらに収まるくらいの大きさ。製作年は不明。この卵を手にするものは世界の神になることができると云われている。本当に存在するかも分からない幻の宝物」
…世界の神になることができる ?
俺は、この一文が大いに気に入った。世界を獲らんとするウンバロールにピッタリではないか。しかも、場所を知っている上に、手に入れることも難しくない。
まさしくウンバロールの誕生日プレゼントにはピッタリの逸品ではないか。
俺は、降って湧いたかのようなこの突然のプレゼントに、初めて神の存在を感謝した。
俺は、六月に控えるウンバロール五十五歳の誕生日について考えていた。五十五歳といえば、フランスでは早期退職や時短労働が勧められる年齢だ。もちろんウンバロールは生涯ボスであり続けるだろうが、世間が疲れる年齢になれば、ウンバロールも疲れやすくなっているだろう。ここは一つ、記念になるような素晴らしいものを送りたい。
何を渡しても「その気持ちだけで嬉しい」と言われるだろうが、本音を言えば、お金で解決できるような物はいらないだろう。心から喜んでもらえる、あっと驚くような贈り物をしたい。
そんなことをいつも心に留めておきながらも毎日の業務はこなさなければならない。今晩はロンドンの豪邸に忍び込み、極秘資料を盗み出してくる仕事だ。
侵入部隊は、現在では三十人を超えている。ウォーカー、レンドルフと三人でトリコロールとして売り出したのは最初の頃で、最近では三人が揃って仕事をすることはない。オーダー(依頼)が増えてきたので、それぞれが別の依頼をこなしている。
隊長が自分であることは変わらないが、またそれぞれにも部下ができた。自分にもリンゼイというお気に入りがいる。
リンゼイは自分より三歳年下。出会いは二年前、モンマルトルで炊き出しをしていた時だ。ボランティアに参加している大学生の中で、圧倒的に、容量も、頭も、身のこなしもよかった。何より、自分に従順なところが可愛かった。
今の『ル・ゾォ(動物園)』は巨大化して、動物の名を冠するファミリーネームは、幹部か幹部候補生にしか与えられない。にも関わらず、俺は彼に、プゥサン(ひよこ)の名前を贈ったほど気に入っていた。外国人ばかりが増えていく中で、唯一のモンマルトル出身だったことも影響しているのかもしれないが。
今夜のオーダーは、そんなに難しくない。情報部から屋敷の見取り図や警備関係の資料ももらっているし、作戦本部から作戦も届けられている。リンゼイに実践経験を積ませるにはちょうどいい仕事だ。俺はリンゼイと、五人のサポートメンバーを連れてやってきた。
作戦は完璧で、無事に依頼されていた極秘資料をコピーし終えた。あとはこの窓から飛び降りれば、痕跡一つ残さずに屋敷から逃げていくことができるだろう。
窓を開けた俺の目に、突如、丸い違和感が絡みつく。
ん ?
廊下の暗闇の奥に光る黒い卵。
なんだ ? あの美しさは。宝石か ?
潜入仕事の際、他のことに気を取られることはご法度(はっと)だ。大きな失敗に繋がる可能性もある。もちろん俺は、そのことを重々承知している。
だが、美しさが目に焼き付いて離れない。
「コカドリーユ(コカトリス) ?」
窓から出ていこうとするリンゼイが声を掛けてくる。
「ああ。すぐに行く」
俺は我にかえり、後ろ髪をひかれながらも、断腸の思いでその場を立ち去った。
家に帰っても、例の黒い卵が気になって仕方がない。先程見た卵の形が、頭の中でどんどん鮮明にフォルムを形作る。
執着は身を滅ぼす。
分かっている。
だが、気になるものは気になる。
ニタルトの体を抱いていても、卵にことを思い出すと、どうにも気持ちが乗っていかない。ニタルトの艶やかに光る肌が、黒い卵の化身のように感じる。俺は、違う意味で興奮してこと果てた。
ニタルトが眠った後も寝付けない。
ふと思い立ち、俺は彼女を起こさないようにして仕事部屋に入り、PCでダークウェブに侵入した。アクセスにはメンバー登録やパスワードも必要になっているが、ここから『ドーラ会』のトレジャーカタログを閲覧することができる。
あれだけ美しかったのだから、もしかしたらカタログに掲載されているかもしれない。そうすれば、あの卵がどのくらいの価値かがわかる。キーワード検索は何でかければいいだろう。『卵』、『黒い』、『宝石』、『高い』、『インペリアル・イースター・エッグ』…。
五分ほどすると、すぐに写真が検索された。
え、SSSランク…。
こんなにも早く検索することができたのには訳がある。トレジャー(お宝)には、その価値や難易度により、SSSからFまでランクがついており、SSSランクは数が少なく、一番簡単に目につく場所にリンクが貼られていたからだ。
俺は、すぐにリンク先に飛んで説明を読んだ。
「ザ・ファースト・エッグ(始まりの卵)
血が凝縮されたように黒く輝く、偉大なる力を秘めた卵型の宝石。手のひらに収まるくらいの大きさ。製作年は不明。この卵を手にするものは世界の神になることができると云われている。本当に存在するかも分からない幻の宝物」
…世界の神になることができる ?
俺は、この一文が大いに気に入った。世界を獲らんとするウンバロールにピッタリではないか。しかも、場所を知っている上に、手に入れることも難しくない。
まさしくウンバロールの誕生日プレゼントにはピッタリの逸品ではないか。
俺は、降って湧いたかのようなこの突然のプレゼントに、初めて神の存在を感謝した。