Ep.46 権力と栄光 (La Puissance et la Gloire)

文字数 2,541文字

 六月二十九日。ウンバロールが五十五歳になる日、パリのモンマルトルで生誕祭が開かれた。普段見ないような高級な車が、小汚い地区にガタガタとやってきて、丘は黒光りで覆われている。
 俺はモスクワを拠点として世界中を飛び回っていたが、ニタルトと共に、久しぶりに故郷モンマルトルに帰ってきた。パーティはサクレ・クール寺院すらも貸し切られていて、今までこの地区で見たことがないほどに盛大だった。

 少し街を歩いた後、ニタルトに「仕事があるから後で会おう」と伝えると、ニタルトも「昔の友達に会いに行ってくる」と言って、ボディガードと共にどこかへ去っていった。友達はいないはずだ。気を遣(つか)っての行動だろう。
 俺は視線で、感謝の気持ちをニタルトの背中に投げかけ、『ホテル・パルティキュリエ・モンマルトル』へと向かった。ウンバロールの泊まっているホテルだ。

 ホテルが近づくにつれ、着飾った人たちがプレゼントを持って並んでいる。彼らを横目に、俺はホテルへと入っていった。

 ホテルのロビーでは、椅子に座ったウンバロールが、来客者一人一人と握手をしている。
「誕生日、おめでとうございます」
「おお。待っていたぞ」
 ウンバロールは俺に会うなり、立ち上がって肩を抱いた。
「お前かパジェスに会いたかった。それ以外の奴は、どうも堅苦しくてな」
 ウンバロールは小声で笑う。
「パジェスは今どこに ?」
「この後、私の生誕パレードを開いてくれるらしい。その準備をしていると聞いている。気持ちだけで充分嬉しいのにな」
 パジェスが俺に言ったことと同じことを言っている。
 仲直りしたい。
 俺は胸が締め付けられるような思いになった。
「五分以内でお済ませください。次がつかえております」
 ウンバロールの隣にいるスーツを着た美女が、バインダーを見ながら、腕時計で時間を測っている。
「分かった分かった。コカドリーユ(コカトリス)。中庭へ行こう」
 俺は、ウンバロールと並んで中庭へと向かった。
 ロビーは人で溢れかえっていたが、中庭には誰もいない。
「秘密の話はここで一周する間におこなうことになっている。警備上、な」
 ウンバロールは、お茶目にウインクをした。
「ははは。俺がいる限り、ウンバロールには触れさせませんよ」
「ははは」
 ウンバロールも笑い返した。そして、先ほどからずっと言いたそうだった言葉を出す。
「セロ。先ほど、来月のランキングが九位に上がったという話を聞いた。上位になるにつれ、ランキングは簡単に上下しない。ランキング制作委員会に聞いたら、君がSSSランクのお宝を手に入れた、と教えてくれた。短期間でこんなにも大きく上がったのは、セロのおかげだ。発表も、私の誕生日に合わせてくれたらしいな。感謝するよ」
「いえ。俺の方こそ、拾っていただけて感謝しております。そして、これがプレゼントです」
 俺は、バッグから手のひらサイズの箱を取り出した。
「開けても良いのか ?」
「もちろんです」
 ウンバロールは箱を開けて驚いた顔をし、黒い卵を持ち上げて太陽にかざしてみせた。
「これは…、何とも美しい…」
「はい。『ザ・ファースト・エッグ(始まりの卵)』といって、手にするものは世界の神になることができると云われているそうです。ウンバロールにピッタリかと」
「君は…」
 ウンバロールは、俺をぎゅっと抱きしめた。
「何遍、私を泣かせれば、気が済むのだ」
「何度でも泣かせますよ。全て嬉し涙で、ですけどね」
「これから衆人(しゅうじん)の前で、また悪の神を気取らなければならない私の身にもなってくれ」
「悪魔が目を赤く腫らしてちゃ、商売上がったりですね」
「全くだ」
 俺たち二人は大いに笑った。
 やっぱり、自分の選択は間違っていなかった。
 俺は清々(すがすが)しい気分で、ウンバロールと握手をして別れた。

 この後は、ウォーカーとニタルトと待ち合わせて、現在の『クーデール(羽ばたき)』メンバーと会う予定だ。だが、待ち合わせまではまだ時間がある。生誕パレードには部下も関わっているので顔を出そうかとも思ったが、パジェスと会うと何か気まずい。結果、大好きなサクレ・クール寺院の屋根によじ登り、これから始まるパレードを高いところから眺めることにした。

 眼下では、物々しい警備が行われている。徐々に人混みに道ができあがり、その中を、ウンバロールを乗せたオープンカーが、ゆっくりと走っていく。ウンバロールは身を乗り出し、お互い誰かも分かっていない群衆に祝われ、手を振っている。
 懐かしいな。
 俺は初めてフランスを旅立った日のことを思い出していた。
 この風景。
 俺は懐から金時計を取り出した。
 ここから飛び出して早五年。モンマルトルで一番高い此処(ここ)より上には飛べないと思っていたが、さらに上があったな。サクレ・クール寺院は百メートル足らずだが、キングダム・タワーはその十倍だ。
 あの時は、ただラクダのコブの上で姿勢を伸ばしているだけのニワトリだった。だが今では、パジェスやウォーカーやレンドルフと共に、世界を相手に空を飛び回っている。
 男として、最高の人生を送っている。
 俺は時計を、先ほどウンバロールが卵でやっていたように、太陽にかざしてみた。
 光り輝く金の懐中時計。表には悪魔パイモンのレリーフ。裏にはコカトリス。自分のためだけの完全なる特注。
 俺はウンバロールに愛されている。
 父に愛されている。
 そして俺も、ウンバロールを愛している。
 俺は、懐中時計の蓋(ふた)を開けた。

 パンパンパン。

 パンパン。

 眼下では爆竹の音。
 ウンバロール。祝われているな。
 俺は思わず、自分のことのように頰が緩んだ。
 その後、小さな声で怒号が飛び交う。

 パン。

 パンパンパン。

 わーわー。

 ん ?
 俺は現状を把握するため、集中して眼下を見た。
 何かが起こっている。
 整然と動いていたゴミのような人間達が、突如、水をかけられたアリの行進のように逃げ惑っている。
 まさか !!
 俺は立ち上がり、落ちるような勢いで寺院の壁を滑り降りた。

 屋根に止まっていた赤い鳩が飛び去った。
 蓋(ふた)が開いた黄金の懐中時計は、尖塔に引っかかったままだ。
 キラリと光る金時計の針は、その動きを止めていた。
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